「また、親友が・・」 2019-12

更新  大学の親友の一人である生貝貢さんが8月に逝去された。
学生時代、建築生産(元・建築経営工学)研究会を6名で立ち上げた一人で、本年11月に創立55周年を迎えた。生貝君も創立メンバーの一人で、その設立メンバー6人も今では3名となってしまった。 

 3年生の東京オリンピックの年の夏休みには、富士山頂の気象レーダードーム基地建設に共に実習生として参加した。

又、3年間で卒論以外の単位を修得し、4年生は東京大学の生産技術研究所で研究をし、それが今の高層建築に役立っているとのことである。
丁度、生貝君(本年8月逝去)と大森君(故人)本間(故人)と私の4名だったので、マージャンも覚えたのだったが、そのメンバーも今では私一人となってしまった。 

生貝さんは、国の上級試験に合格して、当時の運輸省に入省された。
岡山、大阪、成田空港と転勤され、成田空港の第2期工事の計画室長等を歴任された。

その後、当時資本金174億の日本空港ビルデング㈱に入社して常務を歴任され、65歳定年を迎えるも羽田空港・第二国際ターミナルビルのオープンまでということで最終的には顧問として定年を二年延長して67歳まで勤められた。 

 
多くの空港建設・運営に携わり、空港一筋の仕事人であったと靖子夫人は語られた。
「・・・主人が手掛けた日本を代表する空港は未来永劫存在し続け、私達家族にとってもこのうえない財産を残してくれたのではないでしょうか・・・・・」 

我々は、卒業後も度々連絡を取り合い、たまに東京で落ち合うことも有り、60歳の還暦時には、私の発案により数組の親友夫婦で浜名湖の湖畔で1泊して久しい。

本年喜寿を迎えるのにあたり、皆さんとまた集まろうと相談しようとしていた矢先の逝去であった。
 

 葬儀に参加する為に、朝1番・6時発の新幹線で大阪を出発、10時から始まる千葉県の葬儀場へ15分前に着いた。

建築経営工学研究会の設立メンバーである栗原,金子、そして私の同窓生が、その家族葬に参列した。

葬儀後の精進揚げの場で、娘さんから「お父さんは、東大の大学院に行きたかったようですが・・・」また、東大を目指している孫さんから「祖父は、東大でどんな人でしたか・・・」と質問に「大変貴重面な人で、おかげで色々の記録を残していただいて・・・」と答えた。 

昨年、54年ぶりに富士山頂に登頂し、下山後に生貝さんに報告したくてメールを入れたが、病状が思わしくなく残念ながら会うことが出来なかったが、度々電話では話していたのだが・・・。 

実習で参加したあの富士山頂の気象レーダードーム基地建設の模様が、2000年にNHK総合テレビのドキュメンタリー番組の第1回目に取り上げられた。

  「プロジェクトX ~挑戦者たち~」第1回2000.3.28

「富士山頂」 巨大台風から日本を守れ 
~富士山頂・男たちは命をかけた~

「男は一生に一度で良いから、
子孫に自慢できるような仕事をすべきである。」と、テレビ画面に。

(最後にもう一度)
多くの空港建設・運営に携わり、空港一筋の仕事人であったと靖子夫人は語られた。
「・・・主人が手掛けた日本を代表する空港は未来永劫存在し続け、私達家族にとってもこのうえない財産を残してくれたのではないでしょうか・・・・・」 

 本年の最後に、悲しいブログになり残念であるが、残ったものが少しでも将来の子供達のために何ができるのか、何をすべきなのかを考え、微力ながらでも行動していきたいものである。         
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                               Y.YOSHIHARA

本年も、著名な方々との出会い、そしてご縁をいただいた。

御茶ノ水大学名誉教授・作家の藤原和彦氏
(富士山頂のレーダードーム建設に携わられた気象庁課長であり、作家であった新田次郎氏のご子息)

川島隆太氏・“認知症の予防法”で脚光を浴びる東北大学加齢医学研究所々長、

国谷裕子氏・NHKテレビ番組「クローズアップ現代」キャスターなど

又、来年も新しい出会いが楽しみである。

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東大・生産技術研究所の屋上にて   東大・本郷校舎内 
(故・生貝、本間、筆者、故・大森)   2000トン大型試験機

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生産技術研究所メンバー(55年前)   安田講堂前で
(前列-左・大森、3番目-高梨助手-現名誉教授、4番目・生貝、
5番目・本間、後列-二人目筆者)

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富士山頂台風予知レーダ基地建設に参加
1964年夏完成―東京オリンピック開催)
(左下写真・左生貝氏、後ろ右筆者)

(上記8枚の写真は、生貝さん提供)

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建築生産研究会創立50周年式典  羽田第二国際ターミナル見学
(右より金子、故・生貝、栗原、筆者)(右より生貝、高梨教授、筆者)
(2014年)                (2010年)

生貝さんに関し掲載した私のブログ「会長のひとりごと」

2010-11「羽田空港新国際線ターミナルビルとNHKを訪れて」

2014-12「研究会の創立50周年に参加して」

2015-3「“念ずれば,叶う!”赤坂、六本木界隈散歩」

2018-9「いよいよ富士山頂・3.776mに挑戦!!」

2019-8「新田次郎氏と藤原てい氏、藤原正彦氏」 
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今月のひとこと

「男は一生に一度で良いから、
子孫に自慢できるような仕事をすべきである。」 
NHK「プロジェクトX ~挑戦者たち~」第1回2000.3.28より

「富士山頂」 巨大台風から日本を守れ 
日本列島を台風から守るため、富士山頂に建設された世界最大レーダー。
標高3.776メートル、史上例のない高地での大規模土木工事。
乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大レーダーを空輸・・・。
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会長のひとりごと「ジャーナリスト・井上和彦氏の講演を聞いて」2019-11

更新  「ジャーナリスト・井上和彦氏のトークショーと&映画鑑賞&大宴会」が、8月3日大阪で開催された。6月にハンブルグでお会いしたAさんから、Aさんのご主人が、井上和彦氏のツアーの企画?に参画されているようにお聞きした。大阪でもトークショーが開催されるとのことでご案内をいただいた。

  「ニュ-スを斬る!」と題して、講演が始まった。

最近の外交、政治日程の分析・・・・・。

折しも、韓国のホワイト国、安全保障問題、中国からの代替えも。品質の低下や不安定など・・・解説された。

  明るい話題としては、日本・ポーランド国交樹立100周年を迎える・・・。
ポーランド孤児救出支援(シベリヤより東京、大阪の天王寺へ一時避難を・・・)
2018年11月20日シベリヤ記念小学校・幼稚園が開校され、式典では「生徒が、君が代を斉唱、校歌は日本語で」とその映像を流された。
その記念に靖国神社の桜の株を送られたとのことである。
「日本・ポーランドの友好は、すべてが、孤児救出から始まった」と語られた。
 (1920年及び1922年に,日本がシベリヤの地で苦境に陥っていたポーランド人の孤児763名を救い,一方ポーランドは阪神淡路大震災,東日本大震災の際に,被災児童をポーランドに招待。2019年・平成31年/令和元年. 日本ポーランド国交樹立100周年日本・フィンランド外交関係樹立100周年
秋篠宮殿下が、本年両国の記念式典に参加される。)

 井上和彦氏の熱のこもった講演のあと、司会のアシスタントとして半井小絵氏(元NHKで気象予報士・女優)、トークに柿崎ゆうじ氏(映画監督・脚本家・カートプロモーション代表、)伊藤つかさ氏(女優)、竹島由夏氏(女優)を交えてトークショーが行われた。

私が、以前に映画「帰ってきた蛍」を見て大変感動した。あの舞台が、令和2年10月に東京の俳優座劇場で開催されるメンバーとの紹介から始まった。

(俳優座劇場のパンフレットより)
「大東亜戦争末期の昭和20年・・・ 米軍は沖縄に上陸し、いよいよ本土にねらいを定める中、故郷を思い、愛する人々を守るために決死の特攻に飛び立った若者達がいた。
彼らの末期のひと時に無限の情を傾けた富屋食堂の女将、鳥濱トメ・・・その交流を描いた真実の物語。」

教官の藤井一中尉?が、妻と二人娘の家族の為に出陣の許可が出ないので、家族が入水自殺。

一人身になって、初めて出陣許可が認められたという話、出陣して生き残り、それを恥じて悩む話など、涙ぐむ我々であった。

鹿児島県・知覧の特攻隊基地の物語である

(現在、生き残った隊員の為にトメさんの娘さんが、新宿で「薩摩おごじょ」という店を開き、今はその息子さん(トメさんのお孫さん)が経営されている。
又、世田谷区に、「特攻観音堂」があるとのことであるが、テレビでも放映された。)

 (家内の恩師のエピソード)
卆業して数十年後の同窓会で、恩師が急に泣き出した。
「自分は、特攻隊の教官で、生徒と共に出陣したが、不時着して生き残り・・・・・。」と涙ながらに話されたそうである。

 以前、知覧の記念館を訪問した。そこには多くの遺書や写真が展示されていた。ぐっと胸くるものがあった。

靖国神社もそうであるが、一度はその地を訪れていただきたいものである。

東京方面に行くと、靖国神社の本殿にお参りをする。

昨年8月2日、富士山頂から下山後も,本殿にお参りしてから帰阪した。

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                                                     Y.YOSHIHARA   

PS-午後2時から5時までの長丁場の講演、井上氏のトークのタフさに驚いた。

6時から約2時間の食事会も、タフさ衰えず、約100名の皆さんのテーブルに笑顔でまわられ、気軽に記念撮影にも・・・.

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今月のひとこと「ひだりや、みぎや、ではなく・・・」
 

「あの人は左だ、いやあの人は右だ」ではなく、

日本人として、如何生きるか? 生きていくか?

子供達の将来を考える時、日本の近代歴史を振り返り、

明日の幸せな日本を・・・

井上和彦氏の講演より

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会長のひとりごと 「認知症の予防法」東北大学加齢医学研究所 所長・川島隆太氏 2019-10

人生100年時代に備えて、脳のトレーニングを!!

“スマート・エイジング~認知症の予防法~”

頭を使う習慣、体を動かす習慣、バランスのとれた栄養を取る、人と積極的に付き合うこと、そして更に睡眠を

 

脳の前頭葉(記憶、学習、注意、判断力)は、歳を重ねると鈍くなる(動作が鈍い、言葉が出ない)。これを現状維持、もしくは上昇曲線にすることが大事であると説かれる。

 

その学習療法は、読み書き、計算を繰り返すことが大事であると。

例えば、新聞を早く、音読(社説や、コラムなら3回繰り返す)したり、1から120まで声を出しながら早く言える習慣を身につける。

もし、30秒以内で出来る人は20歳代、35秒の人は30歳、40秒の人は40歳、45秒の人は50才、50秒内で出来る人は60歳の脳と説明された。

会場の皆さんに、用意ドンでスタートである。みなさん約60秒は、かかったのではないだろうか。

出席者の平均年齢は、満73歳の集まりであるから、年相応の早さかなと感じた。

 

脳を計りながら鍛える!最新脳トレ・サービスが、東北大学+日立ハイテクノロジーズ脳科学カンパニー、株式会社NeUで行われているとコマーシャルされた。

 

スマホの恐怖―「子供の学力に影響する」と多くのデーターをさし示しながら、解説された。

特に、家で3時間以上スマホをいじる子供は、最悪と説明された。

 

認知症の方の回復に役立っている様子や、寝たきりであった方の椅子に座れるように回復された様子等をスライドで見せていただき、その数量データーも示された。

 

“人生100年時代に備えて、脳のトレーニングを”と語れた還暦の川島先生が、「数十年先には人生120年時代が来ると言われていますが、2000万円の貯蓄で足りませんよ。」の言葉に、会場は笑いの渦に包まれた。

 

先生が会場を後にされる際に、私は「本日の講演は、我々の近々課題に鋭く迫った話題で大変興味深く聴かせていただきました。」とお伝えした。

 

講演後、友人とコーヒーを飲みながら「東北大学は昔から立派な大学であるが、特に最近は躍進が目覚ましい・・・。」と、講演を聞いた我々の仲間で語りあった。

 

毎週水曜日開催される大阪倶楽部の講演会に、基本的には第13水曜日に参加しているが、今回もご縁をただいたことに感謝である。

 

                       2019-10-1

                      Y.YOSHIHARA

 

3年前、月刊誌『致知』で、脳トレの第一人者・川島隆太先生と国語教育の第一人者・齋藤孝先生に素読・音読が持つ力についてご対談されていた。
(「音読は脳の活性化に役立つ」といわれ、黙読より、音読中のほうが脳は広範囲に活性化されることが実証されています。また、声に出してよい文章を読むことは、高齢者の方には、認知症予防になり、子供たちには、基礎学力の向上に繋がるといわれます)。

 

略歴

1959年(昭和34年) 千葉県生まれ

1985年(昭和60年) 東北大学医学部卒業

1989年(平成元年)  同大学大学院医学研究科修了(医学博士)

1991年(平成3年)  スエーデン王国カロリンスカ研究所客員研究員

1993年(平成5年)  東北大学加齢医学研究所助手

1998年(平成10年) 同 講師

2001年(平成13年) 同大学未来科学技術共同研究センター教授

2006年(平成18年) 同大学加齢医学研究所教授

2014年(平成26年) 同 所長

2017年(平成29年) 同大学スマート・エイジング学際重点研究センター長兼務

 

受章

2008年(平成20年)「情報通信月間」総務大臣表彰

2009年(平成21年)「科学技術賞」文部科学大臣表彰、井上春成賞

2013年(平成25年)河北文化賞 

 

著書

「めざすは認知症ゼロ社会!スマート・エイジング:華麗なる加齢を遂げるには?」

2013年(平成30年) ミネルヴァ書房

「スマホが学力を破壊する」 2018年(平成30年) 集英社

「さらば脳ブーム」     2010年(平成22年) 新潮社

他、著書多数

 

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今月のひとこと

「人生100年時代に備えて、脳のトレーニングを!!」

 

“スマート・エイジング~認知症の予防法~”

 

頭を使う習慣、体を動かす習慣、バランスのとれた栄養を取る、人と積極的に付き合うこと、そして更に睡眠を!

 

(東北大学加齢医学研究所 所長・川島隆太氏の講演より)

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「ハンブルグ国際大会に参加して」2019-9

   フランスでは、モネの家と庭園、ベルサイユ宮殿、エッフエル塔、ベルギーのブリュセルでは小便小僧、ドイツに入りヴァィマール、ライブットヒ、ベルリン観光(ブランデルブルグ門、ベルリンの壁跡)、ポツダム、ブルーメン、ハノーフアー等、多くの世界遺産を見学して、6月2日(日)「ハンブルグ国際大会」午後の開会式に参加した。

   
 画家・モネ「睡蓮の池」    モネの写真         モネの作品
       (クロード・モ ネは、印象派を代表するフランスの画家。)

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 ベルサイユ宮殿(鏡の間)    宮殿の庭園        ベルリンの壁跡   

6月2日(日)いよいよ午後の開会式に参加。
(午前中の開会式には、メルケル首相も参加されるとの情報も聞いていたが?。)

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      国際大会           RI会長挨拶             友愛の広場で     

約2時間の式典であり、通訳の機器を借りたものの壊れていて役立たずで、英語で話されチンプンカンプンであった。 

しかし、正面舞台の壁面にテレビ(既報道番組)の一場面が放映された。美人キャスターが一人の少年を笑顔で紹介。彼の自叙伝らしき本が映され、そして歌が始まる。その一小節を聞いた私は、これは素晴らしい歌手だと感じた。歌詞が英語の字幕で流され、小さい頃はストリートチュードレンであった彼の今日までの生い立ちを歌っているようで、キャスターも曇りがちの顔から涙顔に、そして聴衆も・・・。

曲が合わると、舞台にフットライトが当たり、なんとそのご本人「崔聖奉」がマイクをもって登場し、その歌を披露された。

テレビ報道画面の様に、我々ロータリアンも彼の不遇の生い立ちから立派に成長された彼を見て、胸が痛む感動のひと時であった。これからは、このプロの道を行くとも話された。

丁度、秋川雅史のシングル盤「千の風になって」を彷彿させた。
(「千の風になって」(せんのかぜになって)は、アメリカ合衆国で話題となった詩「Do not stand at my grave and weep」日本語訳。また、それを歌詞とする歌。)
41 「崔聖奉」氏
(興味ある方は、インターネットで「崔聖奉」を検索されると、あの会場でのテレビの再現を見ることが出来ます。)

  次に、ラフなスタイルの男性が、約1メートル四方のキャンバスに音楽のリズムに乗って小躍りしながら絵が描かれ始めた。初めは、左3分の2位のスペースに縦長の卵のような輪郭を書き始められた。

そして、左下に髪らしきもの、目、口らしきもの、右に指らしきものと続く。

そして、音楽に合わせて色を付け始められ、頭を下にした女性の顔が、右には指に何か筒状のものが口の方へ伸びている。口紅を塗るのかと思ったが、次の瞬間目から涙を入れて完成。その絵を180度回転したところでRI会長が登場して「ポリオ」とサイされ、スタンディングオベーション・拍手喝采・・・。

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     逆さまの画かれる画像         「ポリオ」とサイン
(ロータリクラブでは、「ポリオ撲滅運動」を掲げて世界中のメンバーにその基金の協力運動をおこなっている。)

式典自体は、当然きめられた流れで粛々と進行したが、この二つの催しにもロータリアンは立ち上がり惜しみない感動の拍手を送った・・・。

今回は、5月27日に出国、6月5日帰国のリズボン国際大会以来の6年ぶりの大会への参加であった。

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                                                               2019-9-1

                                                      Y.YOSHIHARA

ポリオAcute poliomyelitis、急性灰白髄炎)とは、ポリオウイルスの中枢神経感染により生ずる四肢の急性弛緩性麻痺(acute flaccid paralysisAFP) を典型的な症状とする疾患であり、かつては小児に多発したところから小児麻痺ともよばれていた。

世界のロータリークラブでは、「ポリオ撲滅」の為にワクチンの供与基金を始めて30年、又、マイクロソフト社の共同創業者ビル・ゲイツ氏のビル&メリンダ・ゲイツ財団も多額の寄付をされている。 
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今月のことば「ビルゲイツの名言」

「積極的に考え、積極的に行動する人ほど、

積極的に遊び、積極的に心身を癒している。

つまり、仕事が充実している人間ほど

余暇も充実しているということだ。」
 

「ノートパソコンの素晴らしいところは、

どれだけ詰め込んでも、

大きくなったり、重くなったりしないことだ。」


「子供のころからたくさん本を読んで

自分でものを考えろと言われて育った。

両親は、本や政治や、

その他いろいろなことについて、

子供たちを交えて話し合った。」

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「新田次郎氏と藤原てい氏、藤原正彦氏」2019-8

  昨年11月大阪倶楽部で、藤原正彦氏の講演「日本のこれから、日本人のこれから」を聴く機会に恵まれた。

「改革は世の中を良くしなかった」「米国とは経済上の敵同士」「グローバーリズムが最大の敵」「初等教育でダントツだった日本」「早期英語教育はエネルギーの無駄」「グローバーリズムと金銭至上主義」と続き、後半「異常な美的感覚こそ宝」「日本人が世界に貢献する道とは」と講演を進められた。

「異常な美的感覚こそ宝」

・・・フランスの印象派は浮世絵をなしに語られません・・・

文学、芸術、数学、物理で秀でているのは、・・・知能指数や偏差値ではなく、美的感受性だからです。

(5月末に、モネの庭園と家を見学したが、その部屋の半数近くは、所せましと多くの浮世絵が飾られていたのに感動した。ガイドさんから森鴎外についても語られた。)

「日本人が世界に貢献する道とは」

・・・日本人が昔から持っている美しい情緒、弱者への惻隠、卑怯を恨む気持ちを日本人全員が取り戻すことで・・・それを世界の人々が学ぶ結果、世界を引いては人類を救うことになります。日本人として生まれてきた本当の意義は、その様な形で人類に貢献する事ではないかと思います。

と締めくくられた。

    講演風景

 

藤原正彦氏は、数学者でエッセイスト、お茶の水女子大学名誉教授、作家として活躍され、特に著書「国家の品格」(2005年)がベストセラーとなり、同じく作家として活躍された藤原ていさん(ペンネーム)の息子さんであるとのことは存じていた。

 

先日、月刊誌「致知」で藤原咲子さんが、母親・ていさんが遺書のつもりで戦後(1945年)満州からの引き上げ体験をもとに、小説として記した著書「流れる星は生きている」(ベストセラー)が原因で、50年間の確執のことが話され、今は確執も執れたが・・・・・・。

これで、次男・正彦氏、長女・咲子氏と関係が理解できた。

 

講演の中で、父親が気象庁勤務で、満州から引き揚げ富士山頂の気象レーダー基地建設の担当課長であったとのことが語られた。

その時、私は多くの山の小説を書かれた新田次郎氏とよく似ているなと思っていた。

 

又、その月刊誌「致知」から、NHKドキュメンタリー“プリジェクトX”第1回「富士山頂」、ドラマ、そして石原裕次郎主演の映画にもなったあの新田次郎氏とはペンネームで、本名は藤原寛人氏で、誰あろう“ていさんの夫、正彦氏の父である藤原寛人氏”であることも分かった。

 

55年前の東京オリンピックの年に(昭和39年)に、満20歳で実習生として私が参加したあの台風予知・富士山頂気象レーダードーム基地建設のことが蘇った。

 

ひょっとすると正彦氏のご尊父にお会いしているのではと思うと、こんな御縁があったのかと大変感慨深いものがある。

 

昨秋に、この情報を得ていれば、講演会終了後にご挨拶さしていただいたのに・・・。

 

正彦氏は、昭和18年生まれ、東京大学41年卒とのことである。

私も同じ昭和18年生まれ。卒論を東大生産技術研究所(田中尚研究室)で授講、昭和41年卆である。(当時助手の高梨晃一先生は後に東大名誉教授。今も時折連絡させていただく。当時の研究が、現在の高層建築に役立っているとのことである。)

 

  藤原正彦氏は次男であり、私も次男、尊父の新田次郎・藤原寛人氏は明治45年生まれで、私の父も同年生まれ。

何か御縁があるものを感じる。

                      2019-8-1

                      Y。YOSHIHARA

 

 新田次郎氏は、1980年(昭和55年)心筋梗塞で逝去されたとのことである。ドーム建設当時、言葉を交わしていただいた気象庁の方が、心臓肥大ということで須走りの下の基地・太郎坊小屋?で待機されていた。その方が、新田次郎氏であったのであろうか?

 

昨年8月1日、若かれし頃のあの台風の予知のためのレーダー基地建設の思いで、感動を再び確認すべく、初めて自分の足で登頂することを試みた。

(実習の折には、ブル・ドーザーで荷物と共に登頂。その時の感動は、「いよいよ富士山頂・3.776mに挑戦!!」2018年9月号に掲載済み。)

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昭和39年ドーム建設    東大生産技術研究所と同期生   

(写真提供―同期生・生貝貢氏)

  

PS-(私の社長時代・2006年5月号のブログより)

 

社長のひとりごと「書籍・国家の品格・・・・」2006年5月号

 

  最近、「国家の品格」という本がベストセラーらしいと、わが息子に話すと、読み終わったからどうぞと、手渡された。

先日、ハワイ在住50年の日本人(ウクレレが得意)皆本氏と夕食を共にすると、彼もその本を買ってきたばかりとのこと。彼の息子は、空手の全米チャンピオン・・・・・・・。

(小さいころ、喘息なので、スポーツをやらせ、今も「居合い」で素振りを・・・・・と)

今話題の書籍である!

 

3月の日曜日、テレビ「報道2001」

藤原正彦氏(御茶ノ水教授)が、中曽根元総理と共に出演。

「国家の品格」の著者。

*この10年間の総理は、市場原理主義の上に・・・・・・・・(成果主義、リストラ)

*会社は、従業員、経営者のものである・・・・・・・・。

*今こそ、日本の品格を取り戻すとき(国柄、情緒、家庭、会社での助け合い、共同体)

*「教育」「道徳」-サッチャーさんが力を入れた(英国)、フランスも

 

日本の伝統は、まだ、朽ちていない。 まだ、間に合う。

それには、「読み,書き、そろばん」読み、書くことで、考え方の組み立ての訓練が出来る。

これからは、老、壮、青年の協力を(年寄りをつかいなさい)

 

「すべての日本人に誇りと自信を与える、画期的な日本論」と本のアピール

 

ぜひ読んでみたい興味のある1冊である。

 

新田次郎氏

代表作―「強力伝」(1955年) 「孤高の人」(1969年)

 「八甲田山死の彷徨」(1971年) 「武田信玄」(1973年)

主な受賞歴―直木三十五賞(1956年) 吉川英治文学賞(1974年)
紫綬褒章(1979年)   勲四等旭日小綬章(1980年)

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今月のひとこと 2018-9号より再掲載)

 

「男は一生に一度で良いから、

子孫に自慢できるような仕事をすべきである。」

(NHK総合テレビのドキュメンタリー番組)
「プロジェクトX ~挑戦者たち~」第1回2000.3.28

「富士山頂」 巨大台風から日本を守れ 
~富士山頂・男たちは命をかけた~

日本列島を台風から守るため、富士山頂に建設された世界最大レーダー。

標高3.776メートル、史上例のない高地での大規模土木工事。
乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大レーダー空輸・・・。

最終回 第187回2005.12.28 (特番4回)

主題歌「地上の星」中島みゆき

司会―国井雅比古、久保純子、膳場貴子

気象庁の官民プロジェクト。

 

(国際ロータリー第2660地区・大阪で、「プロジェクトX ~挑戦者たち~」のプロデュ―サー・今井彰氏の講演より。)

 

(石原裕次郎主演「富士山頂」日活映画化)

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「世界に親切の輪を拡げたい」2019-7

コラム「旅人として親切にしてもらった出来事」、海外旅行で人の温かみに触れた思いを語る文が目に入った。

 

大阪市内を歩くと多くの外国人を見かけます。

彼らは、日本(大阪)を「知りたい」「楽しみたい」と思う一方で、言葉が通じず、見知らぬ土地での行動による不安やトラブルも伴います。

 私は約世界30ヶ国を訪れた時に、現地の方に親切にしていただいた事例が沢山ありました。今回は「親切にして頂いた話ベスト3」を紹介させていただきます。

 

1位は、 「ニューヨークでの青年の話」

空港から宿までは地下鉄で移動。券売機で乗車券を購入しようとしたのですが、20ドル札以上の使用は不可能でした。入国後に両替した所持金には20ドル札以上しかなく、途方にくれていると、列の後ろの青年が私の乗車券を購入してくれたのです。すぐに両替して返金しようとしましたが、彼は受け取ろうとせず「日本に行った時、ヒッチハイクなどで親切されたから、今度は僕が親切にするよ」と言ってくれたのです。

 

2位は、「コソボでのゲストハウスの店主」

70歳くらいのおじいちゃんが一人で経営していて、掃除・洗濯から1階にあるカフェまですべて運営しているのです。夜には、観光地を教えてくれ、コソボの歴史や対立している地域の子供なども教えてもらいました。あの笑顔が今でも忘れません。

 

3位は、「タイの長距離バスに乗り遅れた時の出来事」

乗り場を間違えてしまい、予約したバスは数分前に出発。諦めかけたその時、近くにいた人が車でバスを追いかけてくれることに。車の荷台に乗せられること約5分。乗り遅れた人がいると言う情報を聞いたバスが、待っていてくれたのです。優しいタイ人の方々のおかげで目的地まで無事到着することが出来ました。

 

 今回紹介した3つの話以外にも、沢山の人々に親切にしていただきました。その人たちに直接恩返しをすることはできませんが、私も外国人旅行者に親切にすることで、少しでも日本を好きになってもらい「また行きたい国」になればと思います。

(以上、私の甥・K.YOSHIHARAのコラム4月号「旅人として親切にしてもらった出来事」より。)

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ニューヨーク(グランドゼロ)  コソボ       サクラダファミリア

6 42 

ヴェルサイ ユ宮殿(鏡の間) アムステルダム ペトロナスツインタワー

      (フランス)        (オランダ)      (マレーシア)

 

 丁度、3月30日大阪で、タイのロータリークラブの「さよならパーティー」の場で、このコ ラムのことを話したところ、その文面をタイのメンバー12名を含む約40名のメンバーにその「世界に親切の輪を拡げたい!」の思いの文章を、披露していただいた。

参加者から、「感動する話である」「その人にも、ロータリクラブに入会してもらったら」などのお声をいただいた。

 

  その昔、大変暑い夏の大阪の南(難波界隈)で、地図を片手に悩む外国人、韓国人?男性に出会った。

当日宿泊予定のホテルを地図上で指で差し示したので、「COME ON」と、こちらも指で合図して一緒に約数百m歩き、そのホテルに案内した。

その時、彼は大変うれしかったようで、別れ際に自動販売機の前で、身振り手振りで何か飲み物をと勧められたが、笑顔で「NO THANK YOU」と手を振りながら別れた思い出が懐かしい。

最近は、スマホなどで調べながらの外国人をよく見かける時代となり、日本語でしゃべると翻訳してしゃべってくれる時代、偉い時代である。

 

  しかし、先日地下鉄天王寺駅で、一人の外国人男性が地図を見せ停車駅を指さし、この電車OKかとのことなので、淀屋橋駅まで同乗した。その間「WHER FROM」「コーリャン」と暫し片言英語で話した。淀屋橋駅で下車し駅の案内板を見て、現在位置を指示し「YOUR HOTEL EXET NO7」と説明すると、一拍おいて、彼が「サイナラ」と笑顔で言ったので、私も「サイナラ」と手を振り別れた。約20分位の出会いであった。

 

 比叡山延暦寺に行くと「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」と刻まれた石塔がある。

この精神が、世界の幸せにつながることを説いているとのことであるが、コラム「世界に親切の輪を拡げたい!」の思いも通ずるものがあるように感じた。

                                 2019-7-1

                                                  Y.YOSHIHARA 

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」

一隅(いちぐう)とは、今の自分のおかれている場所、立場で、ベストを尽くして徹する。今あなたが光れば、あなたの町や社会にも灯かりを、日本を、世界を、地球を照らす。

一隅から世界を照らし、一人一人が輝きあい、手をつなぐことが出来れば、みんなが幸せになり、すばらしい世界が生まれる。

(天台宗開祖・伝教大師最澄 767~822

著書『天台法華宗年分学生式(=山家学生式)』より出典)

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今月のひとこと『子どもの心に光を灯す日本の偉人の物語』

 

日本の歴史や文化について理解を深めれば、

 きっと誰もが日本を好きになり、 自分が日本人であることに

 誇りを持てるようになると思います。

 

 自分の生まれ育った国を心から愛することができれば、

 同じように、他国の人々も母国を愛し、

 誇りに思っていることに気づきますよね。

 

 そういうお互いの気持ちを大切にして、

 信頼関係を築いていけるのが、

 真の国際人と言えるのではないでしょうか。

 

 ◆歴史を学ぶと、希望が生まれる!

 『子どもの心に光を灯す日本の偉人の物語』(白駒妃登美・著)

 

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「平山善吉先生カンボジア叙勲」2019-6

 「永年にわたり上智大学アンコ-ル遺跡国際調査団の一員としてアンコ-ル・ワットの修復に尽くした功績に対しカンボジア王国より名誉あるサハメトレイ勲章大騎士章を授与されました。サハメトレイ勲章は、カンボジア王国と国民の為に対外関係や外交的任務の分野で傑出した貢献を果たした外国人に贈呈される勲章で・・・」との案内状が届いた。

 

3月29日(金)朝、新幹線で東京に向った。

大阪の桜はちらほらであったが、靖国神社ではほぼ満開で、桜咲く本殿にお参りして心願成就を・・・。

 

皇居のお堀端では、満開で多くの方が観賞されていた。

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          靖国神社                      皇居お堀端 

翌30日は、少し早くホテルを出て東京ミッドタウンのあたりでサクラを鑑賞しながら、六本木ヒルズを散策し、国立新美術館でトルコ展・オスマントルコの秘宝展を鑑賞。

53年前にお世話になった敷地内の別館(元・東京大学生産技術研究所)や、地続きの国立政策研究大学院大学を見ながら祝賀会の会場に向かった。

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 新国立美術館    新国立美術館別館  政策研究大学院大学(元・東大生産技術研究所)と六本木ヒルズ(左ビル)  

恩師・平山善吉先生(日本大学名誉教授、南極Ⅰ~3次越冬隊員、日本山岳会100周年会長、1991年よりアンコール・ワット遺跡国際調査団メンバー、上智大学アジア人材養成研究センター客員教授)が、アンコール・ワット技術指導に対しカンボジア・フンセン首相から「サハメトレイ勲章・大騎士章」受勲され、そのお披露目が東京の学士会館で12時より開催された。 

司会
半貫敏夫 ・日本大学名誉教授

開会の辞
清水五郎  西参道修復技術委員会、元・日本大学教授

祝  辞 
石澤良昭先生  上智大学アジア人材養成研究センター所長、 元・上智大学学長
田中信義先生  弁護士、元・知的財産東京高等裁判所・部統括判事、元・東洋大学法科大学院教授
吉田栄夫先生  公益財団法人日本極地研究振興会理事長、元・立正大学学長

石澤良昭先生祝辞
2018年12月4日、カンボジア王国シェムリアップ市において開催された第25回ICC会議(注)において、カンボジアのプーン・サコナ文化芸術省大臣より、平山善吉先生にカンボジア国王署名入りの「サハメトレイ勲章大騎士章」および勲記が授与されました。
 今回の勲章授与は、平山先 生が、多年にわたりアンコール・ワット西参道修復工事の設計・施工基本計画を取り纏め、工事の進展およびカンボジア人保存官の人材養成に対する貢献と、その顕著なる成果が高く評価されたことによるものです。
サハメトレイ勲章は、カンボジア国王とその国民のために多大な奉仕活動がなされ、文化発展の分野で傑出した貢献を果たした外国人に贈呈される勲章です・・・・・・・。
                2019-年3月吉日
上智大学アジア人材養成研究センター所長
ICC会議(注) 「アンコール遺跡保存修復国際調査委員会」

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平山先生「お礼の言葉」

・・・今回の受賞は私個人のものでなく、この仕事の携わった委員会の全員に対する受章であり、その代表として私が受賞したものです・・・・・・。
カンボジアには人類の宝というべき遺跡が沢山ありますが、これらの多くは崩壊の危機に瀕しております・・・。
今回からユネスコの指導により、出来るだけ現状保存をして修復を行うこととなりました。このため今回の私たちの修復は、今までにない修復方法を求められ、その提案は、ユネスコの委員会で認証された新技術です。
私達は、これらの遺跡の修復を通じ、カンボジア人技術者の育成をめざし、将来はカンボジア人自らが遺跡の修復を行うことを願っております。
すなわち、遺跡の修復は「カンボジア人による、カンボジアのための遺跡保存」をその理念とします。
末筆ではございますが、皆様のご自愛とさらなるご活躍をご記念申し上げお礼の言葉とさせていただきます。
                                     平山善吉・美恵子

乾杯 
田辺 寿 様  登山家、元・福岡ダイエーホークス球団社長  元・オ・プランタン・ジャポン社長 

お 話 し 「アンコール・ワットと西参道の修復」
 腰塚 達郎  アンコール・ワット西参道修復技術委員会  元・㈱清水建設 執行役員 

閉会の辞 伊豆原 月絵  日本大学教授 

  先生の人生の足跡をたどるような約200名の多くの多彩な著名な方々が参加された。

南極越冬の関係で公益財団法人日本極地研究所、南極観測隊員、日本山岳会会長の関連で日本各地からの山岳会の方々、元・ネパール大使、東京大学名誉教授、元・鹿島建設㈱副社長、この日の為にネパールから駆け付けられたヒマラヤ観光開発㈱社長・・・・・。 

先生とは、年賀状や電話、手紙で時折やり取りさしていただいている。前回の日本での叙勲祝賀パーティー(2014-1)や「アンコール・ワット西参道修復工事」調査・研究発表会(2015-7-25)に参加して以来、久しぶりにお目にかかることが出来た。

2014年の祝賀パーティーには、第24代自民党総裁・谷垣禎一氏(東京大学山岳部)、アンコール・ワット遺跡国際調査団団長・石澤良昭氏(元・上智大学学長)等のご挨拶、国立極地研究所長・白石和行氏(情報・システム研究機構 理事)はじめ多くの著名な方々の参加により、盛大に行われてはや5年になる。

今回も、著名な方々の挨拶や、参加により盛会であった。石澤先生とも久しぶりにお話しする機会に恵まれ、以前先生からもご案内いただいたアンコール・ワット遺跡保全運動のカレンダーを毎年購入さしていただいているとの報告もさせていただいた。

たまたま、同じテーブルで女性判事さん(東大・法学部)とも、杯を交わす機会があり、雑談を交わし名刺交換する機会にも恵まれた。

年度末の公私多忙の中であったが、又ご縁のある機会をいただいて感謝である。 
                   2019-6-1
                    Y.YOSHIHARA 

PS 327日はタイのロータリークラブとのウェルカムパーテー、29日は1泊2日の東京往復、31日の昼はRCの家族会観光、夜はタイクラブメンバーとのお別れパーティーへ。

その間、知人、友人の地方選挙もあり忙しい1週間であつた。 

花曇りの中、東京も大阪も底冷えのする1週間でもあった。

おかげ?で、少し疲れも出て体調不良気味?であったが、4月の2週間目に入り、公私共、やっと落ち着きを取り戻した。

平山先生に関連する過去に掲載の当ブログ「会長のひとりごと」

テレビドラマ「南極大陸」2011-12

「西堀榮三郎記念探検の殿堂と50人の探検家」2015-5

「アンコール・ワット遺跡―西参道橋修復」2015-10

「極寒地・南極建築展」 2017-2

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今月のひとこと『生きよう今日も喜んで』平澤興・著より

 
道のない野原を自分が歩く。

 貴方が歩けば道が出来る。


 
 道は自分で創る。

 歩くと道が出来る。


 
京都大学総長・平澤興氏の不朽の名語録集

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「五感ブランド誕生から今日までの歩み そしてこれから・・・」 ㈱五感ホールディングス代表取締役・浅田美明氏 2019-5

 ㈱五感ホールディングス・代表取締役・浅田美明氏講演による「次世代塾」が、登録有形文化財・(社)大阪倶楽部(中央区今橋・1924年・大正13年竣工)で開催された。

「五感ブランド誕生から今日までの歩み そしてこれから・・・」と題して。

㈱五感ホールディングス・代表取締役・浅田美明氏講演による「次世代育成塾」が、登録有形文化財・(社)大阪倶楽部(中央区今橋・1924年・大正13年竣工)で開催された。

「五感ブランド誕生から今日までの歩み そしてこれから・・・」と題して。

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   大阪倶楽部              浅田 美明 氏

その概要は

大阪北浜に本店を持つ「五感」。

大阪に生まれ、大阪に育ててもらった菓子職人であり経営者の浅田美明の菓子作りのこだわりと、人間哲学を話す。

新井ビルに縁を頂き、船場で暮らすようになった自分の役割を感じる。

これからの歴史ある船場(北浜)のありかたと大阪の発展について考えたい。

 

五感ブランドが創れたのは、はじめに哲学・理念があったからと語られた。

1)運が良かった。

五感を創業する際にどんな菓子をつくりたいのかと自問自答しました。今日の五感があるのは生まれてから今までの自分の生い立ちからくるものであると感じます。両親の真面目に働く姿や教育、それ以外に無形の財産をたくさん受け継いできました。五感は自分が創ったなんてとんでもない!そんな生き方や考え方を、たくさんの人々から学び、感じ受けてきたからこそブレのない哲学・理念が生まれ、周りの人々にかわいがっていただきとても運が良かったと思います。

 

2)出会いに感謝  

・業界の先輩達― 一度は両親と袂を分かち独立しました。その際に全国の業界の先輩を訪ね、ご指導いただいたことから今日の自分があります。時にはシュークリームによる大きな食中毒事件に対して、当時5名ほどでお菓子をつくっているオーナーシェフだったにも関わらず朝~夕方まで1ヶ月間毎日応援に行った事がきっかけで業界の先輩たちにもかわいがっていただきました。そんなご縁をきっかけに先輩仲間と共に阪急うめだ本店でお菓子の催事をさせていただき、初めてデパートにもご縁をいただきました。その後2003年に阪急うめだ本店に「五感」が誕生しました。

・父母― 生まれてから今日まで一番身近な厳しさと優しさをそなえた両親です。

・伊與田覺(さとる)先生― 論語を幼少の頃から学ばれ安岡正篤先生に師事。論語普及会の学監として世に人のあり方、人間学を説いていかれました。「致知」の創刊にも尽力されました。

その先生が父の恩師であったことから38歳ごろより教鞭に参加させていただいた事も今の自分の生き方に大きな影響を受けました。

・新井真一社長― 2003年9月阪急で五感オープンの後、2005年5月に北浜に五感・北浜本館オープンの縁をいただきました。新井社長は大正3年のお生まれで1970年日本万博博覧会の初代事務総長をされており岡本太郎さんにメインプロデューサーを依頼、結果的に太陽の塔を作らせた方です。この方との出会いから深く大阪の歴史に触れる事が出来、船場をもっと大切に…もっとこの歴史ある街を大切にしたいと思うようになり、カカオティエゴカンをオープン。もっとこの街に人が集うようにしたいと考えるようになりました。

3)大阪関西万博に夢を見る― 

今日大阪府菓子工業組合の副理事長として末席を汚しております。本年はG20サミットをはじめ大きなイベントがあり、2025年には大阪万博、我々の業界には全国菓子博覧会という4年に一度のイベントも2025年にあります。この菓子博を大阪で行い、日本の食文化をさらに世界に伝えたいと個人的な見解ではありますが考えています。今後の日本はIR(Integrated Resort/世界から見る魅力的な国・街づくり)の中に食の貢献は必須だと感じています。もう一度大阪の街が日本の玄関口として、更なる発展を遂げるべきではないでしょうか。

全ては私の個人の私見ではありますが…。

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新井ビル・北浜本館  チョコレート専門店「カカオティエゴカン」

        

     新井 真一 社長   伊與田 覺 先生

 

今回の浅田氏との出会いは、偶然にも大阪倶楽部での同じテーブルで向かい合って食事をする事となり、雑談からご縁が・・・。

「出会いに感謝」と語られた。私も、いつも出会い、ご縁が大切と思っている。

いろいろな方との出会いが、その輪を拡げていく。

「一隅を照らす」ことが、その輪を拡げて、個人から、家族、会社、社会と輪を拡げていくように。

 

1昨年秋、ネパールに旅行した時に、MR.SUREDRA.SHAKYA(お釈迦様の子孫) のご自宅で食事をいただいた際、金屏風に日本語で「人生はまさに出会い、縁、そして感謝」と書かれていた。訪れた方々に記帳していただいているとのことなので、私たちも名前と「ひとこと」言葉の記録を残して・・・。大変日本語の上手な方だった。気の毒な子供の幼稚園を援助されていることを聞き、鉛筆などを買い込んで慰問に向った。

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MR.S.SHAKYAの金屏風     幼稚園を慰問

 

今回の「次世代塾」の後、懇親会が開かれた。私がメンバーのゴルフコースの理事長さん、1150年の歴史ある杭全神社の宮司さんと懇意な方(私も、宮司さんとは懇意にさしていただいている)等、多くの方と名刺交換していただき、今回も多くの方との出会いがあった。

                 2019-5-1(令和元年5月1日)

                 Y.YOSHIHARA

 

浅田 美明 氏 略歴

1960年 大阪府生まれ。

      追手門学院高校、関西大学経済学部卒。

在学中に父が経営する「株式会社プチ・プランス」に入社。

2003年 「五感」を阪急うめだ本店で創業。

2005年 大阪北浜の登録有形文化財・新井ビルに北浜本館をオープン。

阪急、高島屋グループを中心に展開。出来うる限り日本の素材で洋菓子を創ることにこだわる。新大阪駅、関西国際空港、大阪空港等でお土産限定商品「ええもんちぃ」を販売。

在学中に父が経営する「株式会社プチ・プランス」に入社。

2003年 「五感」を阪急うめだ本店で創業。

2005年 大阪北浜の登録有形文化財・新井ビルに北浜本館をオープン。

阪急、高島屋グループを中心に展開。出来うる限り日本の素材で洋菓子を創ることにこだわる。

2006年 代表菓 黒豆マドレーヌ「ええもん」を発売

2009年 「ええもん」を大阪のお土産にという想いから、新大阪駅、関西国際空港、大阪空港等で小さなサイズの「ええもんちぃ」を発売。

2016年 大阪高麗橋にカカオ豆からチョコレートをつくる。

チョコレート専門店「カカオティエゴカン」を出店。

2017年 ㈱五感ホールディングスを設立。事業継承の準備をすすめる。

2018年 日本橋高島屋にカカオティエゴカンを出店。

      三ノ宮そごうに五感神戸店を出店。

 

PS-私も、月刊誌「致知」の愛読者の一人で、よく伊與田覺先生の巻頭語を、よく読ませていただいた。(平成281125日逝去 享年101歳)

 

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今月のひとこと 

論語普及会学監・伊與田覺氏

     「獨(どく)を愼(つつし)む」

 
自分を欺くことなく、誠を貫いていける人間性を養っていくには、日頃からどのようなことを心がければよいでしょうか。

「君子は、必ずその獨(どく)を愼(つつし)むなり」(中国の古典「大学」より)

立派な人物というものは自分独りでいる時、つまり他人が見ていない時でも己をしっかりと律していくという意味です。

「大学」ではこの「愼獨(しんどく)」を非常に重視し、人物になるための一番の基本としています。

 

人間学を学ぶ月刊誌「致知」の「巻頭の言葉」より

(2011年8月号)

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「パナソニック ミュージアム」2019-4

  1月末に「パナソニック ミュージアム」の松下幸之助歴史館を見学した。

門をくぐると正面の庭園に松下氏の銅像が。

左に歴史館があり、そのドアーを押し開けると正面にフロントがあり、笑顔の女性スタッフが来訪者を迎えてくれる。

 

 右通路の壁面には、当館案内の画像が流れ、その左には、あの「道」の言葉が。

「自分には 自分に与えられた道がある

 広い時もある 狭い時もある

 のぼりもあれば くだりもある

 思案にあまるときもあるだろう

 しかし 心を定め

 希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる

 深い喜びも そこから生まれてくる」


松下幸之助

  その横には、晩年の写真が掲げられ、奥に行くにつれて若かれし頃の写真が飾られている。

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    晩年の写真      歴史館内の配置図 
       

いよいよ、1章「礎」から7章「経世」のコーナーや「創業の家」、「ライブラリー」のコーナーに分かれた部屋に入る。

「1933年竣工の第三次本店があったまさにその場所に、当時の趣を忠実に再現した建物を最新技術で新築復元。松下幸之助94年の生涯を“道”としてたどりながら、幾多の困難を乗り越えるなかに松下幸之助が見出した経営観や人生観を学ぶことが出来ます。」と紹介されている。

 

1章 大阪で商人の礎を築くとともに、電気事業に目覚める

「礎」1904年~ 9歳の時に親元を離れ、大阪の五代自転車店で奉公始め、挨拶の仕方や頭の下げ方など、商売の基礎を学ぶ。

2章 松下電気器具製作所を開業

「創業」1918年~ 大開町(現・大阪市福島区)に松下電気器具製作所を開業。

考案した配線器具の「アタッチメントプラグ」などは、品質が良く価格も安く評判に。

3章 産業人の真の使命を知り、事業家として会社の基礎を築く

「命知」1932年~人間には精神的安心と物質的豊かさが必要であり、生産者の使命は物質を豊富にかつ廉価に生産提供との思いにいたる。

4章 戦後の混乱を目にし、人間本来の姿を探求する

「苦境」1937年~ 戦争の痛手から再建目指す幸之助は、これが人間本来の姿なのかという強い疑問を抱き、人間社会の意義について、さまざまな思いを巡らせる。

5章 アメリカで鮮烈な体験をし、世界的な観点からの経営を志す

「飛躍」1651年~ 「日本にもこんな豊かな生活をもたらしたい」との決意を胸にアメリカ視察から帰国した幸之助は、日本における電化の普及を牽引していく。

6章 高度経済成長の行き過ぎを警告し、不況打開に動く

「打開」1961年~ 金融引き締めが強化され、販売会社にも経営悪化が目立ち始める。幸之助は、 販売会社との懇談会(熱海会談)を開き、不況打開に全力で傾注していく。

7章 日本の未来を志向し、理想的な社会の実現に向けて動く

「経世」1968年~ 1973年(昭和48年)、幸之助は会長の職を退任、相談役に就任。経営に一線を画した幸之助は、憂国の情けを強くしていく。

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  「創業の家」再現  松下幸之助氏の著書  

 

幸之助氏は、多くの「名言」も残されている。

 

各章のコーナーに

「道」をはじめ「素直な心」「ガラス張り経営」「適正利潤」「物をつくる前に人をつくる」「企業は社会の公器」「事業は人なり」「熱意が道を切り開く」「成功するまで続ける」「自修自得」「周知を集める」等、配布されている。


又、多くの著書も出版され、

私の部屋の書棚に「松下幸之助 一日一話」「道を開く」「決断の経営」「商売心得帳」「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」「実践経営哲学」が並んでいる。


最近買ったのは、「松下幸之助成功の金言365」である。

その序に変えてのページに「素直な心で、当たり前のことを当たり前に自分で考える。その“自問自答”によって行動を起こす。それを積み重ねていく・・・・」とあり、1年365日の言葉とその解説が書かれており、いちど読まれてはどうでしょうか。

 

その見学会の折に、友人にその本を勧めたら、数人買い求めていたようである。

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(パンフレッツトより)   思いを未来へ

 

私が小学校の頃に、親から松下幸之助氏の生い立ち、成功の話をよく聞かされた。

1894年(明治27年 125年前))に和歌山県で生まれ、1989年(平成元年)4月27日に逝去され、2018年には創立100周年を迎えられたとのことある。

 

「経営の神様」「PHP設立」「松下政経塾の設立」等世間に多くの話題を提供され、

私も松下幸之助氏の書籍を愛読したおかげで、自分のみならず社員にも激励する基礎となった一人である。

         2019-4-1

         Y.YOSHIHARA

PS-94年間歩み続け、本年4月27日には、30回忌を迎えられるとのことである。

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今月のひとこと

「それぞれに与えられた道がある」松下幸之助

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  ライブラリーコーナーの写真より

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PS-恩師・平山善吉(日本大学名誉教授、南極Ⅰ~3次越冬隊員、日本山岳会100周年会長、1991年よりアンコール・ワット遺跡国際調査団メンバー、上智大学アジア人材養成研究センター客員教授)先生が、アンコール・ワット技術指導に対しカンボジア・フンセン首相から「サハメトレイ勲章・大騎士章」受勲され、そのお披露目が330日に東京の神保町・学士会館で開催された。

先生とは、年賀状や時折電話、手紙でやり取りさしていただいている。前回の日本の叙勲祝賀パーティー(2014-1「アンコール・ワット西参道修復工事」調査・研究発表会(2015-7-25に参加して以来、久しぶりにお目にかかることが出来た。

2014年の祝賀パーティーには、第24代自民党総裁・谷垣禎一氏、アンコール・ワット遺跡国際調査団団長・上智大学元学長・石澤良昭氏等の挨拶、極地研究所所長はじめ多くの著名な方々の参加により、盛大に行われて丁度5年になる。

今回も、著名な方の挨拶や、参加により盛会であった。たまたま、女性判事(東大・法学部)さんとも杯を交わす機会があり、雑談を交わし名刺交換する機会にも恵まれた。     

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当ブログ2015-10月号「アンコール・ワット遺跡―西進入路修復」に掲載済み。

今回の模様は、6月号で掲載予定。

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「府立高津高校創立100周年」2019-3

  昨年1124日、府立高津高校創立100周年」記念式典が大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で、祝賀会は隣接するリーガロイヤルホテルで開催された。

式典は、記念企画として1部―100周年記念ビデオ「高津のDNA」、ダンス部演技披露、2部は音楽部演奏披露(吹奏楽部、アンサンブル部、1・2年生音楽選択者)の後、校歌斉唱で幕を閉じた。

                    
    Photo    20181124 

         式 典       パンフレット

  記念ビデオ「高津のDNA」は、1918年初代校長三澤糾校長は「自由と創造」を提唱し、現在の自由な校風の礎を築いた。この校風のもと、女性教師の採用など自由で闊達な教育が推進された。(NHK朝の連続テレビ小説ドラマ「はっさい先生」で取り上げられた。)

2期目校長の退任後はあの名門・日比谷高校の校長に就任とのエピソードも。

旧制中学時代の作家・織田作之助の「夫婦善哉」の話題、1949年戦後間もない大阪府代表で高校野球の甲子園出場、文化祭、体育祭でのキャンプファィアー、1960年日米安保条約闘争では生徒会名で御堂筋パレードに参加(高校生が高校の団体名で、初めての参加と新聞掲載された。それは、丁度2年生の時であった。)

その安保の頃を振り返り、同期の宮原秀夫さんがビデオメッセージで参加された。

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             100周年記念誌より

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      織田作之助写真      法善寺「夫婦善哉」
    (同窓会館)    (カレーの自由軒)

 


 式典後の祝賀会は、隣の
リーガロイヤルホテルで行われた。その大阪会場の模様が、LIVEで東京会場に送られた。

その会場でも、100周年記念ビデオ「高津のDNA」が、披露された。

最後に、大塚善章先輩(関西ジャズ協会会長)の作曲された校歌(甲子園出場応援歌)をご本人自らのピアノ演奏で、参加者全員で歌い、散会となった。

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  祝賀会   同期メンバー 今も現役・大塚善章氏

                               (左から二人目)

大塚善章氏作曲、赤井文夫作詞 高津高等学校校歌「朝霧」

野球部の甲子園出場にちなんで応援歌として作られ、今は校歌として歌われている。

60年前の若き血潮のたぎる、制服もない自由な高校時代「赤の学校」とも揶揄されたが、そのおかげで?、今も毎月のように同期会が開かれ、いつまでも若い気持ちを持ち続けられているのであろうか?

メニエル氏症候群?でしばらく困っていたが、おかげで、どこかへ吹っ飛んでいってしまった。

 2019-3-1

          Y.YOSHIHARA

ある日、高校14期の幹事さんから100周年記念誌に投稿文のお願いの連絡があった。

同期には、元阪大総長・宮原秀夫さんはじめ、著名な方々がおられるのでと辞退を申しいれたが、宮原さんは別の出番があり・・・とのことであったので、当時(約60年前)の体育祭、文化祭や60年安保について綴ることとなった。

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        100周年記念誌より

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今月のひとこと 「学ぶ心」松下幸之助

 

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、

この人間の長い歴史、

どんなに小さいことにでも、

どんなに古いことにでも、

宇宙の摂理、自然の理法がひそかに

脈づいているのである。

そしてまた、人間の尊い知恵と体験が

にじんでいるのである。

これらのすべてに学びたい。

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