「健康と私」 2021-3

スキーの思い出

   滋賀県“朽木スキー場”は、車でスキー場迄乗り入れることができる.狭い曲りくねった道を上り詰めると、琵琶湖を望む山沿いのコース・朽木スキー場が開けてくる。
毎年の積雪量は、近郊のスキー場より少な目である。

   
   十数年前であろうか、夕方近くになり急に寒く成りだしたので帰ろうとしたが、道が凍結し始め、運転が危険な状態となった。
チェーンを持っていなかったので、少し広くなった道の山側に駐車して、後続の車に乗せてもらい、その日は無事に下山した。

   あくる朝、チェーンを買って、タクシーで昨日から駐車中の車に向かったが、その日はチェーン不要の状況で、無事に下山した苦い思い出がある。

   
  
湖西には、大阪から車で約1時間30分位で“ビワコバレイスキー場”、さらに30分北に“朽木スキー場”“箱館山スキー場”、さらに北に“マキノスキー場”“国境スキー場”と連なる。
ベテランスキーヤ-には、コースが短いので少し不満であるが、足慣らしにはいいスキー場である。

   更にびわ湖の北東には、シーズン末まで雪がある“ヨゴ高原スキー場”があり、さらに東の伊吹山まで足を延ばせば、雪質、積雪量、コース共に滋賀県最高の“奥伊吹スキー場”で楽しめる。

 
   大阪から最短の“ビワコバレイスキー場”は、山のふもとに駐車場があり、ゴンドラで山頂まで登り、降りるとすぐそこにゲレンデが広がっている。
びわ湖が眼下に広がり、天気が良ければ最高のロケーションである。しかし、強い風が吹くことが多い。又、家族ずれでは、ゴンドラの費用がかさみそうである。

   “箱館山スキー場”も、山のふもとに駐車場があり、ゴンドラで山頂まで登ると、目の前がゲレンデである。
琵琶湖が眼下に広がり、天気が良ければ竹生島が浮かび、琵琶湖が一望できる最高のロケーションである。
ここは、シニア―料金が、設定されている。
以前は、子供券とシニア―券と同じ券であったので少し気恥しかったが、今は、料金も少し差があり、別々の券になった。

  
  
“マキノスキー場”は、私が小学生の高学年の頃、習字の塾から初めて雪遊びに連れて行っていただいたスキー場である。歴史のあるスキー場であったが、今年はリフトが取り外されたと聞いている。
しかし、車でスキー場まで行けるので、子供の雪遊びには、最高であると思われる。

又、近くにメタセコイヤで有名な並木も観賞できる。

  
  
更に北上すると“国境スキー場”に。
ここは、スキー場の前に駐車場があり、コースも湖西のスキー場では一番長いコースがある。

  
   今年1月10日に、“国境スキー場”に向ったが、マキノ高原を過ぎたあたりから、吹雪が酷くなり、前が見えづらく、道に雪が積もりだしたので、以前の“朽木スキー場”での悪夢や昨日から北陸道で多くの車が高速道路で閉じ込められたニュースが脳裏をかすめ、チェーンを携帯していたが、車の向きを変えてマキノのメタセコイヤ並木に向った。

凍結道路は、チェーンをセットしていでも危険との事であるので・・・。

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                       メタセコイヤ並木

  毎年のシーズン初めは、この辺りで足慣らしをする。

そして、2月末から3月初めに、雄大な山形県の“蔵王温泉スキー場”か、岩手県“安比高原スキー場”で、スキーを満喫するのが楽しみのひとつであった。

 今年は、コロナ問題で飛行機の減便で席が取れず、また先日の10年ぶりの東北の地震で、大変悩むところであるのであるが・・・。

 
 毎日、出勤前に30分の散歩、軽いストレッチ、テレビ体操で朝が始まる。足腰を鍛えるために70歳から週1回のテニスを始めた。 
   おかげで、75歳で標高3776mの富士山頂にも無事登頂し、お鉢廻り(約1時間半かけて,河口を一周)も出来た。 

松下幸之助氏の「健康も、仕事の内」を肝に銘じて、健康に留意して行きたいものである。
                                                  2021-3-1  
                                                                Y.YOSHIHARA

Photo_20210223101802 Photo_20210223110001 Photo_20210223101701
     琵琶湖バレー      箱館山         奥伊吹

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            安比 高原スキ―場       

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               座王温泉スキー場   

 富士山登頂(2018年8月1日午前11時頃・5度℃)     
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    山頂見取り図      山頂3776m      雪のある火口

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今月のひとこと「年齢にふさわしく生きる」ゲーテ

「年齢にふさわしく生きることは、
年齢にふさわしい若さを持つことだ」 

20歳には20歳の若さ、
70歳では70歳の若さがなければならない。

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「おちょやん」 2021-2

  作曲家・小関祐二さんがモデルであるNHK朝ドラ「エール」の後半くらいから、次の案内の映像流れた。
何気なく見ていた私は、漫才師・都蝶々さんかな?(“男まえの雄さん”こと・南都雄二とのコンビ)と思っていた。

  しかし、時代背景から判断するともう少し前のようで、浪花千栄子さんかな・・・?。
そして、いよいよ放送が始まる頃に、浪花千栄子さんだと分かった。

  浪花千栄子さんと言えば、小学生の頃に、NHKラジオ放送(当時テレビがない時代)「お父さんはお人好し」で漫才師・花菱アチャコと浪花千恵子さんと夫婦の設定で、大阪スタジオ(BK)のラジオ公開録音に何度も見にいった記憶がある。
(漫才師・花菱アチャコは、東京のエンタツ、大阪のアチャコの東西の漫才コンビ“エンタツ・アチャコ”で一世風靡していた時代である。)
今の吉本新喜劇の舞台の前身を彷彿させる舞台劇を我々が見て、その録音をラジオで放送された。

  私は、アナウンサーになりたくて、小学校では放送部に入った。
NHKの児童劇団に入れば近道かとの思いで尋ねてみると、劇団員になるには、毎日、午後の学校の授業を休まねばならないことを知り、母親からOKをもらえなかった。

  小学生の高学年では、声帯模写・藤田まことさんに、当社建築の映画館のこけら落しの際に、サインをいただいたのが最初である。その直後に、舞台、テレビでタレントとしても活躍される。テレビ番組「てなもんや三度笠」で白木みのると共演し、好評を得る。
  約67年前の事だろうか?。(戦後8年目頃?)
今は亡き父親の後を継ぎ、代表取締役社長も譲り、会長職として勤務している。

   朝食の後、毎日視ているNHK朝ドラ「おちょやん」は、「おしん」を彷彿させるドラマのようである。
大阪道頓堀でお茶子さんから、芸能界入りへの小説ドラマで、道頓堀商店会の皆さの強い結束力が、浪花千栄子“おちょやん”を生んだとのことである。
   道頓堀筋は、昔は五つの座があったそうである。戎橋南詰めから東に向かい浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座。更に御堂筋から数十メータ東寄りに松竹座がある。 

 当時の面影が残る唯一の松竹座が現存する。

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     松竹座
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  かに道楽・道頓堀店  

  道頓堀商店街では、「すし半・松五郎」で食事をよくしたものである。親に連れられてそのお店に行った中学生の私の目には、ご主人・重里義雄さんは、「根っからの職人気質の経営者である。」と映ったのは約60年前である。         

   その道頓堀商店会の会長を務められたお二人、亡き “すし半松五郎” オーナー・重里義雄氏、約5年前の2月に亡くなられた“アーゴ”オーナー・木村太郎氏も私のご縁のある方々である。  

    松竹座の前にレトロ調でシックな歌える店“アーゴ“(時折り、プロ歌手も顔を出すカラオケ・バー?)がある。
10年程前であろうか、隣席のグループの男性から「よければ、こちらの席にどうですか?」と声をかけていただいたことがある。
その方は、松竹芸能の漫才師のご夫婦(以前よくテレビに出演)で、もう御一人は吉本興業の夫婦漫才コンビ”宮川大助・宮川花子“の舞台では無口でボケ役の旦那・大助師匠であった。無口の大助師匠が、一人で喋り捲りはじめたのであっけにとられた。
  私も元・吉本興業㈱社長・中村秀雄さんや、宮川左近ショーのメンバー・暁輝夫さんと面識があったことを話し、世のふけるのも忘れて話した思い出がある。

(アーゴでの写真)
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アーゴ主人・木村太郎と   MR,DAVED.HAMIL  
左額「生涯現役」     (ワイキキRC・元会長)らと 

(当ブログ「会長のひとりごと」2015-1月号「道頓堀界隈を散策して」より)
   木村太郎氏は、当時87歳とお聞きしていた。
年末は30日まで、新年は2日より営業、年中無休の店であった。
オーナーの弁「生涯現役」、その通りの生涯であった。

  又、昔お世話になった友人の姪御さんの“ラウンジ・春木”のカウンターに座ると、右隣に公益社団法人上方落語協会理事・落語家の林家染二師匠が。
(昨年、3度目の文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。 師匠の幼年期は、私の町内で過ごされたとのことである。) 

大阪の道頓堀商店会は、色々な出会いがある、本当に気さくな町である。

人生、長生き?すると色々な経験をするものである。 

                       2021-2-1

                       Y.YOSHIHARA

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今月のひとこと

「災難にある時節には 災難にあうのがよく候」 

逃げ出したくなる惨めな状態に置かれた時も、それを自分の運命と受けとめ、
その状態と協調しながらできることをやっていけば、自然と道が開かれてくる。 

良寛和尚(17581831)

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「東北サファリパーク」 2021-1

  “東北サファリパーク”は、当初は牧場として開園された。
10年前の2011年3月11日、「東日本大震災」に遭遇。

3月12日、あの原発事故が発生した。
当時、放し飼いであったために、まず人の安全避難が最優先すべきと社長,園長が判断された。 

歴史
1970年 牧場として開園
1977年 サファリパークとして、放し飼いに。 

震災の2011年は、前年の5分の1の入場者数に激減。 

*経営方針を模索、展開
1 動物と触れ合える場所に(砂川園長)
2 人生を変えたキリン  最初の人工保育、(キリン・冬子)20113月28日亡
3 入場者の滞在時間を延ばす為に、動物と人とが直に触れ合える場を(滞在時間2時間から6時間に)
4- 猿のショウ
5 鳥との触れあい観察
6 ラクダ、レッサパンダ、ペンギン、アザラシ、ライオン、・・・
7 来園者とスタッフとの交流

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女性・植淵さんが、猿のショ-を。
地元でも、人々の笑顔が。
SNSでも(猿が、自動販売機で飲物を買い、それを飲む姿を)
珍しい時期には、10kmの車の列が???

(HPより)
   Img11

    

SNSで、新たな可能」  
「猿が、自動販売機で飲物を買い、それを飲む姿を」「ペンギンが・・・・」リピート回数3億回。
常連客のリピートに繋がった。 

災害地に出向き「癒しの一助に」と、動物を連れて慰問に。
2010年26万人 2011年・??人  2019年11万7900人
2020年、新型コロナにより、一時休園(4月8日~5月29日)するも、現在は開園。 

2020年7月、「9年ぶりに動物園に感謝を!」をと、浪江町のご夫婦が来園。
(「震災時、動物園のホテルを避難場所に貸していただき、大変ありがたかった。」「あの震災と、原発事故で関東の親戚に車で向かうも、ガソリンがなく、施設でお世話になった“後世に伝えていく”」と話された。又、猿のショウが、難民の安らぎになったことも・・・。) 

双葉町・町長は「物事に、絶対というものはない」と、語られた。
看板「原子力明るいままのエネルギー」の掲示・・・。 

震災と原発事故の伝承施設が、オープンした。
“自分の事と感じてもらうきっかけになれば・・・」と関係者が語られる。 

被災地、南三陸町「地域と共に生きる」「星のめぐみみんなの庭に」

 (以上、NHK番組「明日へ つなげよう」より)

 

お互いに、色々な苦難を乗り越えて、今日がある。
今年は、新型コロナで、世界中で戦線恐々であるが、
「日本人は、家に帰れば靴を脱ぐ。これが、世界に比較して少ない原因である。」と、元・大阪大学内視鏡外科教授・大橋秀一(世界の学会・理事、高校友人)氏は語る。

 「なせば成る、為さねばならぬ、何事も」である。


早く、新型コロナの話題が収束し、明るい話題の年になってほしいものである

                                          2021-1-1  

                                 Y.YOSHIHARA

HPより
    
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 ワンちゃんたちのおでむかえ
かわいい犬たちがおでむかえ!
アトラクション会場入り口で客様をおでむかえします!

     
アシカショー 
輪投げやボールを使いながら愉快でかわいい芸を披露!

   Img11
 東北サル劇場(チームモンキー)
おサルさんたちが繰り広げるコミカルなパフォーマンス!

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 フラミンゴショー
音楽に合わせてフラミンゴたちが華麗に踊る!

   
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ドッグショー
ミディアムプードルが可愛くも俊足を魅せます!
モコモコと走り抜ける姿に思わず笑顔になります

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 アザラシタッチ
アザラシの肌はどんな感じかな!?
一緒にお写真も撮れます。

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  ペンギン散歩
大人気のケープペンギンたち。
ペタペタと歩く姿が前から見ても、後ろから見ても、なんともいえない可愛さ!

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今月のひとこと

「困難に直面し、 身を切られるような思いに 悩みつつ、

勇気を鼓舞してやってきた。

崩れそうになる自分を 自分で叱りつつ、

必死で頑張るうちに、 

知恵才覚というものが必ず、 浮かんできた」 

                                                 (松下幸之助

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「愛犬・モモと猫のサクラ」 2020-12

 我が家に、愛犬・モモと猫・サクラがいた。
モモは、一見“ボーダーコリー”を彷彿させる毛の配色の犬、サクラは真っ白な猫で両方ともメスであった。
 生後2~3ヶ月のサクラが、縁あって我が家に来たその日から、モモは我が子のように舐めまくり、子育てに?勤しんだ。

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     モモ           サクラ

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          モモとサクラ 

  モモは、家内の親戚からの迷い犬の連絡が(1999年春) あり、頂くことにした。
生後4~5ヶ月の中形犬で、頭が良く、手入れをしなくても毛が艶々いるので、
散歩中に「よく手入れされていますね。種類はなんですか。」と聞かれたら、「雑種です。」と家内は答えた。

 夕食の時間になると、壁掛けの時計の前でうろうろする。18時の時計のメロディが鳴る、するとワンワンと吠え、食事の催促をする。それでいて、無駄吠えはしなかった。

  就寝時間が来ると、一緒に寝ようと私に催促の合図をする。
こちらの眼をじっと見つめて、目が合うとモモは寝室に向う。あえて、知らないふりをしてテレビを見ていると、前足で私の足をチョイチョイとつつく。致し方なく私も寝室に足を運ぶ。

本当に、家族の一員、我が子のようである。

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 2012年の夏にテンカンの発作を起し、目玉がくるくる廻り、その場で輪を描くように動き廻り、ベランダや家のなかの生活もままならず、あれだけ可愛がっていた家内が自身の体調の悪いこともあり 、「アンタなんか、何処かへいってしまい。」と言う始末。これではいけないと思い、2014年の春に動物の介護施設に預け、週に一度か二度、面会に行く日が続いた。

  施設から訃報が入った。愛犬“モモ”が、暮れも押し迫る12月27日にあの世に召された。
その夜は、家内と二人で通夜を。翌日、火葬をお願いした悲しい年末であった。

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    介護施設で(2014-6)  2014-12-27

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    モモの位牌を拝むサクラ

  それまで遠慮がちに、狭いテリートリー内で散策していた猫のサクラは、その後は我がもの顔で、我が家を駆け巡った?。
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 食事時になると、台所に赴き、ニャーと催促する。
最近では、キャットフードの他に、我々の食事のおすそ分けをねだるようになった。
特に、焼き魚の焦げた匂いがすると、台所でお待ちかねである。 

又、家内の布団の中で枕をならべて就寝。昼間も、家内の寝室にいないと思うと、陽のあたる部屋に移動したり、天気の良い日は、屋上へ連れて行くように催促し、時には私の布団の真ん中で寝ることも度々あった。

サクラもモモも、本当に家族の一員、我が子のようである。
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    家内の寝室で       私の寝室で

 そのサクラも、春頃から体調がすぐれず、1ヶ月前あたりから足が少し不自由になり、足を引きずりながらも、私の寝室に通ってくる日々が続いた。
3月末から週2日の点滴、7月からは浣腸も、9月末からは週3日、その後、毎日の点滴に、そして17日には今日か明日かの命と宣告された。

そして10月21日午前8時頃、息が途絶えた。
モモの亡き後6年の歳月が流れ、サクラもモモの後を追ってあの世へ。

 約20年前の8月の朝、国道25号線はラッシュアワーの時間帯で車が動けないくらい渋滞していた。
会社前の小型乗用車から運転手がおり、車の下あたりからネズミほどの白い猫をつかみ、歩道において運転席に戻るも、猫が再び車の下へ。
 もともと猫嫌いであったが、数回繰り返す様子を見ていた私は、その生後23ヶ月の猫をいつの間にか受けとっていた。
  犬は子供のころから、何度か飼ってきたが、猫はどうも良い印象がないので・・・。
しかし、家内と相談の上、保健所行きもかわいそうなので飼うことになり、それから約20年の付き合いであった。  

 家に帰ると、誰かと話す家内の声と思いきや、モモやサクラとの会話である。
犬も、猫も言葉を話せないが、人の話が分かるようである。
家内は、サクラに「お父さんは,命の恩人ネ。」と、よく話しかけた。

それも、今日でおしまいとなった。
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                    サクラ逝去

 モモさんが、通夜の後に、火葬して骨壺に入れてもらったようにサクラも・・・。 

年末に、悲しい話題となった。

来年は、いい年を迎えられますようにと願うばかりである・・・。

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               Y.YOSHIHARA

 
  サクラとモモと共に約20年

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今月ひとこと 

「癒してくれて、ありがとう!」

言葉は交わせないけれど、3歳児ぐらいの智恵?

こちらの言葉、気持ちは通じるようであった!

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「正倉院宝物展」2020-11

  奈良国立博物館で、「正倉院宝物展(再現模造に見る天平の技)」が、7月から約2ケ月間開催された。(7月4日~9月6日)
暑い最終の土曜日、「御大典記念・特別展“1300年の技が、今ここに よみがえる。」展の見学に向った。

 博物館入り口で、体温検査、マスクの確認、消毒液で手を洗って入場。
会場では密にならない見学のために、床にマークをされていた。

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パンフレットより

「正倉院宝物とは、奈良・東大寺の倉であった正倉院正倉に伝えられた約九千件におよぶ品々です。
聖武天皇ゆかりの品をはじめ、その多くが奈良時代の作で、調度品、楽器、遊戯具、武器、武具、文房具、仏具、文庫、染織品など、多彩な内容を持ちます。
中には、西域や唐からもたらされた、国際色豊かな品々も含まれます。

  正倉院宝物の本格的な模造製作は、明治時代に奈良で開催された博覧会を機に始まりました。
当初、模造製作は修理と一体の事業として取り組まれ、昭和47年(1972)からは、宝物の材料や技法、構造の忠実な再現に重点をおいた模造製作が行われるようになります。
以来、人間国宝ら伝統技術保持者の熟練の技と、最新の調査・研究成果との融合により、芸術性・学術性の高い優れた再現構造が数多く生み出されました。

  本展は、これまでに制作された数百点におよぶ正倉院宝物の再現模造品の中から、選りすぐりの逸品を一堂に公開するものです。
再現された天平の美と技に触れていただくとともに、日本の伝統技術を継承することの意義も感じていただけると幸いです。」

 多くの展示物に驚いたが、その中でもパンフレットに掲載されている「細かい螺鈿の琵琶」「精巧な金銅合子」「細工の細かな鏡」・・・など128点の展示であった。 

その中でも、「螺鈿紫檀五絃琵琶」「酔胡王面」「金銅大合子」「黒柿蘇芳染金銀山水絵箱」「金銅荘大刀」「筆」「古文書」「七条織成樹皮色袈裟」「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」「紫檀金銀絵書几」など感動する展示であり、特に職業柄・縮尺・1/10「正倉院宝庫模型」に見入った約2時間であった。

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        遷都君と         日陰で休む鹿たち

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展示の最終の土曜日とあってか、多くの見学者で賑っていた。 

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                Y.YOSHIHARA

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  今月のひとこと「一筋の光明」

 美しい心をもち夢を抱き、 懸命に誰にも負けない努力を

 重ねている人に、

 神はあたかも 行く先を照らす松明を

 与えるかのように、

 知恵の蔵から

 一筋の光明を与えてくれる

    京セラ名誉会長・稲盛和夫氏 

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「シューズメーカー・ナイキのこれまで」 2020-10

 ナイキのシューズは、今では世界で有名であるが、株を上場するまでの困難なエピソードをNHKテレビ番組「ナイキを育てた男たち」で語られた。 
暑い夏の夜、真夜中に目が覚め、グラス片手にテレビのスイッチを押すと、NHKBS・テレビ番組「ナイキを育てた男たち」が始まった。

40年以上前、ナイキが存続の危機に立たされるたびに、日本の企業が手を差し伸べたことに、当事者たちが語る。

 「もし、商社・日商岩井(現・双日)の助けがなかったら・・・。」とナイキの創業者・フィル・ナイト氏が語る。

 
 アメリカ・オレゴン州の日商岩井の支店勤務・伊藤忠孝氏は、ナイキの銀行取引停止通告に、銀行に乗り込んで「全額肩代わりする!」と言って小切手を叩きつけてナイキを救った。
日本の本社の了解なしに1億8千万円の小切手を銀行へ持ち込んだ。
それで、ナイキの銀行取引停止を食い止めたので、今日があるとナイキのフィル・ナイト氏(当時33歳)が語る。 

 当然、日本の本社から伊藤氏に、解雇の厳しい辞令が。
本社の経理の役員が、電話で「馬鹿たれ」、少し間をおいて、「よくやったな」との言葉があり、辞令が取り下げられた。 

 ナイキ創業時に協力された皇孝之(すめらぎ・たかゆき)、伊藤忠幸(いとう・ただゆき)氏は、もちろん今は現役を引退されているが、番組に登場され当時を懐古され語られた。
その時のありがたい気持ちを、創業者・ナイト氏の自伝「SHOE DOG」で語られている。

  最後に、日本の若きビジネスマンにメッセージをと言われたフィル・ナイト氏は、
「最後まで、“挑み”続ける」

 “The only time you must not fail, is the last time you try.”(最後まで挑戦し続けろ【決して失敗してはいけないのは、最後に挑むときだけだ】)「挑み続けなさい。」。

 
 80歳になるフィル・ナイトさんが、日本人の話をしながら涙ぐむ映像に、私の胸にぐっとくるものがあった・・・。

「国を超え、リスクをとる、流れをのり越える」 


 「ナイト氏、
皇氏、伊藤氏を取材すると、失うものが何もなかった時代に、リスクに挑み続けた男たちの姿が見えてきた。世界的企業の創業秘話、そして支えた日本人商社マンの心意気に迫る」と、この番組は結ばれた。 

 暑い夏の夜、寝苦しい真夜中に目が覚め、いっぱい片手に「ナイキを育てた男たち」に見入った。 

 良い話に、良い酒を飲んで、その後、熟睡できた暑い真夜中のひと時であった。 

                              2020-10-1

                           Y.YOSHIHARA 

 ナイキ本社に日本庭園(1990年)が造られた。そこは、「日商岩井ガーデン」と名づけられているとのことである。 

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今月のひとこと閃きの基本は熱意だ」松下幸之助

「熱意が基本にあると、絶えず、寝ている間でさえも考えるようになる。

そうなると不思議なもので、新しいことが浮かんでくるものだ。

浮かばないとすれば、それは熱意が足りないことにほかならない」

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                        積乱雲

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「ジャズピアニスト・大江千里」2020-9

  土曜日朝7時30分から、テレビ番組「サワコの朝」が始まった。
大阪生まれで、ニューヨーク在住のジャズピアニスト・大江千里氏が、アメリカの自宅からからライブ出演。 

 
 47歳でニューヨークへ、そしてジャズの大学を52歳で卒業、ジャズピアニストとして活躍中。 

コロナ問題で、ステイホーム中の大江氏が、窓を開けての演奏が終われば、拍手が聞こえてきたと語られた。
 

 ニューヨーク知事、市長は、毎日のように食事や駐車場などのメール情報の送付がなされている・・・。
 

  2月「日本ツアー計画」のために日本にいたが、アメリカへ緊急帰国し、3月、4月、5月はステイホーム生活を余儀なくされた・・・。買い物、散歩はOKであったが。

  大江流のアイデアで、小麦が手に入らないので「粉なしの粉もん」と称してキャベツと卵で食べていると、ブログに書いているとのことであった。

(大阪人特有の粉もの「お好み焼き、たこ焼き等」) 
 

 アメリカで、医療従事者の支援ライブがあり、好評を得た話を語られた。
4月にSNS「コロナ禍を勇気づける40曲」の中に選ばれた。

  その大江千里・作曲Together ness”を、番組で披露された。
曲に込めた想いを歌った曲で、家族とはなれて暮らす徴兵の人、その家族、離れていても心は・・・。

生演奏で、引き語りを。そして、その楽譜、歌詞を画面にアップされた。

「ふたりだけの トゥゲザネス 

はなれていたって 目をつぶればー

いつもいっしょ・・・・・。」との歌詞が。 

  
  最近、テレビで国際空港のロビーでピアノがおいてあり、待ち時間の合間に誰でも弾けようにセリットされている光景を、テレビで見たことがある。
大江氏も、ミネアポリス国際空港で、待ち時間に空港でピアノを弾いた時のやり取りを披露された。
その時、通りがかりの人から「オリジナル・・・」と言われて、目からうろこが落ちた・・・。 

「アフターコロナ後の音楽活動について・・・」
「人生を生きる、前向くしかない、厳しいが・・・」
「新しいヒント、それは汗をかくこと、落ち着いて、・・・」
「音楽の生命力を・・・・・」と語られた。

 

  最後に、司会のサワコさんから、「今、心に響く一曲は」と聞かれて、When You Wish Upon Step:「星に願いを」をと答えて、そして演奏がはじまった。
画面は、ニューヨークの現在の街並み、市民の光景をバックにしながら・・・。

大江氏は、本年還暦を迎えられるとのことであった。

                               2020-9-1

                           Y.YOSHIHARA

「大江千里コラム」より

大江千里 “Together ness” 楽譜

20209

(“Together ness”の歌詞)

  ふたりだけの トゥゲザネス 

  はなれていたって 目をつぶればー いつもいっしょー 

  さみしいとき トゥゲザネス 

  あまえたいとき トゥゲネス 

  もうふのようーな やすらぎあたたかさ 

  そして ひとりじゃなーい 

  しあわせー ふたりだけのゆめの トゥゲーザネース~~ 
 

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今月のひとこと「“星に願いを”」
 

  輝く星に心の夢を 

  祈ればいつか叶うでしょう

  きらきら星は不思議な力

  あなたの夢を満たすでしょう

  ひとは誰もひとり

  哀い夜を過ごしてる

  星に祈れば淋しい日々を

  光り照らしてくれるでしょ

 

   (“星に願いを”の歌詞)

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  今年も、イチゴの苗(約200ポット)を会社前に!

約100人の方に持ち帰ってもらい、実の成る頃には、何人の方の笑顔を見れるであろうか?。

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 「イチゴの苗」どうぞ     屋上のゴーヤ

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「防護服とマスクの寄贈」2020-8

 4月末に、知人である徳岡氏から、防具服と医療用マスクの寄贈先の相談が寄せられた。
台湾の台南エリートロータリークラブが、防具服と防護マスクの寄贈先を探がされているとのことであった。

  私の知り合いを通じて、大阪市の関係者を紹介していただいたところ、担当者がパニック状態で、何時、何処に寄贈できるか疑問との返事があり、徳岡氏(国際奉仕委員長)を通じてクラブに伝えていただいた。
先方から、出来れば、寄贈先、時期などがわかればありがたいとの返事が、帰ってきたとの報告を受けた。

 私と徳岡氏とは、大学病院への寄贈が良いのではとのことから、大阪大学医学部なら高校同期の元・総長の宮原秀夫さんに、大阪市大医学部なら私の知人(大阪平野RC会長)で学長アドバイザーの伊藤英樹さんに声をかけようかと相談の結果、初めに大阪市にお声掛けしたいきさつから、伊藤氏から市大に連絡していただくこととなった。

 427日(月)昼前に伊藤氏にお願いしたところ、学長に連絡してみるとのことであり、そのことを徳岡氏に報告。翌28日、徳岡氏から先方のRCに報告したら、30日(木)昼に「台南市の副市長参加のセレモニー」があるので、その際に皆さんに報告できればありがたいので、それまでに、結論をお願いできないかとの返事が・・・。

 翌日の29日(水)は祝日なので、如何なものかと一抹の不安を抱きながらも、伊藤氏に連絡したら、大学側は大変ありがたい話であるとの返事が・・・。
早速、台南エリートRCに報告していただき、とりあえず一見落着の月末であった。

 

 その後、徳岡氏と市大付属病院の担当者との連絡により、無事に防護服および医療用マスク500が、大阪市大病院に届いた。 
コロナ問題が一段落した6月初旬に、病院から感謝状が贈られた。
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平田病院長、荒川哲男学長、大坂アーバンRC・岡会長、徳岡・国際奉仕委員長

 

 人間、長く生きていれば、何かとご縁ができ、お役に立てるものである。

  

  又、我々大阪平野ロータリークラブにおいても、5月末に大阪市の小学生にマスクの寄贈し、その模様が、毎日新聞(531日)朝刊に掲載された。

「マスクで子供たちを守って」大阪平野RC22小学校に55000枚寄贈(見出し)

 大阪平野ロータリークラブ(伊藤英樹会長、51名)は小学校授業再開に向け、大坂市平野区の市立小22校にマスク計55000枚を寄贈した。伊藤会長らが28日、市立長原小(137人)を訪れ、長井博和校長にマスク2500枚を手渡した=写真。マスク不足が表面化した当初は区内の医療関係者への寄贈を模索したが、入手ルートがつかめず断念。5月に入って、ようやく確保の見通しが立ち、再会を控える学校への寄贈を決めた。会員が手分けして、20日から各校に配布。
伊藤会長は「教職員にもマスクを使ってもらい、子供たちの安全を守ることにつながれば」と話した。
長井校長は「臨時休校中の登校日にもマスクを忘れてくる児童がいたので、学校で使えるマスクがあるのはありがたい」と話した。

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平野区の市立小学校22校に、1週間の内に当クラブ員が手分けして配布した。

 

今回コロナウイルスにさいしても、海外のRCからも寄贈していただいた。
1995117日に発生した阪神淡路大震災の折も、海外のRCから「医者を派遣するから、宿泊施設を確保してくほしい。」との連絡があってから、早や25年経った。

  9年前の東日本大震災の折にも、すぐに連絡が入った。

そのクラブとは、今も姉妹クラブ(タイ、台湾)として交流が続いている。

                      2020-8-1
                      Y.YOSHIHARA 

  4月中旬、松井大阪市長が防具服不足の解消にビニールの雨ガッパを使用しているとの報道を見た滋賀県大津市で開業されている台湾出身の王輝生医師(婦人科)が、台湾の医師に協力依頼をした。台湾の新聞にも報道され輪が広がった・・・。(5月中旬・テレビ“Mr.サンデイ”で取り上げられた際に、王医師と中継)

今回、徳岡氏からの防護服の寄贈先の相談を受けたのは、4月下旬であったことから推察すると、この王医師の行動が原点であったのだろうか?。
次回、徳岡氏にお会いした時に、聞いてみようと思う 

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今月のひとこと「広いお胸」坂村真民
 

「嵐は かならず 去る

 火は かならず 消える

 夜は かならず あける

 このことが わかれば

 大抵のことは 解決する・・・」

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2020-8-4

   先日、台湾の李登輝・元総統が逝去された。新聞、テレビなど多くのマスコミから、その偉業が照会された。

日本の大学を卒業され、日本のことを我が国のように想い、日台強化に尽力された・・・。

 
   今月号当
ブログ、「台湾からの500もの防護服、防護マスクの寄贈」は、この精神が受け継がれているのであろうか.

 

先日の例会(6日)時に、タイ・プラカノンRCからも、マスクが送られてきたとの報告を受けた。

 

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「ストレス解消・コロナウイルス」 2020-7

 3月17日、フランスと日本を行き来する作家・石田ハマさんは、フランスにいた。
その日は、ロックダウン・外出禁止令が出された日である。

午後7時になると国民は窓を開け、過酷な医療従事者に対して拍手を送ってねぎらった。
その様子を見て「喝采」と石田さんは、名づけた。

その後、日本に帰国する空港では、日本人は冷静に、人前ではしゃべらず、・・・・・それは、外国で生活していると特に日本人の良さや強さを感じた・・・。

石田さんの作品「たゆたえども沈まず」
「どんな厳しい嵐でも、それが過ぎれば・・・・・。」 と、石田さんは語る。
5月初旬NHKテレビで)

  山中教授―PCR検査について、「大学の医療機関が設備を持っているので、それを活用すればかなりの数が・・・」との安倍総理にアドバイスの様子が、テレビで中継された。(5月の連休中)
それを聞いた医師か評論家?が、検査になれていない人でないと難しいとも語る・・・。

又、後日山中教授が「実効再生産数(k)」の話、患者が少し減少、横ばいの地域は、経済対策も考慮しながら、そして「ウイルスとの共存」は1年で6割減に・・・と語られた。

 

  直接目に見えない、誰しもが確証できないこの問題に、 各局のテレビ報道でも同じ事ばかり?で、余計にストレスがたまる毎日であった。
誰が悪い云々の評論が多いが、人のせいにしないでほしい。
いい案があれば、意見を述べてほしい。
早い回復を願う気持ち、思いは誰しもが一諸であろうに・・・。

  
 これを機会に、「平和が如何にありがたいものである。」と気づく良い機会ととらえて、マイナスばかり考えずに、プラス思考で行きたいものである。
「プラス思考、あるやなしやが、分かれ道」

 小学生が「このピンチを、チャンスに帰る努力を」と語る場面がテレビで放映された。

私は、BS・NHK等で、心休まる番組や、趣味の内容の録画番組を観て、ストレス解消している

 

 5月初旬に池江璃花子(史上初、アジア大会六冠。その後白血病発症)さんは、NHKテレビで語る
「振り向かずに 前へ」
「必ず 戻ってきます」

昨年急遽入院、1日20錠の薬を飲み,10ヶ月の入院生活の後に退院。
「こんな苦しいのだったら、死んだ方がいい」

同じ入院患者・吉田麻里さんと語り合い、精神的に楽になったと語る。
「当たり前が、如何に幸せか」

本年2月8日トレーニング開始
「自分と同じ病気になった人に勇気を与えたい」

3月17日プールへ
「日常生活に、感謝」
「どん底まで行った人間が、一歩づつ、未来に向った姿を見せたい」
 そして、2024年のパリオリンピックに照準を合わせて・・・と池江さんは語る。

 年に60日スキー場にいると語る星野リゾート会長は
「五年後、生き延びた時に、この経験を勲章に!」と語られていた。

 これを機会に、「如何に平和がありがたいものか」と気づく良い機会ととらえて、マイナスばかりを考えずに、プラス思考で行きたいものである。

「プラス思考、あるやなしやが、分かれ道」        
                                  
2020-7-1
                                  Y.YOSHIHARA

 

「池江、10月復帰戦目指す」産経新聞(7月3日朝刊・一面に記事)

白血病と闘う競泳女子の池江璃花子選手(19歳)日本大2年、ルネサンスーが、2日、昨年12月の退院後初めて練習を公開、10月上旬の日本学生選手権でのレース復帰を目標に掲げた。出場すれば、昨年1月以来1年9ヶ月ぶりのレースとなる。

(同じ入院患者であった吉田麻里さんは、退院されたのであろうか?)

 

PS-本ブログが今月号で、16年目に突入!

朝の散歩道で(5月)

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             電柱に寄りそう花        ドラムカンの花  

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     道路の青ガエル     我が家屋上の青ガエル・テントウムシ

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今月のひとこと

「コロナウイルスに打ち克つ危機管理について」織田邦男教授


「有事の際のメディアの役割は、

政権批判や素人のコメンテーターに面白おかしく意見を言わせるのでなく、

できる限り正確で専門性の高い情報を発信し、

日本がワンチームになるべく国民のフォロワーシップをうまく熟成することです。

政府もメディアも国民もすべてが運命共同体です・・・。」

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    我が家のビワ         我が家で羽化したセミ



PS-私の知人から「検温カメラ」の案内が送付されてきました。
 「タブレット型体温検知カメラ TMT-01Sは店舗や施設の入口に設置し、リアルタイムに入場者の体温測定を行うことができます。
また、顔登録機能を備えており、入退室管理と連動することも可能です。
効率的な体温計測・管理機能で、安全管理・予防に効果を発揮し、人的コストも削減します。

 ★資料はこちら⇒  https://www.solidcamera.net/share/webinar/tmt01s.pdf
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 ソリッド株式会社 ソリッドカメラグループ 担当:福光、井上
 Tel:06-6228-0577
 Email:info@solidcamera.net

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「”親子の日” ブルース・オズボーン氏」2020-6

「母の日」は5月第2日曜日、「父の日」は6月第3日曜日
そして「親子の日」は7月第4日曜日と、ブルース・オズボーン氏は、語られる。

親子の日は、親と子が向き合う日
         親と子の思いやりと愛情に包まれる日
         親であることの喜び、子であることの幸せを感じ合う日。
アメリカ人写真家ブルース・オズボーンの呼びかけで始まった。
そのご夫婦に、偶然お会いする機会に恵まれた。

 
  坂根直樹理事長から「写真展開催レセプションの案内」をいただいた。
3月11日、東日本大震災発生9年となることから、大震災に際し共同で救援、人道支援にあたられました在日米軍及び防衛省からなる貴重な記録の貸し出しを受け、別添のごとく「トモダチのきずな写真展」を開催する運びとなりました・・・・・。

  2月末日、新コロナ・ウイルス問題で、3月9日(水)の開会セレモニーは中止の連絡が入ったが、写真展は予定通り開催された。

 
 
3月末日、急遽、河野太郎防衛大臣、ニコラス・ヒル米国大使館首席公使代理が、公務ご多忙の中、東京の外国特派員協会での写真展に来訪されることとなった。坂根理事長からの連絡が入り、新型コロナウイルス問題真っ盛りの中、上京してお迎えをした。
5階エレ―べ―タ―前で、理事長と私で大臣をお迎えし「公務ご多忙の中、ご苦労さまです。」とご挨拶させていただいた。

 約30分、熱心に理事長の説明を聞きながら見学され、理事長の奥様のお点前で歓談、休憩いただき、大臣、アメリカ大使館首席公使代理、日本外国特派員協会・会長(外国人)を御見送りした。


  その後、約10名弱の主催者側の皆さんで、私共も理事長の奥様のお点前をいただきながら、今日の思いを語りあった。
今回の実行委員長で、写真家・ブルース・オズボーン氏(アメリカ)ご夫妻と名刺交換させていただいた。
その方が、「母の日」5月第2日曜日、「父の日」6月第3日曜日、そして「親子の日」7月第4日曜日(2003年提唱)と説かれるブルース・オズボーン氏であった。
1950年生まれのアメリカ人で、1980年から日本で活躍され、1982年よりライフワークである「親子」シリーズを手がけ、東日本大震災(2011年3月11日)の地にも何度も赴かれ、東日本大震災復興支援ブックレット「仲間がいる。家族がいる。絆がある。」等、写真を通じて「親子の日普及推進委員会」で活躍されている。


帰り際に、皆さんにそのパンフレット、復興支援ブックレット等をいただいた。 

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                         震災復興支援ブック 

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     映画監督・大林宣彦親子           歌手・安田祥子親子

2017年、「親子の日」の活動への評価を得て、東久邇宮文化褒賞を授賞された。

 
   帰阪の新幹線の中で、それらを読ませていただき、「親子の日普及推進委員会」(「親」と「子」の関係を見つめ、自然をも含むすべての「環境」に敬意をはらい、平和を願うという理念に共感して発足した委員会)の活動に、感動させていただくひとときであった。

 
  上京(日曜日)の新幹線の乗客は満員であったが、帰阪(月曜日)は2~3割ぐらいであっただろうか。
家内も、息子も、コロナ問題で気にしていたのであるが、(当時、高齢者が危険と報道されていた。)、潜伏期間と言われる2週間過ぎても元気である。

                                       2020-6-1   
                                       Y.YOSHIHARA

(東京へ行くと、靖国神社か明治神宮にお参りしている。今回は、靖国神社へお参りして帰阪した。本殿に入っての参拝は、いつもは数人の方との参拝であるが、今回は私一人であった。ここにも、コロナ問題が影響しているようであった。)


(―坂根理事長から「写真展開催レセプションの案内」―
2月末
・・・別添のごとく「トモダチのきずな写真展」を開催する運びとなりました。
 本事業は8年来、諸団体のご協力により、西日本各地42か所で巡回開催してきた写真展の一環であり、今回はとくに日米両国の長い歴史に基づく友好親善のさらなる進化、強化に資するとともに全世界から集う外国特派員の皆様の手で今年60年を迎えた日米同盟・安全保障の意義を広く国際社会に告知する機会と考えます。この写真展の趣旨に賛同され、会場を快く提供いただきました公益法人日本外国特派員協会様のご好意に厚く感謝申し上げます・・・・・。


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今月のひとこと「幸福に生きる秘訣は」

「幸福に生きる秘訣は、
     自分のいちばん好きなことをして生きる、
     ということに尽きる。」

 「個性というのは元々傷なの、欠点なの。
     それに誇りを持ったら初めて個性になる。」

「人生は、奇妙奇天烈。 
     ならば生きよう、面白く。」 

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ)82
1938年19日~2020410

映画監督、旭日小綬章、文化功労者
倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、
尚美学園大学名誉教授
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大林宣彦作品「この空の花 長岡花火物語」
東日本大震災後を生きる子供達への希望が描かれている。)

2019年遺作「海辺の映画館、キネマの玉手箱」は、本年410日公開予定であったが、新型コロナウイルスの為に公開延期。
4月11日の朝刊に、肺癌のために10日逝去(82歳)の報が・・・。


(私のブログ「会長のひとりごと」掲載お願いメールに、オズボーン夫妻からの返信)

大林監督が私たちに贈ってくださった素晴らしい応援メッセージがありますので、シェアさせていただきます。
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《大林宣彦監督からの応援メッセージ》
 
親子の絆は縦軸のコミュニケーションである。現在と過去、現在と未来を結ぶ時間を豊かにしてくれる。情報社会は横軸の世界を広げてくれたが、縦軸の約束を忘れてきた。その事が現代の不幸を多くを生んだと反省する今、親子を結ぶ物語が切実に必要だ。「親子の日」を応援します。  
 
大林宣彦/ 映画監督

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  河野防衛大臣を囲んで  山崎幸二・防衛省統合幕僚長 陸将

(左より、オズボーン夫妻、協会長、大使館主席公使代理、大臣、理事長、お出迎えの面々)

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