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河田惠昭・関西大学教授による基調講演「大阪に津波が来たら?」 とパネルディスディスション   2016-5

   公開シンポジュウム「東南海地震に備える“語り継ぐ津波の脅威~東日本大震災から学ぶもの~”」が3月13日(日)に大阪府立国際会議場で開催された。
   河田惠昭教授の基調講演「大阪に津波が来たら?」の後、辛坊二郎氏の司会(コーディネ―タ―)で、パネルディスカッション「東日本大震災被災地からの報告~語り継ぐものは何か~」が行われた。

   河田教授の講演は、「大阪市内はゼロメーター地帯が多く、現況では日本で一番危険で、東京に応援に行くと言える立場にない。大阪こそ危険である。」との説明から始まった。
   1854年安政南海大津波では、市内が水没し、堂島川では約1700隻の船が打ち上げられ、道頓堀川もあふれ、千日前でその船の処分に6ヶ月を要した。
   1934年の室戸台風高潮では880人の犠牲者を、1950年のジェーン台風高潮では220の犠牲者を出したが、その後の高潮対策で、1961年の第二室戸台風高潮では、一人の死者も出さなかった。
   関西空港の建物も、液状化現象の影響を受けるから、ジャッキで持ち上げられるようにしてあるとのことであった。
(私は、関空の建設計画された折に、当時の運輸省役人であった大学の同窓Iさんから、そのことを聞いたことを思い出した。)

   特に上町台地から西は湿地帯で、その被害について語られた。 この地域は、液状化現象に見舞われ、救急車や消防車が駆けつけることができないであろう。橋も老朽化し、多くの橋が甚大な損害を被る。地下鉄、地下街が浸水し、その復旧に半年はかかるであろう。もちろん、電気も途絶える。

   和歌山、高知の津波は10数メータルに達するであろうが、瀬戸内海に面した大阪は友ヶ島が防波堤代わりとなり、5~6メータルの津波で済むであろう。 但し、瀬戸内海プレートが震源になれば別であるが・・・。
   通常の地震は、3~5秒続くものであるが、神戸淡路大震災の時は12秒、巨大地震が起これば3分続くとの事であった。
(私は、神戸淡路大震災の早朝、しらじらと明けようとする空に閃光が走ったように見え、今まで経験したことのない縦揺れでドーンと音がしたようで、その時の大阪は震度4と発表された。)

  消防も道路寸断され現場へ駆けつけれないし、もし行けても断水で活動できないから、自分で消化する事を日頃から心掛けること・・・。 地下街の入り口は、連絡通路を含めて300か所以上ある、地下街、地下鉄の水没は6波、6時間続くとのことである。
(イタリアのサンマルコ広場では、常に水が澱み、ホテルに長靴が備えられているとのことである。)

   東京メトロでは、浸水対策に関する啓発ポスターが掲げられている。 「大阪も、もっと啓蒙をしなければ・・・」と、約1時間の講演を締めくくられた。           

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   続いてのパネルディスカッションは、辛坊二郎氏の司会(コーディネ―タ―)で、パネリストは、河田惠昭・関大教授、戸羽太・陸前高田市長、木下義則・IBC岩手放送記者、四戸直紀・大槌町総合政策部総合政策課、木村忠彦・大阪市東区消防署長の皆さんで、東日本大震災に直接関わった人々の貴重な生の声を聞くことができた。

   戸羽太・陸前高田市長は、「自分の命は、自分で・・・」「災害が来なければ、来ないことにこしたことはないが・・・」また職員には「逃げてはならないが、死んではいけない・・・」等と語られた。 自らの奥さんを東日本大震災で亡くされ、公務とのはざまでその気持ちを思うと計り知れない苦悩があったであろう。
   
  木村忠彦・現大阪市淀川消防署長(当時・大阪市消防局警備方面隊長―)は、大災害の折には、日本はもちろん、世界にも派遣する体制をとっており、5年前の3月11日は、一刻も争うということで、とにかく450名の隊員を東京方面に派遣した。現地に到着するまで約30時間を要した隊員の疲労度を考慮し、交代で対処するように命令したが、現地を見た隊長から「この惨事では、全員総力戦でやらせてほしい・・・」とのことで、即座に第2次隊の派遣を決断し、隊員計1030名、161台の消防車を派遣した。(2011年3月11日~4月13日) 木村氏は、危機的な状態となった福島第一原発で、部下職員とともに原子炉建屋に迫り、冷却放水作業に従事して被ばくされた。
  (災害救助のために大阪府八尾空港に消防局航空隊基地が設けられている。数機のヘリコプターが待機しているが、その基地の格納庫を含む基地建設を当社が建設して38年になる)  
   
   木下義則・IBC岩手放送記者は、 「釜石市の東小学校、中学校の防災啓蒙の成果が、命を救った・・・」  四戸直樹・大槌町総合政策部総合政策課(震災時は、総務課防災業務を担当) 津波が役場を襲い被災、漂流した建物の屋根の上に乗って一夜を過ごし、翌日自衛隊のヘリに救助され、その後自衛隊、国,県との調整、避難所対応に従事された。 「ハードも大事であるが、コミュ二ティ等のソフト面も大事である・・・」

   司会者から、「最後にパネリストの皆さんから、ひとことづつお言葉を」とのことで、
陸前高田市長「家族と、どうするかを話し合うこと。この五年間の検証として、国の許認可権を地方に・・・」
河田教授「イタチごっこである。科学は、絶対でない。常に家族と話し合い、自分で物事を判断し、対処する事。大阪は警報から2時間の余裕があるから・・・」
淀川消防署長「自分の命は、自分で。中学生を中心に地域で防災意識を次世代に繫ぐ啓蒙を。」 最後に河田教授は「生きていく大切さ、教育、若者を育てる。安全安心を皆で協力・・・」 と締めくくられた。

   日本の第1人者と目される河田教授を初め、実際に東日本大震災を目の前で経験された方々の貴重な生の声を聴くことができた。 何時どこで起こるかもしれない震災について、日頃からその時のために対処を意識し、ハード面、ソフト面においてもその準備が必要であることを再認識させられる公開シンポジュウム・東南海地震に備える「語り継ぐ津波の脅威~東日本大震災から学ぶもの~」であった。                         
                                                          2016-5-1                                                                             Y.YOSHIHARA
 

熊本地震被災の皆様に、遅ればせながら、お見舞い申し上げます。

一日も早く、平穏な生活ができるようにお祈りいたします。

河田惠昭・関西大学教授 プロフィール
関西大学社会安全学部・社会安全研究センター長・教授 工学博士  京都大学名誉教授  専門は防災、減災。
現在阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター長(兼務)のほか京大防災研究所長を歴任。
21世紀COE拠点形成プログラム「災害学理の解明と防災学の構築」拠点リーダー。 大都市大震災軽減化プログラム(文部科学省)研究代表者。
2007年 国連SASAKAWA防災賞、2009年 防災功労者内閣総理大臣表彰、 2010年 兵庫県社会賞受賞、2014年 兵庫県功労者表彰。
現在、中央防災会議防災対策実行委員会委員。 日本自然災害学会および日本災害情報学会会長を歴任。

 河田教授におかれましては、公私ご多忙の中、早々と掲載の了解をいただきありがとうございました。

(2016年3月13日 大阪府立国際会議場於 主催担当:堂島本町RC)

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今月のひとこと
「宿命に耐え、運命に戯れ、使命に生きる」
        三菱ケミカルホールヂィングス会長 小林喜光

宿命―男に、女に生まれようが、頭の良し悪し、不遇であろうがそれに耐え
運命―自分の命を運ぶと書くように、自然の成り行きに任せ、難しい時代と戯れる余裕を

最後は、自分が社会に重要であると感じ、家族、仲間、社会に貢献する。                                     
                  月刊誌「致知」4月号より
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