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「出会いから55年」  2016-8

  「日本で五本の指に入る霊の研究者」と滝動尊教・元四天王寺管長(故)が、講演会(約25年前)で語られた志賀美恵子師の十七回忌(七月十日)を迎えられる直前に、6年ぶりに米子に向った。


 九州では50年に一度の豪雨との報道の後、予定の午後出発を午前中に早めて余裕をもって大阪から米子まで約
250kmを運転し、無事お参りすることができた。

 

高校三年生の夏休み、受験勉強を静かな涼しいところでと誘ってくれた徳川英雄(徳川家の末裔)君と京都の山奥の「美山荘」で志賀氏とのご縁ができた

 
 霊の研究をされている方と紹介され、約一ヶ月のお付き合いとなった。

(料理旅館「美山荘」は明治28年創業、今では、「予約のとれない宿・美山荘」と称され、ミシュランガイドで毎年のように紹介されている。)


 遠方から相談事や悩みを持つ方々が志賀美恵子さんの元へ訪れられる。

自分には霊が見えるが、あなた方にも見えるように研究していると語られた。

時には、警察の公安からの協力依頼もあったともお聞きした。

 一見、宝塚の男役のような風格の志賀さんは、我々にも気軽に声をかけていただいた。

(元女優・淡島千景さんに似た風貌であったと記憶している。)

志賀美恵子さんを、恵美子さんと呼んで叱られたことを思い出す。美山荘には、よく似た年代の恵美子さん(三代目ご主人・中東吉次氏の従姉、現在は四代目中東久人氏)がおられたので、時折間違えて呼ぶことがあったからである。

その美山荘のすぐ奥に平家の落ち武者の霊が出るといわれる大悲山があり、峰定寺がある。美山荘から右に小川を見ながら進むと左手に峰定寺の仁王門があり、それを登っていくと「清水の舞台」のようにせり出した御堂に遭遇する。

ある夜、志賀さんから美山荘の奥の峰定寺におまいりに行くので一緒にとお誘いをうけ、数人で石畳の階段を登つめると「清水の舞台」のように突き出たお堂で一夜を過ごすこととなった。

仮眠していると夜中の何ドキであろうか、お経が・・・。「出たァー」と心のなかで叫んだ。薄目を開けておそるおそるその声の方を見ると、尼僧がお経をあげられている。

「早く夜が明けてほしい・・・。」と。

以前に「平家の落ち武者の霊が出る・・・。」と聞いていたので、大悲山の名の由来はそこにあるのかと思っていたが、実は「観音さまの大いなる慈悲心」ということのようである。


美山荘3代目吉次氏(故)の弟・中東久雄のお店に寄せていただいた折にも、時には除霊のために志賀さんに会いに来られる人がいたとも聞いた。

(銀閣寺近くの割烹料理の店“草喰・なかひがし”を開業され、予約のとれないお店と称され、「美山荘」と共にミシュランガイドに掲載、テレビでも時折取り上げられている。当時は、小学生で「美山荘」前の小川で魚をすくっておられた姿を思いだす。)

その秋、私の兄が名古屋の大学に在籍していたので愛知県津島市に居を構えられていた志賀氏のご自宅に寄せていただき、それから今年で丁度55年になる。

その頃のアルバムを開いてみると、黒い猫を抱き微笑まれた志賀さんの白黒の写真がある。

お若い写真である。志賀氏の供養をされている由理子氏に年齢を聞くと、私より15歳上とのことであった。

約25年前に「時折、志賀師に会いに行く。」と言っておられた滝動師も今は帰らぬ人となられた。

この年になると色々な方との出会い、ご縁ができ、世間が狭く感じる。

                                                2016-8-1
                 Y.YOSHIHARA

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   志賀美恵子氏のご自宅で   美山荘、峯定寺参道案内板

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   「美山荘」大女将さんと     「草喰・なかひがし」
       
                         ご主人、女将さんと

志賀美恵子氏に関連する私の過去の掲載ブログ

2009-8「半世紀ぶりの大悲山峰定寺と美山荘」

  -11「ミュランガイドと美山荘」

2014-5「“草喰・なかひがし”NHKテレビで」

 高校時代といえば、徳川英雄・ヴァイオリン(開業医)、井上雄策・ベース(東証1部・アルインコ㈱会長)、中野・ギター、私・ギターとで、カルテットを組んで歌った高校生の頃が懐かしい・・・。

 私の高校からの親友・井上雄策さんの後輩(同志社大学・商学部卒)にあたる伊勢田愛さんが、今年のリオ・オリンピックのウィンド・サーフィンに(2012年世界大会で2連覇)日本代表で出場と大学での壮行会映像が流れた。

 父親の伊勢田稔さんは、マリンスポーツにあこがれて大学卒業 の二十歳代は、神奈川県茅ヶ崎で過ごされ、現在は大阪の実家から滋賀県に移住、マリンスポーツの学校を経営されていると、数十年前に稔氏から聞いたことがある。
昨年言葉を交わした方が愛さんなのであろうか。
伊勢田愛(めぐみ)さんガンバレ!!。

(決勝・日本時間8月15日午前1時より)

伊勢田稔さん2008年 全日本WAVEクラッシクオープンクラスチャンピオン)

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今月のひとこと 

「黄金の鋲」元四天王寺管長・滝動尊教師

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  人間にはそれぞれ霊格がある。一般には徳という言葉で言われている。
仁徳のある人は人に好かれ、慕われ、対人関係がうまくゆく。 
その霊格の高い人が、トップの座を持っていれば、家族がその力によって豊かな世界を享受することができる。
会社にあっては社長の徳がその社運に影響を与える。
 その霊格を高め、徳を養う最たるものは、利他精神であり、世の為・人のために尽くすことである。

・・・この意味に於いて今、与謝野晶子の詩を味わいたい。

「劫初(ごうしょ=この世の初め)より作り営む殿堂に、われも黄金の鋲一つうつ」

・・・先輩は、文化の殿堂を建設してきた。

・・・それが一本の鋲であっても、黄金の鋲を打つことにより、美しくまた堅牢に・・・。

黄金の鋲を打たねばならない、打ちたいものだといった詩である。

(当業界30周年1982年の記念誌に掲載された文章より)

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コメント

四天王寺高校卒業生の者です。
美山荘を検索していまして偶然拝見いたしました。
瀧藤尊教先生より、四天王寺入学の際に「夢心」と書かれた色紙を塾の恩師を通じていただいた事を思い出し見返しております。
また、美山荘には毎年夏に鮎をいただきに伺っておりまして、記事を拝見し不思議な感覚になりました。

貴重な記事をありがとうございました。

投稿: | 2017年11月10日 (金) 18時31分

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