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「桜の木が折れ、死ぬことができなかった!」 2015-6

   「桜の木が折れ、死ぬことができなかった!」と語る山田晶一氏から、月刊誌・PHPに掲載される予定だと話された。「生きていれば、道はひらける」という題名だそうである。

   山田晶一さんは、数年前に社長を娘婿さんに譲られ、山田硝子店相談役になられた。その飄々とした山田さんから、あのような波乱に満ちた人生を歩んでこられた足跡のファイトがどこから来るのか計り知れない。

私は、奉仕団体の関係でお付き合いさせていただいて約20年になるが、いまだに計り知れないヒトというのが真実である。

( 月刊誌・PHP7月号より )
ヒューマン・ドキュメント「生きていれば、道はひらける」
「桜が咲き誇る四月、大学を卒業して2年の山田晶一さんは、病院のベッドの上で目を覚ました。」というくだりから始まった。 (以前に、家業がうまくいかず、大阪城公園で睡眠薬を飲み桜の木に縄を縛り首つり自殺を試みたが、その木が折れて未遂に終わったと山田氏御本人から聞いたことがある。) 「神様は私を死なせてくれませんでした・・・・・。一度なくした命。私利私欲を捨て、他人の愛のために生きよう・・・。」24歳の春。  明星高校の時代からロシア文学の夢を抱き、神戸市外国語大学ロシア学科に進学。 大学4年の時に父が心臓発作で急遽なくなり、学生のまま社長に就任。 取引銀行からも見放され、高利貸しに多額の借金が・・・。返済の延期をお願いに行くと、映画のような脅しのセリフを浴びせられ・・・。 返済する当てもなく、会社を見捨てた義兄、もう自分ではどうすることもできない。ともかくこの世から消えたかった。そして大阪城へ向かった・・・。  

  その後、主要仕入れ先のセントラル硝子のY課長に相談したら、あくる日には東京本社に飛んでいただき、社長に直談判(課長の出処進退をかけて)していただいた。
一課長が、社長に直談判することは通常ありえない行為であろうに・・・。

   借金の目途が着くと、社員を集めで社の現況を説明し「今後力を合わせて立て直そう。」と15名の社員の前で誓う。 5年で累積赤字解消し、その後黒字経営が続き、社員も百名を超える。

「弱い立場の人を大切にする為、会社の利益の5%寄付を行う。」 「結果や効率ばかり求めるあまり、人としての心を失ってはいけない・・・。」

   最後に次のように述べられ、締めくくられている。
「人生の道のりには、様々な障害がある。行き止まりの道もあるだろう。しかし、そこで終わりでは決してない。たとえ生き詰ったとしても、必ず別の道が人生にある。命が続く限り、すべての道が閉ざされることはない。生きている限り、必ずその道は見つかる。」

   山田硝子店の板ガラスの加工、施工技術は高く評価され、日本で一番高い事務所ビル「あべのハルカス」の内装硝子工事を請け負われたそうである。
福祉施設も数ヶ所経営され、クリスチャンでもある。

   昨年(2014-3)110ページに及ぶご自身の足跡を記された記念誌「77歳の(喜寿)を迎えてありがとう -中小企業経営の半世紀を感謝と共に生かされてー」を発行された。
その喜寿、出版記念のお祝いが模様され、その広いお付き合いに驚いた。
祝辞に、明るく、流暢にしゃべられる印象に残るおひとりがおられた。
 その後、山田氏に紹介されたグレース宣教会・堀内顕代表であった。

 山田氏から紹介されて、初めて教会で堀内顕代表と対面したのは、2014年の暮れの午後3時頃だったと思う。
私にとっても興味ある話題をよどみなく話された。私が所属する奉仕団体のこと、堀内代表の日本のみならず海外の方々や、有名な政治家とのお付き合いの話、そして再生医療研究者S教授の結婚式の話題など多くの方との出会いの話が続いた。 時折、私自身の今までの出会いや御縁話を交えて話していたら、廻りがうす暗くなってきていた・・・。
(元気な堀内師は、八十三才とのことであるが、年齢を感じさせない明るく上品なお方である。)

 私も、日頃から多くの方と出会い、ご縁ができたことに感謝しているが、山田晶一氏の波乱万丈の中にも「一度なくした命。私利私欲を捨て、他人の愛のために生きよう・・・。」と実践されている姿を見るにつけ、私もまだまだ努力が足りないことを痛感するものである。

 山田氏は、昭和13年生まれで満77歳、益々お元気で世の為、人の為にご活躍されんことをお祈りいします。

                       2015-7-1                                                                     Y.YOSHIHARA

PS-1
 山田相談役は、俳優の加藤剛氏とも親交があり、記念誌出版に際して加藤氏から寄せられた手紙も掲載されている。
「・・・1938年生まれ、誕生日も、私と一日違いの山田晶一様の・・・。大学生時代、ロシア文学とくにチェーホフの作品に出合って、私は俳優の道を選んでしまいました。山田様も大学で本格的なロシア語から学ばれ、ロシア文学トルストイ、ドフトエスキーを深く愛され、その人間愛を会社の経営理念として生きてこられたことに敬意を表します・・・。」 

    Photo_2

PS-2
 先日「グレ-ス宣教会 50周年記念祭」の招待状を教会からいただいた。 その日は、のっぴきならない予定が入っていたので、出席がかなわない事をお伝えした。

5月16日(土)午後2時から八尾市のプリズム大ホールで開催、八尾市長はじめ多くの来賓が参加され約1000人の参加者で盛大に挙行されたと山田氏より報告をいただいた。 貴教会が、益々の年輪を重ねられんことをお祈りいたします。

(故・万代恒雄牧師から送り始められた機関紙”落穂”が、今も定期的に送っていただいている。 松山を中心に豊かな福音宣教と教会形成を展開されるその働きは、ご子息の栄嗣牧師を中心に継承され、その上さらなる進展されている。 平成4年12月2日, ある講演会「SMI・成功への心構え研究所」で、師のお話を聞いて感動し、万代牧師の著書「人生を3倍に生きる」を買わせていただき、ご本人にサインしていただいて約20数年。その後の私の人生に少なからず、その著書の影響を受けている。
先日、その万代恒雄牧師と堀内顕代表とが、お互いに「君」呼びされた間柄だったことがインターネット検索からわかった。)

グレース宣教会(ウィキぺディアより)
大阪府八尾市に本部を置くキリスト教(プロテスタント)の宗教法人。 近畿圏のプロセスタント教会で信者、会堂数においてもっとも大きい教会のひとつ。 グレース大聖堂等、約20の教会、チャペルを持ち、10名を超える牧師・伝道師が所属。

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今月のことば 「四十、五十は洟垂れ小僧」

「 四十、五十は洟垂れ小僧、
 六十、七十は働き盛り、
 九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。」

(数十年前に喜寿の祝賀会で聞いた言葉、渋沢栄一の言葉とされています。)  


「思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった」
『葛飾北斎考』(江戸時代の浮世絵師:葛飾北斎1760年~1849年)より

“ 思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった ”
“ 心が革新的である限り、人間に「成長の限界」なんかやってこない。 ”
「私は六歳のころから物の形状を写す癖があった。五十歳の頃から様々な絵を描いてきたが、思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。七十三歳になってようやく 鳥や動物、虫、骨の骨格、あるいは草や木の生ずる有り様を悟ることが出来るようになった。 したがって八十歳になればますます絵が上達し、九十歳には奥義を極め、百歳には神妙の域に 達することだろう。百十歳にもなれば、「一点一格」活けるがごとくに描けるようになるに違いない。
(当ブログ 2007年4月号 「浮世絵師―葛飾北斎」より)

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