「防護服とマスクの寄贈」2020-8

 4月末に、知人である徳岡氏から、防具服と医療用マスクの寄贈先の相談が寄せられた。
台湾の台南エリートロータリークラブが、防具服と防護マスクの寄贈先を探がされているとのことであった。

  私の知り合いを通じて、大阪市の関係者を紹介していただいたところ、担当者がパニック状態で、何時、何処に寄贈できるか疑問との返事があり、徳岡氏(国際奉仕委員長)を通じてクラブに伝えていただいた。
先方から、出来れば、寄贈先、時期などがわかればありがたいとの返事が、帰ってきたとの報告を受けた。

 私と徳岡氏とは、大学病院への寄贈が良いのではとのことから、大阪大学医学部なら高校同期の元・総長の宮原秀夫さんに、大阪市大医学部なら私の知人(大阪平野RC会長)で学長アドバイザーの伊藤英樹さんに声をかけようかと相談の結果、初めに大阪市にお声掛けしたいきさつから、伊藤氏から市大に連絡していただくこととなった。

 427日(月)昼前に伊藤氏にお願いしたところ、学長に連絡してみるとのことであり、そのことを徳岡氏に報告。翌28日、徳岡氏から先方のRCに報告したら、30日(木)昼に「台南市の副市長参加のセレモニー」があるので、その際に皆さんに報告できればありがたいので、それまでに、結論をお願いできないかとの返事が・・・。

 翌日の29日(水)は祝日なので、如何なものかと一抹の不安を抱きながらも、伊藤氏に連絡したら、大学側は大変ありがたい話であるとの返事が・・・。
早速、台南エリートRCに報告していただき、とりあえず一見落着の月末であった。

 

 その後、徳岡氏と市大付属病院の担当者との連絡により、無事に防護服および医療用マスク500が、大阪市大病院に届いた。 
コロナ問題が一段落した6月初旬に、病院から感謝状が贈られた。
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平田病院長、荒川哲男学長、大坂アーバンRC・岡会長、徳岡・国際奉仕委員長

 

 人間、長く生きていれば、何かとご縁ができ、お役に立てるものである。

  

  又、我々大阪平野ロータリークラブにおいても、5月末に大阪市の小学生にマスクの寄贈し、その模様が、毎日新聞(531日)朝刊に掲載された。

「マスクで子供たちを守って」大阪平野RC22小学校に55000枚寄贈(見出し)

 大阪平野ロータリークラブ(伊藤英樹会長、51名)は小学校授業再開に向け、大坂市平野区の市立小22校にマスク計55000枚を寄贈した。伊藤会長らが28日、市立長原小(137人)を訪れ、長井博和校長にマスク2500枚を手渡した=写真。マスク不足が表面化した当初は区内の医療関係者への寄贈を模索したが、入手ルートがつかめず断念。5月に入って、ようやく確保の見通しが立ち、再会を控える学校への寄贈を決めた。会員が手分けして、20日から各校に配布。
伊藤会長は「教職員にもマスクを使ってもらい、子供たちの安全を守ることにつながれば」と話した。
長井校長は「臨時休校中の登校日にもマスクを忘れてくる児童がいたので、学校で使えるマスクがあるのはありがたい」と話した。

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平野区の市立小学校22校に、1週間の内に当クラブ員が手分けして配布した。

 

今回コロナウイルスにさいしても、海外のRCからも寄贈していただいた。
1995117日に発生した阪神淡路大震災の折も、海外のRCから「医者を派遣するから、宿泊施設を確保してくほしい。」との連絡があってから、早や25年経った。

  9年前の東日本大震災の折にも、すぐに連絡が入った。

そのクラブとは、今も姉妹クラブ(タイ、台湾)として交流が続いている。

                      2020-8-1
                      Y.YOSHIHARA 

  4月中旬、松井大阪市長が防具服不足の解消にビニールの雨ガッパを使用しているとの報道を見た滋賀県大津市で開業されている台湾出身の王輝生医師(婦人科)が、台湾の医師に協力依頼をした。台湾の新聞にも報道され輪が広がった・・・。(5月中旬・テレビ“Mr.サンデイ”で取り上げられた際に、王医師と中継)

今回、徳岡氏からの防護服の寄贈先の相談を受けたのは、4月下旬であったことから推察すると、この王医師の行動が原点であったのだろうか?。
次回、徳岡氏にお会いした時に、聞いてみようと思う 

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今月のひとこと「広いお胸」坂村真民
 

「嵐は かならず 去る

 火は かならず 消える

 夜は かならず あける

 このことが わかれば

 大抵のことは 解決する・・・」

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2020-8-4

   先日、台湾の李登輝・元総統が逝去された。新聞、テレビなど多くのマスコミから、その偉業が照会された。

日本の大学を卒業され、日本のことを我が国のように想い、日台強化に尽力された・・・。

 
   今月号当
ブログ、「台湾からの500もの防護服、防護マスクの寄贈」は、この精神が受け継がれているのであろうか.

 

先日の例会(6日)時に、タイ・プラカノンRCからも、マスクが送られてきたとの報告を受けた。

 

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「ストレス解消・コロナウイルス」 2020-7

 3月17日、フランスと日本を行き来する作家・石田ハマさんは、フランスにいた。
その日は、ロックダウン・外出禁止令が出された日である。

午後7時になると国民は窓を開け、過酷な医療従事者に対して拍手を送ってねぎらった。
その様子を見て「喝采」と石田さんは、名づけた。

その後、日本に帰国する空港では、日本人は冷静に、人前ではしゃべらず、・・・・・それは、外国で生活していると特に日本人の良さや強さを感じた・・・。

石田さんの作品「たゆたえども沈まず」
「どんな厳しい嵐でも、それが過ぎれば・・・・・。」 と、石田さんは語る。
5月初旬NHKテレビで)

  山中教授―PCR検査について、「大学の医療機関が設備を持っているので、それを活用すればかなりの数が・・・」との安倍総理にアドバイスの様子が、テレビで中継された。(5月の連休中)
それを聞いた医師か評論家?が、検査になれていない人でないと難しいとも語る・・・。

又、後日山中教授が「実効再生産数(k)」の話、患者が少し減少、横ばいの地域は、経済対策も考慮しながら、そして「ウイルスとの共存」は1年で6割減に・・・と語られた。

 

  直接目に見えない、誰しもが確証できないこの問題に、 各局のテレビ報道でも同じ事ばかり?で、余計にストレスがたまる毎日であった。
誰が悪い云々の評論が多いが、人のせいにしないでほしい。
いい案があれば、意見を述べてほしい。
早い回復を願う気持ち、思いは誰しもが一諸であろうに・・・。

  
 これを機会に、「平和が如何にありがたいものである。」と気づく良い機会ととらえて、マイナスばかり考えずに、プラス思考で行きたいものである。
「プラス思考、あるやなしやが、分かれ道」

 小学生が「このピンチを、チャンスに帰る努力を」と語る場面がテレビで放映された。

私は、BS・NHK等で、心休まる番組や、趣味の内容の録画番組を観て、ストレス解消している

 

 5月初旬に池江璃花子(史上初、アジア大会六冠。その後白血病発症)さんは、NHKテレビで語る
「振り向かずに 前へ」
「必ず 戻ってきます」

昨年急遽入院、1日20錠の薬を飲み,10ヶ月の入院生活の後に退院。
「こんな苦しいのだったら、死んだ方がいい」

同じ入院患者・吉田麻里さんと語り合い、精神的に楽になったと語る。
「当たり前が、如何に幸せか」

本年2月8日トレーニング開始
「自分と同じ病気になった人に勇気を与えたい」

3月17日プールへ
「日常生活に、感謝」
「どん底まで行った人間が、一歩づつ、未来に向った姿を見せたい」
 そして、2024年のパリオリンピックに照準を合わせて・・・と池江さんは語る。

 年に60日スキー場にいると語る星野リゾート会長は
「五年後、生き延びた時に、この経験を勲章に!」と語られていた。

 これを機会に、「如何に平和がありがたいものか」と気づく良い機会ととらえて、マイナスばかりを考えずに、プラス思考で行きたいものである。

「プラス思考、あるやなしやが、分かれ道」        
                                  
2020-7-1
                                  Y.YOSHIHARA

 

「池江、10月復帰戦目指す」産経新聞(7月3日朝刊・一面に記事)

白血病と闘う競泳女子の池江璃花子選手(19歳)日本大2年、ルネサンスーが、2日、昨年12月の退院後初めて練習を公開、10月上旬の日本学生選手権でのレース復帰を目標に掲げた。出場すれば、昨年1月以来1年9ヶ月ぶりのレースとなる。

(同じ入院患者であった吉田麻里さんは、退院されたのであろうか?)

 

PS-本ブログが今月号で、16年目に突入!

朝の散歩道で(5月)

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             電柱に寄りそう花        ドラムカンの花  

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     道路の青ガエル     我が家屋上の青ガエル・テントウムシ

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今月のひとこと

「コロナウイルスに打ち克つ危機管理について」織田邦男教授


「有事の際のメディアの役割は、

政権批判や素人のコメンテーターに面白おかしく意見を言わせるのでなく、

できる限り正確で専門性の高い情報を発信し、

日本がワンチームになるべく国民のフォロワーシップをうまく熟成することです。

政府もメディアも国民もすべてが運命共同体です・・・。」

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    我が家のビワ         我が家で羽化したセミ



PS-私の知人から「検温カメラ」の案内が送付されてきました。
 「タブレット型体温検知カメラ TMT-01Sは店舗や施設の入口に設置し、リアルタイムに入場者の体温測定を行うことができます。
また、顔登録機能を備えており、入退室管理と連動することも可能です。
効率的な体温計測・管理機能で、安全管理・予防に効果を発揮し、人的コストも削減します。

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 Tel:06-6228-0577
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「”親子の日” ブルース・オズボーン氏」2020-6

「母の日」は5月第2日曜日、「父の日」は6月第3日曜日
そして「親子の日」は7月第4日曜日と、ブルース・オズボーン氏は、語られる。

親子の日は、親と子が向き合う日
         親と子の思いやりと愛情に包まれる日
         親であることの喜び、子であることの幸せを感じ合う日。
アメリカ人写真家ブルース・オズボーンの呼びかけで始まった。
そのご夫婦に、偶然お会いする機会に恵まれた。

 
  坂根直樹理事長から「写真展開催レセプションの案内」をいただいた。
3月11日、東日本大震災発生9年となることから、大震災に際し共同で救援、人道支援にあたられました在日米軍及び防衛省からなる貴重な記録の貸し出しを受け、別添のごとく「トモダチのきずな写真展」を開催する運びとなりました・・・・・。

  2月末日、新コロナ・ウイルス問題で、3月9日(水)の開会セレモニーは中止の連絡が入ったが、写真展は予定通り開催された。

 
 
3月末日、急遽、河野太郎防衛大臣、ニコラス・ヒル米国大使館首席公使代理が、公務ご多忙の中、東京の外国特派員協会での写真展に来訪されることとなった。坂根理事長からの連絡が入り、新型コロナウイルス問題真っ盛りの中、上京してお迎えをした。
5階エレ―べ―タ―前で、理事長と私で大臣をお迎えし「公務ご多忙の中、ご苦労さまです。」とご挨拶させていただいた。

 約30分、熱心に理事長の説明を聞きながら見学され、理事長の奥様のお点前で歓談、休憩いただき、大臣、アメリカ大使館首席公使代理、日本外国特派員協会・会長(外国人)を御見送りした。


  その後、約10名弱の主催者側の皆さんで、私共も理事長の奥様のお点前をいただきながら、今日の思いを語りあった。
今回の実行委員長で、写真家・ブルース・オズボーン氏(アメリカ)ご夫妻と名刺交換させていただいた。
その方が、「母の日」5月第2日曜日、「父の日」6月第3日曜日、そして「親子の日」7月第4日曜日(2003年提唱)と説かれるブルース・オズボーン氏であった。
1950年生まれのアメリカ人で、1980年から日本で活躍され、1982年よりライフワークである「親子」シリーズを手がけ、東日本大震災(2011年3月11日)の地にも何度も赴かれ、東日本大震災復興支援ブックレット「仲間がいる。家族がいる。絆がある。」等、写真を通じて「親子の日普及推進委員会」で活躍されている。


帰り際に、皆さんにそのパンフレット、復興支援ブックレット等をいただいた。 

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                         震災復興支援ブック 

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         映画監督・大林宣彦親子           歌手・安田祥子親子

2017年、「親子の日」の活動への評価を得て、東久邇宮文化褒賞を授賞された。

 
   帰阪の新幹線の中で、それらを読ませていただき、「親子の日普及推進委員会」(「親」と「子」の関係を見つめ、自然をも含むすべての「環境」に敬意をはらい、平和を願うという理念に共感して発足した委員会)の活動に、感動させていただくひとときであった。

 
  上京(日曜日)の新幹線の乗客は満員であったが、帰阪(月曜日)は2~3割ぐらいであっただろうか。
家内も、息子も、コロナ問題で気にしていたのであるが、(当時、高齢者が危険と報道されていた。)、潜伏期間と言われる2週間過ぎても元気である。

                                             2020-6-1   
                                          Y.YOSHIHARA

(東京へ行くと、靖国神社か明治神宮にお参りしている。今回は、靖国神社へお参りして帰阪した。本殿に入っての参拝は、いつもは数人の方との参拝であるが、今回は私一人であった。ここにも、コロナ問題が影響しているようであった。)


(―坂根理事長から「写真展開催レセプションの案内」―
2月末
・・・別添のごとく「トモダチのきずな写真展」を開催する運びとなりました。
 本事業は8年来、諸団体のご協力により、西日本各地42か所で巡回開催してきた写真展の一環であり、今回はとくに日米両国の長い歴史に基づく友好親善のさらなる進化、強化に資するとともに全世界から集う外国特派員の皆様の手で今年60年を迎えた日米同盟・安全保障の意義を広く国際社会に告知する機会と考えます。この写真展の趣旨に賛同され、会場を快く提供いただきました公益法人日本外国特派員協会様のご好意に厚く感謝申し上げます・・・・・。


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今月のひとこと「幸福に生きる秘訣は」

「幸福に生きる秘訣は、
     自分のいちばん好きなことをして生きる、
     ということに尽きる。」

 「個性というのは元々傷なの、欠点なの。
     それに誇りを持ったら初めて個性になる。」

「人生は、奇妙奇天烈。 
     ならば生きよう、面白く。」 

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ)82
1938年19日~2020410

映画監督、旭日小綬章、文化功労者
倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、
尚美学園大学名誉教授
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大林宣彦作品「この空の花 長岡花火物語」
東日本大震災後を生きる子供達への希望が描かれている。)

2019年遺作「海辺の映画館、キネマの玉手箱」は、本年410日公開予定であったが、新型コロナウイルスの為に公開延期。
4月11日の朝刊に、肺癌のために10日逝去(82歳)の報が・・・。


(私のブログ「会長のひとりごと」掲載お願いメールに、オズボーン夫妻からの返信)

大林監督が私たちに贈ってくださった素晴らしい応援メッセージがありますので、シェアさせていただきます。
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《大林宣彦監督からの応援メッセージ》
 
親子の絆は縦軸のコミュニケーションである。現在と過去、現在と未来を結ぶ時間を豊かにしてくれる。情報社会は横軸の世界を広げてくれたが、縦軸の約束を忘れてきた。その事が現代の不幸を多くを生んだと反省する今、親子を結ぶ物語が切実に必要だ。「親子の日」を応援します。  
 
大林宣彦/ 映画監督

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    河野防衛大臣を囲んで    山崎幸二・防衛省統合幕僚長 陸将

(左より、オズボーン夫妻、協会長、大使館主席公使代理、大臣、理事長、お出迎えの面々)

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「安比高原スキー場」 2020-5

  昨年末、お世話になっている㈱小松建築事務所・小松俊雄先生から、安比高原スキー場(岩手県・当時スキーファンを魅了したトニーザイラーが設計)へのお誘いを受けた。以前、先生の知人が「安比は雄大なので、これで、海外まで行かなくても良くなった。」と言われたと聞いたことがある。 

  昨シーズンは、朝の食事で台湾からの団体客と顔を合わせたが、今年は、新コロナウイルスの為であろうか、みかけなかった?。

  しかし、雪のないタイから約150名参加のスキー競技大会が開催されており、10日間ほど滞在とのことであった。偶然、エレベーターに同乗した男性が、タイの国旗を腕にあしらっていたので、両手を合わせ「コップン・カ(こんにちわ)」と言うと、「ユウ、タイランド」と英語で話し掛けてきた。私は、「NO, JAPAN」と笑顔で答えた。
暫しの間、片言英語で話し合った。 
   リフト、ゴンドラや宿泊ホテルで多くの隣り合う外国人と片言英語で話すのも楽しいものである。

   大浴場(温泉)の浴槽で、50代のオーストラリアの方に「ケアンズの海が素晴らしかった。」と片言英語で話すと、彼はケアンズ生まれで、多くの日本人商社マンがいると説明してくれた。脱衣所では、なんと隣の駕籠を彼が使用され、又ここでも会話が弾んだ。    

  片言英語の通じる2泊3日、積雪200cmのパウダスノーを味わった。

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   この安比高原スキー場は、㈱リクルートと地元自治体の第3セクター(当時流行)で運営されて約35年になるが、最近、残念なことに外国人経営者になったと聞いている。

   20数年前、朝食時にリクルートの江副(えぞえ)浩正・創業者、社長が隣のテーブルでミーティングを、夕食のレストランでは、宝塚歌劇の元トップスター・鳳蘭さんが子供連れでこられていた。
  阪神淡路大震災の年には、エレベーターでスーパー・ダイエーの中内会長と一緒になるやら・・・。 

  今回のスキーは、2月28日(金)開催の人間国宝・柳家小三治さん(80歳)の落語会「どこからお話ししましょうか」に合わせてのスキー旅行であった。午後8時から一門の落語が始まり(一人約15分)、8時30分ごろからであろうか、いよいよ師匠の登場。この落語会が20数年続いてきたこと、自分のオートバイでツーリングなど趣味の事、最近怪我によりスキーが出来ないことなど話され、10時頃になると袖から「もう10時ですよ。」と声がかかると、我々に「今日は、落語やるんですよ。」との言葉に、会場から笑いが起こる。そしていつの間にか落語が始まった。
まさに「どこからお話ししましょうか」を地で行くすばらしい落語会であった。

  小松先生は、奥さんがお世話になっておられるお医者さん・高見元敞氏と同伴された。
   高見氏(元・市立豊中病院長)は、市立豊中病院が岡上の町から柴原町への移転(1997年11月3日)に尽力された当時の病院長で、その新しい施設が大いに評価され病院建築賞を受賞された。先生は、消化器系のがん治療が専門、阪大の大学院卆とのことであった。
   私の高校同期で友人の大橋秀一・健保連大阪中央病院長(本年3月退職、平成9年大阪大学医学部・内視鏡外科学講座教授)や、宮原秀夫・元阪大総長の話をすると、「あなたは、高津高校ですか?」と聞かれたので「そうです。」答えた。なんと、高見氏は高校の7年先輩であることが分かった。

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            市立豊中病院                   杉田ビル新築工事
    設計・㈱伊藤喜三郎建築研究所           設計・㈱小松建築事務所
    施工・竹中・鴻池特定建設工事共同        施工・当社 

  今回も小松先生のおかげで、偶然の先輩との出会い、外国人との片言英語の出会い、またまた良いご縁が出来た。

                                     2020-5-1
                                   Y.YOSHIHARA

 本日、大橋秀一・健保連大阪中央病院長(3月退任)と会い、高見先生とのことをお伝えし、20年間の病院長生活の労をねぎらった。、

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今月のひとこと「いくつになっても夢は叶う」

「人間は年を取るほど できない理由を並べます。 

 しかし、最後の最後まで 諦めなければ 

 いくつになっても夢は叶う 」

三浦雄一郎(冒険家・プロスキーヤー、獣医師)
1932年10月12日生まれ(満87歳)

1962年、トニーザイラーらオリンピック元メダリストらが名を連ねる世界プロスキー選手権で8
1985年 54歳で南アメリカ大陸最高峰アコンカグアの滑降、世界七大陸最高峰全峰からの滑降に成功。
2008年526日 75歳でエベレストに再登頂。
           (私も75歳で富士山に再登頂、54年ぶりに)
2013523日 80歳で3度目のエベレスト登頂に成功。

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「災害復興支援活動写真展」2020-4

大阪市役所玄関、ロビーに於いて「災害復 興支援活動写真展」が開かれた。
(令和2年1月27日~30日)

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司会進行は、府立天王寺高校・放送部のメンバーで開会式が進められた。
開会式典には、井上・実行委員会会長、大阪市・松井市長、駐大阪・神戸米国領事館・カレン・ケリー総領事、自衛隊・梶原師団長の皆様のご挨拶で始まった。 

活動報告―大阪府立大学、大阪市立大学の学生
防災宣言―府立天王寺高校、手塚山学院中学、小学校の生徒、児童
市民防災劇―地域防災市民劇団スミヨシ・テクト・カンパニー
復興祈念コンサート―手塚山学院小学校合唱部

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     (写真中央・松井一郎市長、右上・カレン・ケリー総領事) 

                                                                          
(配付されたカレン・ケリー総領事の挨拶文より抜粋)
・・・・・本日、災害支援と復興活動に関するこの重要な写真展開催に際し、ご挨拶できる事を光栄に思います。多くの方の献身と尽力でこの写真展が実現しました。
掲示写真は、東日本大震災に立ち向かった日本人の勇気と果敢な行動の記録です。
写真が伝えるもう一つは、被災地に生まれた助け合いの精神です。
政府機関、非営利活動団体、個人、ボランティア団体間の協力、協力は県境を越え、地域社会でも生まれました。
東日本大震災のトモダチ作戦での米軍と自衛隊の協力です。
TOMODACHI世代の日米の若きリーダーたちはグローバルな技能と考え方をそろえています。 

 約1年前から、大阪で初めてのこの写真展の企画構想の話を親友の井上雄策さん(顧問・実行委員会会長)、知人の支援機構理事長・坂根直樹氏から聞かせていただいた。
今回開催に際し、片隅で協力?さしていただいた一人として、大変有意義な催しに参加させていただきありがとうございました。 

私の所属するRCのメンバー約40名も、社会奉仕、職業奉仕の一環として最終日に写真展を見学させていただき、中務敦行・副理事長の説明に、熱心に聞きいった。 

今回も多くの方々とのご縁ができ、益々感動を覚える催しであった。 
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  3月7日から約1ヶ月間、規模は縮小されて東京の外国特派員協会の建物で「トモダチのきずな」写真展が開催。
 
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  東京写真展(2020-3/7~4/3)        鳥取写真展(2019-9)
           
―坂根理事長から「東京・写真展開催レセプションの案内」―

3月11日、東日本大震災発生9年となることから、大震災に際し共同で救援、人道支援にあたられました在日米軍及び防衛省からなる貴重な記録の貸し出しを受け、別添のごとく「トモダチのきずな写真展」を開催する運びとなりました。
 本事業は8年来、諸団体のご協力により、西日本各地42か所で巡回開催してきた写真展の一環であり、今回はとくに日米両国の長い歴史に基づく友好親善のさらなる進化、強化に資するとともに全世界から集う外国特派員の皆様の手で今年60年を迎えた日米同盟・安全保障の意義を広く国際社会に告知する機会と考えます。この写真展の趣旨に賛同され、会場を快く提供いただきました公益法人日本外国特派員協会様のご好意に厚く感謝申し上げます・・・・。

  2月末日、新コロナ・ウイルス問題で、3月9日(水)の開会セレモニーは中止の連絡が入ったが、写真展は開催。

    3月末日、急遽、河野太郎防衛大臣とニコラス・ヒル米国大使館首席公使代理が、公務ご多忙の中、外国特派員協会での写真展に来訪された。

カルドン・アズハリ協会会長、ブルース・オズボーン展示委員長(写真家)ご夫妻、坂根直樹理事長はじめ関係者でお出迎をされた

坂根理事長(全国災害復興活動支援機構)からの連絡で、私も上京し、「公務ご多忙の中、ありがとうございます。」と大臣をお出迎えの折にご挨拶した。 

後日、藤原崇・復興大臣政務官も来館され熱心にご観覧頂いたとのことである。

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       パンフレット     河野防衛大臣を案内される坂根理事長


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今月のひとこと坂村真民一日一言」(坂村真民・著)より 

「悩めるS子に」

 だまされてよくなり
        悪くなってしまっては駄目

 いじめられてよくなり
        いじけてしまっては駄目

 ふまれておきあがり
        倒れてしまっては駄目

 いつも心は燃えていよう
        消えてしまっては駄目

 いつも瞳は澄んでいよう
        濁ってしまっては駄目

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「リーチマイケルと錦織圭と・・・」2020-3

「リーチマイケルと錦織圭と日本代表の意外な関係」
テニスの錦織圭と、俳優・モデル・歌手・大沢たかおが、リーチマイケルを出迎えるところから番組は始まった。マイケルは、世界を舞台に活躍したアスリートたちにスポットを当てた「The世界力4」というこの番組に出演の為にニュージィ―ランドから一時帰国した。そして、大沢がナビゲートする。

  マイケルは、昨年開催された“ラグビーワールドカップ2019年日本大会”で日本代表のキャプテンとして活躍し、難敵相手にベスト8に輝き、マスコミにも注目され、知る人ぞ知る時の人となった。
又、錦織圭(30歳)は、世界のテニス界でトッププレーヤーであるセルビアのノバク・ジョコビッチ(32歳)に毎回苦戦を強いられていることは世間でも周知されている。

  2015年ワールドカップ・南アフリカ戦の前にエディ・ジョーンズ監督は、2014年のジョコビッチを撃破した錦織圭「どんなに強い相手でもひるむことなく、自分の力を信じる精神を!」との画像を選手にビデオで見せ「逆転せよ。」と。その錦織の闘志が、ラグビー日本代表に火をつけた。
2019年番狂わせとも言われた試合を、錦織はスタンドで見ていた。それは「メンタル」な面をラグビーで学びたいとの思っての観戦であった。

 マイケルは、前回もハードな特訓であったが、昨年はそれを上回るものであり、その「地獄の特訓」2019年6月の合宿について語る。
6時30分起床、280kgのバーベルを、その後午前午後の練習、夕食後もトレーニング、お腹が減るので就寝前にスナックを食べ、22時就寝の生活が30日間続く。
日本代表を作り上げるために、メンバー31名、外国人16名(7ヶ国)が、誇りを共有する。お互いの違う文化の中、「日本代表という気持ち、より日本により愛情をもつ。」ことが大事とマイケルは語る。

  日本人は自信がないメンタルに弱い。(エディ監督は、小さな体の錦織が大きな相手を倒している映像を見せ・・・・。)
錦織は、弱肉強食のアメリカに渡り、10年かけて、海外選手の闘争心を学び30歳となった。積極性をアメリカで学んだと。
マイケルも31歳との事。
マイケルが落ち着いた話し方なので、もう少し年上と思っていたのにと錦織が話す。
司会の大沢も、自分と年齢が同じくらいだと思っていたとのことで、3人に笑いが。

 お互い20才の頃と同じようにいかない年になったと語り合う。
錦織は、改善の為に違う意見をとの思いで、永年のコーチと別れたとも語る。

  司会進行役の「大沢たかお」は、サッカーのアスリート・香川真司に会うためにスペインへ向かう。 
2012年マンチェスター・ユナイテッドで活躍するも、2018年戦力外通告される。
2019年8月、スぺイン・バルセロナの2部リーグへ。30歳になりさらに羽ばたく夢を。しかし、2部の設備、待遇悪く、本人の体調、チームの成績も悪く泥臭いプレーも多くなる。通訳もいないし、片言英語、スペイン語、練習も控えに、守備位置も下がり、78時間近いバス移動。しかし、宿舎では、日本人のシェフとトレーナとの生活。
2部リーグにおいても、代表に入れていないが「燃え尽きたわけでない」と。
ネガティブに、自分は何をするためにきたのか。
年齢が上がれば、それに打ち勝つ。
トレーニングの変化、アドバイスを求め(自分の感覚だけでは、限界が)「より人の意見に耳を傾ける」」「目標があるからと自分に」 

香川がスタジオのマイケル、錦織と30歳代のエール交換が行われた画像が流れた。 

 再び画面は、マイケルと錦織に戻る。
錦織は「ポジティブなことを心がける。マイナスにならない、未来を見て、過去の事を試合中には考えない・・・。」
「ポジティブな親友」真面目な二人。
24~25歳は「“おお”と身構まえた。」が、今は「行ける。勝てる。」
ただし、ジョコビッチは、自分の世界入り、相手の表情を見ない。(自分も集中の為に、下を見て歩くと。) 

“東京オリンピックで、メダルを”という表題、4人目の新世代のメダル候補・五十嵐カノア候補が紹介される。23歳、プロ並みのサーフアー。
2019年チャンピオンシップツアーで、アジア人初タイトルで優勝。
技術面、メンタル面で世界のトップ10に入る。
昨年10月大沢たかお氏は五十嵐に会うべく、五十嵐の住むポルトガル(エリセイラ)へ向かう。そこは、漁村で、小道、坂道の多いサーファ―の町で、両親と共に移住。
“異次元の世界”“波を追って世界の旅を”南アフリカ、カルフォルニア、・・・。
自分の長所は、技も大切だがカッコよく見せること。その日の波を見て、多くの自前のボードの中から選ぶ。
「レイ・バックターン」を、両親が撮影し、それをチェックする。彼が3歳の時から。
親子2代の世界力。彼を、世界的サーファーに育てるためにアメリカに移住。
「プレッシャーがあるから・・・。」 

又、錦織は「大阪なおみちゃんのあの若さ。メンタル面で、若い人は強くなって来ている。」「心技体を鍛え、運に導かれるように日々努力します。」と語る。 

大沢たかおも“沈黙を破り、初めて胸中を激白”それは、2018年8月ロンドン・ウエストでのミュージカル「王様と私」に出演も、廻りは外国人俳優で、皆ライバル。打ち合わせで意見を言うと、鼻で笑われた。あの時の悔しさは・・・。 

この番組「The世界力4」は、リーチマイケル、錦織圭、香川真司や、五十嵐カノアを大沢たかおがナビゲート。
世界に通ずるアスリートの日本人のメンタル面克服の話題であった。 

  私の親友・井上雄策さんの後輩(同志社大学)にあたる30歳前半の伊勢田愛(めぐみ)さんが、2016年リオ・オリンピックのウィンド・サーフィンに(2012年世界大会で2連覇)日本代表で出場されるも、入賞できなかった。
今年の東京オリンピック代表の内定時期は・・・?。

  日本のスポーツ界も、益々年齢が若くなり活躍、テレビのインタビューにもしっかりと答える姿を見ていると、まだまだ日本も見捨てたものでないと感じるこの頃である。
                            2020-3-1
                            Y.YOSHIHARA

伊勢田稔氏(伊勢田愛さんの父)は、江の島の湘南ボーイ、ウィンドサーファー、過去に日本のシニア―大会で優勝され、今も琵琶湖でウィンドサーフインのスクールを開業されている。(20168月号掲載)昨年言葉を交わした方が、愛さんなのだろうか。
伊勢田稔氏(冬はスキーでSAJ一級)
2008
年 全日本WAVEクラッシク オープンクラス・優勝 
2013
年 全日本WAVEクラシック スペシャルクラス・準優勝

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今月のひとこと稲盛和夫「利他の心こそ 繁栄の道」より 

「人は得てして、恵まれた環境にあっても、
与えられた仕事をつまらないと感じ、不平不満を口にしがちです。

しかし、それでは運命が好転するはずはありません。

与えられた仕事を天職と思い、
その仕事を好きになるよう努力していくうちに不平不満は消え、
仕事も順調に進むようになっていく。

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「”オリンピックの聖火”再び東京へ」2020-2

 この夏、いよいよ2度目の東京オリンピックが見られる。

前回は大学生で、10月10日体育の日に開催、快晴の秋日和の大会でいい気候の良い時期であったと記憶している。

今回は、真夏の7月から8月の暑いさ中で、色々と論議を呼び、特にマラソンコースの急遽札幌開催変更で大変物議を交わした・・・。

しかし、アスリートファストで考えれば、いたしかたないのではないだろうか。

 

競技場設計の選定にも、紆余曲折の中やっと完成した。

 将来の活用を考え、屋根をつけコンサートも出来るようにと当初計画のザハ・ハデット氏(故人)案(46作品の中から最優秀賞)は、コスト削減から採用されなかった。

工期短縮、コスト削減の為に設計と施工を一括して行う設計施工を担う事業者を公募。㈱隈健吾建築都市設計事務所、大成建設㈱、㈱梓設計のチームが選定された。

新競技場は、木をふんだんに使い柔らかい感じを強調され、さまざまな利用者を想定して、個室トイレ、休憩室等も設置、車いすトイレのボタンの位置、色、表記等細かいニーズにも配慮されているとのことである。

  私が大学3年生の時は1964年(昭和39年)で、6月16日に新潟大地震、8月15日富士山頂気象レーダー完成(建築実習生として参加)、10月1日東海道新完成開通、そして10月10日東京オリンピックが開催され、多くのドラマが生まれた。又、開会式はもちろん閉会式も思い出に残る式典であった。

  昨秋、大学のクラブ創立55周年式典医参加のために上京し、その機会に新国立競技場を外から見学した。昭和39年の東京オリンピックジ建設の代々木体育館は、今回の競技場として使用されるそうである。それは56年前の学生時代に建設された。

    
    新国立競技場     国立代々木競技場(1964年建設) 
設計・施工              デザイン設計・丹下健三、  
大成建設・梓設計・隈研吾       構造設計・坪井義勝
建築都市設計事務所協同企業体     施工・清水建設㈱
                    (当時話題を呼んだ珍しい工法)

  新国立競技場は、36ヶ月の工事を経て201911月30日に完成。日本スポーツ振興センターに引き渡された。12月21日オープニングイベントを開催。令和2年1月1日サッカー天皇杯全日本選手権の決勝が最初の大会である。

 我が人生で、2度も東京オリンピックを見れるとは思っていなかったのだが・・・。

                        2020-2-1
                        Y.YOSHIHARA

(当ブログ2013-10より)

会長のひとりごと「オリンピックの聖火再び東京へ」 

 
   競技場見学会      代々木競技場配置模型

56年前(1964年)、建設中の東京オリンピック国立代々木屋内総合競技場を見学した。

デザイン設計・丹下健三氏 構造設計・坪井善勝氏 施工・清水建設㈱

上から見ると「木の葉」を伏せたようなデザイン、2本の柱からなる吊り構造で、当時、デザイン、構造ともに大変すばらしいと世界からも絶賛された。

(開幕39日前に竣工の突貫工事―米軍使用地に建設の為、返還交渉に時間かかる。)

  2020年オリンピック会場の一つとして上記建物(代々木屋内総合競技場1964年建設)が使用されるとのことである。

 毎日新聞12月1日朝刊より

   

左上・新国立競技場 右上・旧国立競技場 下段・建築中の写真

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今月のひとこと「青春」


青春とは心の若さである

信念と希望にあふれ

勇気にみちて日に新たな

活動をつづけるかぎり

青春は永遠にその人のものである

 

松下幸之助著

「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」より

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会長のひとりごと「大相撲・炎鵬 晃」2020-1

 NHKテレビ番組「目撃!にっぽん”おそれず“前”へ~炎鵬 ともに戦う日々~”」が日曜の早朝に始まった。(11月3日61045)
25歳、身長168cm、体重98kg―炎鵬の大相撲活躍場面が何度も流れる。
(布団の中で、眠気眼で見たので少し間違いがあるかも知れないが・・・。)

 5歳で兄の通う相撲道場に通うことに。小柄な炎鵬は、なかなか勝てなかった。

しかし、心身ともに打ちひしがれていた頃、この道場で4歳年上の小柄な先輩・北晃さんに出会う。その取組の型を見て「まともに正面からぶつかったら、小柄なものが負けるが・・・。」とヒントを得て自分の師匠としていた。しかし、18歳の高校生となった北晃さんがバイクで亡くなった事で、一時心身ともに打ちひしがれた。

「炎鵬 晃」の晃の文字は、その素人時代の師匠からの一字をとって命名したとのことである。(炎鵬は、横綱・白鵬関が名付け親。本名は中村友哉)

 ある時、難病の少年に出会う。二人の交流とお互いの戦いの日々が続く。
少年は、炎鵬の秋場所での活躍を願って手作りのお守りを贈った。
勝ち越しがかかった14日目、炎鵬は少年の思いを胸に土俵に立つ。

“つらい時には前に出る、苦しい時も前に出る”
炎鵬は“自分に打ち勝つ。まだまだ未熟の自分であるが・・・。”と語る。 

宮城野部屋の千秋楽のパーティーに、あの難病を抱える和寿君の笑顔があった。
炎鵬から14日目の懸賞金の封筒が手渡された。その裏には、コメントが書かれ、サインが。
そして炎鵬は言った。「これは、君が手術した日の封筒だよ。」

(このシーンで、ぐっと胸が、こみ上げてきた。) 

「自分を信じ、前に進む」
「逃げるのではなく、真向勝負、たとえ勝っても、負けても・・・。」と番組は結ばれた。

 あの難病の少年との交流と、戦いの日々が続く感動の35分間であった。
あの往年の舞の海を彷彿させる。小柄な体形や取り口内容、風貌(男前)もである。

 大相撲の新春恒例の横綱土俵入りが明治神宮で行われる。

その明治神宮では、オリンピックの国立競技場を設計者・隅研吾氏の設計により記念館が建設され「明治神宮ミュージアム開館記念展」が開かれているので、ご覧になってはと、地元の杭全神社で入場券をいただいた。(令和元年1026日~2329
(昨年11月1日・1150数年の歴史をもつ地元大阪の杭全神社の宮司さんに、満32歳の当社新社長を連れて挨拶に寄せていただいた。その折に、宮司さんから、31歳の息子さんの紹介を受けた。「明治神宮で約5年修業して・・・。」とのことであった。) 

 丁度、11月中旬に、我々が設立した研究会(大学)の55周年が開催(約100名参加)されるので、東京に行く機会がるので見学さしていただくことにした。

 
明治神宮ミュージアム館(隅研吾氏設計)  明治神宮で結婚式 

 11月の九州場所も、13日目まで6勝7敗、14日目、15日目と連勝し辛くも勝ち越し。「3場所連続の勝ち越しですね。」とアナウンサーが・・・。
初場所の活躍も期待したいものである。

 令和初めての正月、新年から、あの往年の小柄な舞の海を彷彿させる小柄で相撲内容、男前の炎鵬の活躍の原点と、少年との秘話を紹介できることが出来た。(付いた異名は「牛若丸」。舞の海と同様に、炎鵬も大学出であるとのことである。)

新年から、ご縁のある話題のブログとなった。

今年も、どんな「出会い」があるか楽しみである。

                                 20120-1-1

                             Y.OSHIHARA

折角の上京なので、本年夏開催のオリンピックの国立競技場を外から見学した。
昭和39年の東京オリンピックの施設は、学生時代に見学した。56年前の話である。

       
                  朝焼けの 初日の出


ご案内 (知人が代表者の支援機構が主催開催する写真展)

20202
全国災害復興活動支援機構主催・被災地救助の写真展を開催

1月27日(月)午後~30日(木)大阪市役所1階にて 

概要

  令和2年1月27日(月)~30日(木)大阪市役所本庁舎正面玄関ホールにおいて、全国各地の災害救援、復興支援に当たられた大阪府、大阪市、大阪府警察本部、大阪市消防局はじめ自衛隊、海上保安庁、米国領事館、ボランティア等から、貴重な記録写真400枚程度の提供を受け、パネル展示します。

   入場は無料です。

   また、開会初日の27日15時から、災害復興支援活動にあたられた団体及び市民の参加による開会式、復興祈念コンサートなどを行います。

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今月のひとこと

“つらい時には前に出る、苦しい時も前に出る”

 「自分を信じ、前に進む」
「逃げるのではなく、真向勝負、
たとえ勝っても、負けても・・・。」 

「炎鵬 晃」の言葉

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「また、親友が・・」 2019-12

更新  大学の親友の一人である生貝貢さんが8月に逝去された。
学生時代、建築生産(元・建築経営工学)研究会を6名で立ち上げた一人で、本年11月に創立55周年を迎えた。生貝君も創立メンバーの一人で、その設立メンバー6人も今では3名となってしまった。 

 3年生の東京オリンピックの年の夏休みには、富士山頂の気象レーダードーム基地建設に共に実習生として参加した。

又、3年間で卒論以外の単位を修得し、4年生は東京大学の生産技術研究所で研究をし、それが今の高層建築に役立っているとのことである。
丁度、生貝君(本年8月逝去)と大森君(故人)本間(故人)と私の4名だったので、マージャンも覚えたのだったが、そのメンバーも今では私一人となってしまった。 

生貝さんは、国の上級試験に合格して、当時の運輸省に入省された。
岡山、大阪、成田空港と転勤され、成田空港の第2期工事の計画室長等を歴任された。

その後、当時資本金174億の日本空港ビルデング㈱に入社して常務を歴任され、65歳定年を迎えるも羽田空港・第二国際ターミナルビルのオープンまでということで最終的には顧問として定年を二年延長して67歳まで勤められた。 

 
多くの空港建設・運営に携わり、空港一筋の仕事人であったと靖子夫人は語られた。
「・・・主人が手掛けた日本を代表する空港は未来永劫存在し続け、私達家族にとってもこのうえない財産を残してくれたのではないでしょうか・・・・・」 

我々は、卒業後も度々連絡を取り合い、たまに東京で落ち合うことも有り、60歳の還暦時には、私の発案により数組の親友夫婦で浜名湖の湖畔で1泊して久しい。

本年喜寿を迎えるのにあたり、皆さんとまた集まろうと相談しようとしていた矢先の逝去であった。
 

 葬儀に参加する為に、朝1番・6時発の新幹線で大阪を出発、10時から始まる千葉県の葬儀場へ15分前に着いた。

建築経営工学研究会の設立メンバーである栗原,金子、そして私の同窓生が、その家族葬に参列した。

葬儀後の精進揚げの場で、娘さんから「お父さんは、東大の大学院に行きたかったようですが・・・」また、東大を目指している孫さんから「祖父は、東大でどんな人でしたか・・・」と質問に「大変貴重面な人で、おかげで色々の記録を残していただいて・・・」と答えた。 

昨年、54年ぶりに富士山頂に登頂し、下山後に生貝さんに報告したくてメールを入れたが、病状が思わしくなく残念ながら会うことが出来なかったが、度々電話では話していたのだが・・・。 

実習で参加したあの富士山頂の気象レーダードーム基地建設の模様が、2000年にNHK総合テレビのドキュメンタリー番組の第1回目に取り上げられた。

  「プロジェクトX ~挑戦者たち~」第1回2000.3.28

「富士山頂」 巨大台風から日本を守れ 
~富士山頂・男たちは命をかけた~

「男は一生に一度で良いから、
子孫に自慢できるような仕事をすべきである。」と、テレビ画面に。

(最後にもう一度)
多くの空港建設・運営に携わり、空港一筋の仕事人であったと靖子夫人は語られた。
「・・・主人が手掛けた日本を代表する空港は未来永劫存在し続け、私達家族にとってもこのうえない財産を残してくれたのではないでしょうか・・・・・」 

 本年の最後に、悲しいブログになり残念であるが、残ったものが少しでも将来の子供達のために何ができるのか、何をすべきなのかを考え、微力ながらでも行動していきたいものである。         
                               2019-12-1

                               Y.YOSHIHARA

本年も、著名な方々との出会い、そしてご縁をいただいた。

御茶ノ水大学名誉教授・作家の藤原和彦氏
(富士山頂のレーダードーム建設に携わられた気象庁課長であり、作家であった新田次郎氏のご子息)

川島隆太氏・“認知症の予防法”で脚光を浴びる東北大学加齢医学研究所々長、

国谷裕子氏・NHKテレビ番組「クローズアップ現代」キャスターなど

又、来年も新しい出会いが楽しみである。

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東大・生産技術研究所の屋上にて   東大・本郷校舎内 
(故・生貝、本間、筆者、故・大森)   2000トン大型試験機

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生産技術研究所メンバー(55年前)   安田講堂前で
(前列-左・大森、3番目-高梨助手-現名誉教授、4番目・生貝、
5番目・本間、後列-二人目筆者)

  2_20191107111901
富士山頂台風予知レーダ基地建設に参加
1964年夏完成―東京オリンピック開催)
(左下写真・左生貝氏、後ろ右筆者)

(上記8枚の写真は、生貝さん提供)

Photo_20191107114201  20101005_dscf0673  
建築生産研究会創立50周年式典  羽田第二国際ターミナル見学
(右より金子、故・生貝、栗原、筆者)(右より生貝、高梨教授、筆者)
(2014年)                (2010年)

生貝さんに関し掲載した私のブログ「会長のひとりごと」

2010-11「羽田空港新国際線ターミナルビルとNHKを訪れて」

2014-12「研究会の創立50周年に参加して」

2015-3「“念ずれば,叶う!”赤坂、六本木界隈散歩」

2018-9「いよいよ富士山頂・3.776mに挑戦!!」

2019-8「新田次郎氏と藤原てい氏、藤原正彦氏」 
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今月のひとこと

「男は一生に一度で良いから、
子孫に自慢できるような仕事をすべきである。」 
NHK「プロジェクトX ~挑戦者たち~」第1回2000.3.28より

「富士山頂」 巨大台風から日本を守れ 
日本列島を台風から守るため、富士山頂に建設された世界最大レーダー。
標高3.776メートル、史上例のない高地での大規模土木工事。
乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大レーダーを空輸・・・。
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会長のひとりごと「ジャーナリスト・井上和彦氏の講演を聞いて」2019-11

更新  「ジャーナリスト・井上和彦氏のトークショーと&映画鑑賞&大宴会」が、8月3日大阪で開催された。6月にハンブルグでお会いしたAさんから、Aさんのご主人が、井上和彦氏のツアーの企画?に参画されているようにお聞きした。大阪でもトークショーが開催されるとのことでご案内をいただいた。

  「ニュ-スを斬る!」と題して、講演が始まった。

最近の外交、政治日程の分析・・・・・。

折しも、韓国のホワイト国、安全保障問題、中国からの代替えも。品質の低下や不安定など・・・解説された。

  明るい話題としては、日本・ポーランド国交樹立100周年を迎える・・・。
ポーランド孤児救出支援(シベリヤより東京、大阪の天王寺へ一時避難を・・・)
2018年11月20日シベリヤ記念小学校・幼稚園が開校され、式典では「生徒が、君が代を斉唱、校歌は日本語で」とその映像を流された。
その記念に靖国神社の桜の株を送られたとのことである。
「日本・ポーランドの友好は、すべてが、孤児救出から始まった」と語られた。
 (1920年及び1922年に,日本がシベリヤの地で苦境に陥っていたポーランド人の孤児763名を救い,一方ポーランドは阪神淡路大震災,東日本大震災の際に,被災児童をポーランドに招待。2019年・平成31年/令和元年. 日本ポーランド国交樹立100周年日本・フィンランド外交関係樹立100周年
秋篠宮殿下が、本年両国の記念式典に参加される。)

 井上和彦氏の熱のこもった講演のあと、司会のアシスタントとして半井小絵氏(元NHKで気象予報士・女優)、トークに柿崎ゆうじ氏(映画監督・脚本家・カートプロモーション代表、)伊藤つかさ氏(女優)、竹島由夏氏(女優)を交えてトークショーが行われた。

私が、以前に映画「帰ってきた蛍」を見て大変感動した。あの舞台が、令和2年10月に東京の俳優座劇場で開催されるメンバーとの紹介から始まった。

(俳優座劇場のパンフレットより)
「大東亜戦争末期の昭和20年・・・ 米軍は沖縄に上陸し、いよいよ本土にねらいを定める中、故郷を思い、愛する人々を守るために決死の特攻に飛び立った若者達がいた。
彼らの末期のひと時に無限の情を傾けた富屋食堂の女将、鳥濱トメ・・・その交流を描いた真実の物語。」

教官の藤井一中尉?が、妻と二人娘の家族の為に出陣の許可が出ないので、家族が入水自殺。

一人身になって、初めて出陣許可が認められたという話、出陣して生き残り、それを恥じて悩む話など、涙ぐむ我々であった。

鹿児島県・知覧の特攻隊基地の物語である

(現在、生き残った隊員の為にトメさんの娘さんが、新宿で「薩摩おごじょ」という店を開き、今はその息子さん(トメさんのお孫さん)が経営されている。
又、世田谷区に、「特攻観音堂」があるとのことであるが、テレビでも放映された。)

 (家内の恩師のエピソード)
卆業して数十年後の同窓会で、恩師が急に泣き出した。
「自分は、特攻隊の教官で、生徒と共に出陣したが、不時着して生き残り・・・・・。」と涙ながらに話されたそうである。

 以前、知覧の記念館を訪問した。そこには多くの遺書や写真が展示されていた。ぐっと胸くるものがあった。

靖国神社もそうであるが、一度はその地を訪れていただきたいものである。

東京方面に行くと、靖国神社の本殿にお参りをする。

昨年8月2日、富士山頂から下山後も,本殿にお参りしてから帰阪した。

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                                                     Y.YOSHIHARA   

PS-午後2時から5時までの長丁場の講演、井上氏のトークのタフさに驚いた。

6時から約2時間の食事会も、タフさ衰えず、約100名の皆さんのテーブルに笑顔でまわられ、気軽に記念撮影にも・・・.

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今月のひとこと「ひだりや、みぎや、ではなく・・・」
 

「あの人は左だ、いやあの人は右だ」ではなく、

日本人として、如何生きるか? 生きていくか?

子供達の将来を考える時、日本の近代歴史を振り返り、

明日の幸せな日本を・・・

井上和彦氏の講演より

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