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NHK朝ドラ「わろてんか」 2018-5

NHK朝ドラ「わろてんか」が、いよいよ最終の月を迎えた。昨日(3月12日)は、昭和14年、エンタツ・アチャコ(ドラマでは、キース、アサリの役)のコンビが復活し、戦地の慰問団の一員として活躍するシーンであった。私が、生まれる4年前のことである。

 

「わろてんか」の主人公“藤岡てん”は、現在の吉本興業の創立者“吉本せい”さんで、よく笑うので「げら」と言われたらしい。(関西エリアでは、笑い上戸の意で使われていた。)

 

“てん”がご主人を亡くし、それを支える息子、専務、悩んだ時に相談する伊能(高橋一生:現在の阪急阪神東宝グループの創業者小林一三氏・大阪ロータリークラブのチャターメンバー)との葛藤が続く。

 

3月で最終回を迎えるとのことあるが、昭和何年までの吉本興業を描かれるのだろうか。

 

(3月12日現在)

 

 

 

最終回の3月31日は、第二次世界大戦で一時解散した“風鳥亭”が、終戦を迎えて仮設の舞台で再度復活の催しが・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 

 

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BKスタジオ・セット風景

(昔、父から、エンタツは東京、アチャコは関西の持ち味で、一度コンビ解消したが・・・と聞いて何年経つのだろうか。)

 

 

 

 花菱アチャコさんの思い出は、私が小学校の頃「アチャコの青春手帳」「お父さんはお人好し」というラジオ番組があり、NHKBKスタジオで公開放送?をされていた。特に、「お父さんはお人好し」を観るのが楽しみで、そのスタジオに通ったものである。(スタジオで、舞台観劇)

 

BKとは大阪放送局をさす。ちなみにNHKAKスタジオは、東京放送局を表すとのことである。当時の大阪では、所在地が、馬場町(地名)の交差点の角にあるので、BKを“馬場町、角”の略と話す人も少なくなかった。現在地の東道路側を隔てた向い側。)

 

 

 

 その影響か、私は将来アナウンサーになりたいと思い、その手始めにNHKの児童劇団に入ろうとの思いから局の方に相談した。すると当時八尾市に住んでいたので、午後の授業を休まなければならないとのことであった。母親に相談するも、了解を得られなかった苦い思い出がある。

 

しかし、小学校の放送部に入り、校内でアナウンスする機会に恵まれたのだが・・・。

 

今は亡き父親の後を継ぎ、代表取締役社長も譲り、会長職として勤務している。

 

 

 

 吉本興業㈱と言えば、中邨秀雄氏(後に社長、会長、名誉会長を歴任)と約40年前に同じロータリークラブの会員であったので、毎週例会場で会食をした。

 

当時、懇親会になると一流の芸人さんが余興に駆けつけていただいた。しかし、吉本興業が、東京に本腰を入れなければならないとのことで東京へ行くとのことで退会された。その頃は、製作部長であったと記憶している。

 

 

 

中邨氏は、梅田花月劇場の開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力し、人気テレビ番組「ヤングおー!おー」のプロデュ-スをされた。

 

所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動のものとし、林正之助会長の死去に伴い、代表取締役社長に就任し、東京進出の旗振り役となり、関西ローカルだった吉本を「全国区」に押し上げた。(2015年7月逝去。)

 

 

 

大阪には、吉本興業㈱と松竹㈱の二大プロダクションがある。

 

松竹㈱(連結子会社に松竹芸能㈱)には、渋谷天外、藤山寛美、藤山直美、嘉門達夫、笑福亭鶴光、中田ダイマル・ラケット、笑福亭鶴瓶、森脇健二、東ちづる,北野誠・・・。

 

又、宮川左近ショーの三味線の名手・暁照夫(故・2015年78歳)さんの御店“三味”も懐かしく、今も、その弟子“暁トリオ”の“暁あきら”さんの店「暁~“AKIRA~”」に、忘れそうになった頃に顔を出す。

 

 

 

 又、松竹座の前にレトロ調でシックな歌える店“アーゴ“(時折り、プロ歌手も顔を出すカラオケ・バー?)がある。隣席のグループの男性から「よければ、こちらの席にどうですか?」と声をかけていただいた。松竹芸能の漫才師の夫婦(以前よくテレビに出演)と吉本興業の夫婦漫才コンビで、舞台では無口でボケ役の旦那なのに、一人喋り捲り、あっけにとられたが、私も中邨・元社長や、暁輝夫さんと面識があったことを話し、世のふけるのも忘れて話した思い出がある。

 

 

 

1年半前であろうか、その店で透き通った大変美しい声で歌う日中親善平和大使である歌手「ユウ 燕」さんと偶然に出会い、彼女が歌うCDをプレゼントしていただいた。

 

(歌手“テレサ・テン”の姪。テイチク所属)

 

 

 

又、桂春之輔(関西落語協会副会長)師匠の観劇(繁昌亭)後、知人共に食事を。

 

(今年4代目桂春団治を襲名。数十年前には、3代目春団治師匠と会食も)

 

 

 

先日、昔お世話になった友人の姪御さんの“ラウンジ・春木”を覗いた。カウンターに座ると、右隣に落語家・林家染二師匠が。「五月の繁昌亭によろしく・・・」と。

 

(師匠の幼年期は、私の町内で過ごされたとのことである。)

 


大阪は、色々な出会いがある、本当に気さくな街である。

                 
2018-5-1
                          
YYOSHIHARA

 

 

 

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ミスリリコ・アンドシローと私
 (ミスワカナ・玉松一郎?)

 

 

 

中邨(なかむら)秀雄氏の著書(大和出版)

 

「男の顔は40代の生き方で変わる」1997年発行より

 

 “人生を棒に振らないための<中邨流>サバイバル哲学。”

 

“笑いの王国・吉本興業の社長が書いたー!!”

 

“人は人、おれはおれ。人生ゆっくり急げ”

 

 

 

1932年大阪市生まれ。

 

関西学院大学文学部卒、同年吉本興業入社。

 

白木みのるカバン持ちや、当時全盛時代の映画舘の掃除、看板の付け替え等の仕事に従事。

 

1ケ月ほど、一人で東南アジアを旅する。何処へ行っても思い出すことは、仕事のことばかり、再び会社に戻る。

 

77年取締役製作部長に就任、81年常務取締役、86年副社長を経て、91年社長に就任。

 

1907年に創業された吉本のドンと言われた故林正之助会長からその経営を受け継ぐ。

 

 

 

花菱アチャコのマネージャー経験から学んだ「偉くなってもおごらず。人に頭を下げる」姿勢を貫く。学生時代はラグビー部のスタンドオフとして活躍。

 

明石家さんま、島田しんすけ、ダウン・タウン、桂三枝、桂文鎮、西川きよし、間関平らの人気タレントを育てる。

 

著書 「笑売心得帳」(東洋経済新報社)

 

   「人が化ければ会社も化ける」(ウエッジ)

 

   「自分が楽しむ。だから成功する」(PHP研究所)

 

“アーゴ”に関する当ブログ「会長のひとりごと」

 

        2015-1月号「道頓堀界隈を散策して」

 

NHK”に関する当ブログ「会長のひとりごと」

 

 2010-11月号「羽田空港新国際線ターミナルビル

 

       とNHKを訪れて」

 

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今月のことば 「顔を見れば色々なことがわかる」

 

 

 

「能力や育ち、人柄など、その人間のバックボーンが不思議と分かるものだ。

 

多くの芸人を見ていると、やはり売れるには売れ顔がある。

 

 

 

そして顔は、歳と共に変わってくる。

 

顔にはその人の生きてきた染(し)みがすべて現れてくる。

 

築いてきた自信。引き図ってきた過去の失敗。根底に抱える不安。自分だけの夢。

 

 

 

四十代になって、やっと自分の顔ができる。

 

五十までの十年間は、その顔をどんどんよくしていく時期だ。

 

五十を超してから良い顔にすることは、困難だ。

 

まして六十過ぎれば、死ぬまでその顔と付き合うことになる。 」

 

 

 

中邨秀雄著「男の顔は40代の生き方で変わる」大和出版より

 

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