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「隠岐国分寺と金剛組」 2015―9

隠岐(島根県)国分寺のご住職より、当寺に伝わる7つの「蓮華会舞」について説明を受け、その会館を後にしようと靴を履きかけた時、昨年夏に金剛組39代目・金剛利隆氏の孫の瑞さんが、台風の影響で隠岐からの予定の日に帰阪で出来なかったことを思い出した。私が利隆氏初盆のお参りに寄せていただく日(平成26年8月8日)に孫さんが帰阪することが出来ず、金剛組・植松一相談役の案内でのお墓参りとなった。

 毎年恒例の並木会(高校の同級生を中心とした集まり)の旅行、今年は島根県・隠岐へ8組夫婦を含む計17名の2泊3日であった。

大阪伊丹空港から正午少し前に飛び立ち1時間余りで、隠岐で一番大きい島・島後の隠岐空港に着いた。

最初の観光は、「隠岐モーモードーム」で牛相撲観戦であった。牛が頭で突き合い、体重900kgの牛の頭突きは、何度もゴツンと鈍い音を立て、角が目に突き刺さるのでは思うくらいの迫力であった。

その興奮冷めやらぬ内に、次の観光地・隠岐国分寺(天平13年―741年―聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つ)に向かった。

 その「蓮華会之館」でご住職の「蓮華会舞」の説明や、特に毎年この地で行われる行事の説明をされた。重要無形民俗文化財のその舞は、大陸、南洋の雰囲気も醸し出されているとも語られた。またその行事の様を、ビデオで見せていただき、その本堂が類焼して新しく建立され(ほぼ外見は完成の様子)「今年10月に落慶法要される際にまたおいで下さい。」と締めくくられた。

その会館を後にしようと靴を履きかけて、昨年夏に金剛組39代目・金剛敏隆氏のお孫さんが、私の利隆氏初盆のお参りに寄せていただく日に隠岐からの帰阪することが出来ず、植松相談役の案内で聖徳太子建立の四天王寺さんへのお墓参りとなったことを思い出した。

私は、ご住職に「この本堂の建設は、ひよっとして金剛組さんですか。」と尋ねると、「そうです。」と答えられた。

私が金剛利隆氏(一昨年秋逝去)と公私お行き合いいただいたことを手短に話し、昨夏お墓参りにお孫さんとご一緒できなかったことを話すと、「そうなんです。台風の影響で三日足止めされました。」とのことであった。

まさか遠くこの隠岐の地に来て、予期せぬ話にご縁を感じ体に熱いものが走った。

ご住職との会話で同伴のメンバーに少し遅れて、添乗員さんがその敷地内にある後醍醐天皇の説明されている場所に向かった。

(国分寺には「元弘の乱」により島流しとなられた後醍醐天皇の行在所跡と考えられる本堂跡が残されている)

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  牛相撲   「蓮華会舞」を 再建された本堂

            説明されるご住職 

 愛読書・月刊誌「致知」6月号・特集「一天地を開く」で、株式会社・金剛組について掲載されていた。

「長寿企業の再興に懸ける」

“金剛組は世界最古の千四百三十年。小西美術工芸社は日光東照宮以来の三百八十年。

共に激しい風雪に耐え、長い歴史を刻んできた。その歴史が終焉の危機に瀕し、新たな一天地を開かんと挑戦・・・。老舗が陥った問題の本質と永続企業の条件について・・・。“

と月刊誌「致知」に、その見出しが掲載されている。

創業は「日本書記」に載っているそうである。聖徳太子発願の四天王寺は初めての官寺で迎賓館みたいなもの・・・。三人の工匠を百済から向かえたのが、金剛組の起源。

三十九代目が、社長につかれたのが昭和42年、大阪の建設業者の二十会会員から事業拡大して十日会へ、そして関東にも営業所、寺社建築から一般建築にも参画し、コスト競争に・・・。

 現・金剛組社長・刀根健一氏は、高松建設の会長の「一度壊れたらもとに戻らない。積み重ねてきた人・技術もなくなる。大阪の同業者として倒産を見過ごしたら恥である」との一言で金剛組の再建に乗り出した・・・。

「普通の会社に」に立て直す。

職人とどう向き合うか。

五十年後、百年後に評価される仕事を。

本物だから生き続ける。スローガン「金剛組は、社寺建築を通して日本の伝統文化に貢献する企業を目指す」金剛組が、千年以上の歴史を通じて守り続けた世界に誇れる技術を守り続けたい。

株式会社金剛組前相談役・第三九世四天王寺正大工職・金剛利隆氏の著書が一昨年秋(逝去)に発行され、その著書を現相談役・植松襄一氏(四天王寺正大工職代務者として受け継がれている)から、私に届けていただいたのは利隆氏が亡くなられたその年であった。2013年10月31日発行とあるから、ご自分で完成本を見られたのであろうか?。

先日、南のジュンク堂書店で表紙をお客に向けて並べられていた。(平積でない)

植松氏によると、その本の売れ行きは好調とのことである。

古い話になるが、金剛組、高松組も私が十数年前に会長に就任した二十日会の元会員であったと父から聞いたことがある。

同じ会員であった私の父(明治45年生まれ、平成10年・享年86歳逝去)と、ひと回り若いネズミ年生まれの金剛利隆氏とは「午(ウマ)」が合い、毎週日曜日に迎えに来ていただいて飛鳥カントリーククラブで朝1番のスタートでプレイし、帰りは二人でカラオケ(私の会社の近くで)を、また仕事の面では、新生プレファブ協業組合(4社)を約35年継続(現在は解散)、毎年夫婦共々で何十年間恒例の旅行をされ、私が社長に就任してからも夫婦旅行が継続され、私共夫婦も利隆氏ご夫妻から多くの教訓をいただき、また楽しい思い出を今も鮮明に覚えている・・・。
                                                        2015-91

        Y。YOSHIHARA

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国分寺参道前の看板 金剛利隆氏著書

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今月のひとこと

「私には、夢がある。( I Have a Dream ! )

「能力がないのに、夢を見ても仕方ない」?―能力のある人が、夢をみ、成功するのでなく、夢を見るから(見続けるから)能力が引き出させる。

チャンピオンは、偶然に生まれるものでない。成功は、夢見ることからはじまるもの。

目先の問題を処理してからと考えがちですが、それに追い回され、悩み続け、疲れきってしまう。夢や、長期目標があってこそ、何をすべきかが明確になります。

「もう歳だから、今更夢なんて・・・・」ではなく、「成功は、終着駅でなく旅路です。」旅行は、その道中そのものが楽しいように!

 「成功は、夢見ることからはじまる!」

  (Success Guide Post より)

成功は、終着駅でなく旅路です。
   旅行は、その道中そのものが楽しいようにー!

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