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「上方落語の三百年」肥田晧三(元・関西大教授) 2017-6

 江戸時代に、大名や上流の町人が「お伽(とぎ)衆」を囲った。例えば井原西鶴の「好色一代男」など、笑い話を・・・。その対象が、一部の階級から、庶民へと変化していったと話された。

肥田晧三先生は、京都に「露の五郎兵衛」の輩出を説明され、その露の五郎兵衛の原本を掲げて見せられた。原本の五冊をそろえて持っているのは、日本では肥田先生だけだそうである。


 噺家・露の五郎兵衛(京都)「猪のよみがえり」を紹介された。

猪を仕留めた猟師「今、仕留めたばかりの猪だ」

商人「鉄砲の跡がないのは、古いから・・・」猟師「いや、今仕留めたんだ」と二人がもめている間に、今まで気絶していたはずの猪が逃げだしてしまう、猟師「あないに 新しい」

昔は、短い話で、「下げ」で笑わし、それで勝負した。

五郎兵衛の演じた噺「軽口露がはなし」「露新軽口はなし」「露の五郎兵衛新はなし」「露休置土産」などの著書があるとことであった。


 元禄時代、生玉神社(大阪市天王寺区)のハス池の辺で、当時賑やかな娯楽を楽しんだ。落語、万歳、講釈師、浪花節などの小屋が並んでいた。一日中楽しめるとのうわさが広がった。

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  生玉神社の図     二代目米澤彦八

米澤彦八(大坂)

「当世軽口男」「軽口御前男」「軽口大矢数」生国魂神社境内に記念碑建立

盗難の話 -雨風の中、土蔵に入る為、屋尻切りのゴソゴソする音で気づいた主人が、二百文を握らしたら「ご丁寧に、これではまた重ねて参りにくい・・・」

盗人の話 -五百両の入った銭箱を盗まれて「大丈夫だ。カギは持っているから大丈夫。」


二代目米澤彦八(京都

お代を頂戴するのに、これまでは編笠を回したが、彦八は柳行李に変えた。

本居宣長の日記「在京日記」に彦八の話が度々出てくる。

(正月)祇園で、彦八が人の耳を喜ばしている。

(お盆)役者、物まね、江戸万歳、色物芸・・・も賑やか・・・。

(夏)四条河原の夕涼みに・・・、彦八の話を聞きに・・・。

時間の関係で、表題の「上方落語の三百年」の内の百五十年しか語れない・・・。

屋外から屋内に、そして話が長くなり、上方から江戸・東京へと・・・・・。

桂文治(大阪) 上方落語中興の祖。桂は月の中から生まれた美男子、桂文治の名前に「美男子の文治」の意味があった。後年、三遊亭円楽が「星の王子様」と称したのに似ている。

芝居噺を、大道具などを用いていかにも芝居を見ているように感じさせる。上方落語を凝集させた落語家であった。坐摩神社に碑を建立。


 彼らが「大阪の落語、上方落語の基礎を築いた四人の名人である。」と締めくくられた。

 肥田晧三(元・関西大教授、書誌学・近世文学者)先生の講演「上方落語の三百年」紺の紬姿で、多くの原本からの珍しい挿絵を見せていただきながら解説していただいたので、約九十分の話もあっという間のひと時であった。


(私が最近お会いした上方落語家は、上方落語協会副会長・桂春之輔師匠や林家染二師匠である。天満の「繁盛亭」で落語を聞いて?見て?、その後に会食する機会があった。私の住まいの近くに染二師匠の実家がある。先日、4代目桂春団治を継がれる春之輔師匠の祝賀行事の案内をいただいた。)


 講演後、肥田先生の同期の方から旧制中学生時代のよく遊んだ話を、ご自身からは、よくマージャンをしたり、南に遊び行った事、宝塚歌劇「八千草薫」「扇千景」のファンであったこと、夏目漱石の「吾輩は猫である」の研究をしたことなどを話された。

また、親友の山中章三郎氏(山中伸弥京大教授の尊父)と写真館で撮った写真の新聞(1984年・読売新聞に掲載)のコピーも資料の一部としていただいた。


 肥田先生は私の13年上の高津高校の先輩にあたり、講演後、私も約60年前の高校時代の思いにふけった。(柔道部、陸上部、コーラス部、カルテット、生徒会役員)私も、漱石ファンで、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「それから」「心」などを読んだことも思い出した。今も高校の友達と、懇意な付き合いが続いている。

                                                     2017-6-1 

                              Y.YOSHIHARA  

高津高校創立100周年記念協賛

連続公開講座「高津の群像」

第2回 肥田晧三先生「上方落語の三百年」講演

今回は、第56回青雲会(大阪大学)主催、オダサク倶楽部協力で大阪大学中之島センターで開催された。

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 パンフレット    講演中の肥田氏

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    露の五郎兵衛の原本

講師 プロフィール

1930年(昭和5年 大阪市南島之内に生まれる

1943年 旧制高津中学に入学、肺結核による休学、特に理科などの勉強嫌いで落第を繰り返す

1953年(昭和28年) 中退。以後10年以上病床生活。文学と郷土史への関心は絶ちがたく、図書館で本を借り読みふける。1968年(昭和43年)中之島府立図書館非常勤勤嘱託に、一層、資料探しの虫に。

1974年(昭和49年) 関西大学図書館非常勤勤嘱託、非常勤講師

1984年(昭和59年) 関西大学文学部教授

1989年(平成元年) 「上方学藝史叢攷(そうこう)」で関西大学文学博士を取得

1990年(平成2年) 退職

現在 読売新聞の毎週木曜日夕刊で「再見 なにわ文化」好評連載中。

背広は一着も持っていない。普段は紺のつむぎの着物。

著書 「露伴遺珠」(湯川書房1978

   「上方噺本集」(八木書店1982

   「近世子どもの絵本集・上方編」共著

   (岩波書店1985毎日出版文化賞特別賞受賞)

   「上方風雅信」(人文書院1986) 他

2014年(平成26年)大和郡山市から第2回水木十五堂賞を受賞

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今月のひとこと「人生一路」漫才師・京唄子

人生一路

   人生は我が故郷の丘に登りて

   やったあと大きな声で 

    叫べる人間になりたい」

  PS 上方と言えば、漫才界で一斉風靡した京都生まれの漫才師・京唄子師匠が本年4月に亡くなられたと報じられた。22年前に食事をご一諸する機会があり、師匠が幼き頃に近所の子にいじめられ、大変悔しかったと話されたお顔を、今も鮮明に覚えている。その時に、記念にいただいた色紙「人生一路」より。 

5月19日NHK「かんさい熱視線」で京唄子氏の舞台にかけた人生をコメディアン・大村昆氏が語っていた。

「上方の灯を消さないでと、後輩を育てる・・・。

89年の生涯を舞台にかけて・・・」

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