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「西堀榮三郎記念探検の殿堂と50人の探検家」2015-5

西堀榮三郎記念探検の殿堂17km先右折」の看板が目に入った。名神高速・彦根インターを降りて右折して彦根城を向かうはずが、左に曲がってしまった。あの南極観測第1次越冬隊長の西堀氏の生家があるのかなと思いつつ、予定通りまず彦根城に向かった。

 

彦根城の内堀の表門の前の駐車場に車を預け、険しい坂道(階段)を登って城に向かう。説明書きには、一気に城に近づけ無いように道が工夫されていると書かれていた。確かに、その階段を色々な形、大きさの違う石が乱れ?て並べられ、その段差、踏み面の幅、奥行きも一定でなく、勾配がついている。確かに落ち着いて登るのにも一苦労、戦国時代の戦いではなおさら大変であったであろう。やっと登り切り,四方を眺めると絶景な景色が目に飛び込んできた。かなり高い位置にこの彦根城は建てられている。

城郭はあまり大きくなく、上層階の急勾配の階段は、両手で手すりを持っての上り下りをした。北の端には、三層の櫓があり、1、2階は敵の来襲に備え壁に鉄砲穴、矢を放つ穴などがあり、3階は一段と狭く見張り台の役目をしていたそうである。

 

その後、井伊直弼生誕の家(内堀から道を隔てた位置)に向かう途中で、シラサギの多くが木の上で巣造りする珍しい光景に出くわした。

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  天守閣前で   当時の地形(絵画) シラサギの巣造り

 残念ながら、井伊直直弼生誕の家は工事中であったが、楽々園は、庭越しに見ることができた。

同じ湖東にある長浜城とは、比べ物にならない大きな敷地で、高台に居城する様は、さすが日本の城・4国宝(姫路城、犬山城、松本城)の一つで、大老の地位に任ぜられた井伊家のお城であると感心した。

 時間が押しているので、車中で昼食をとり記念館に向った。

 

次の予定地・佐川美術館は、「西堀榮三郎記念探検の殿堂」経由で行くことにした。道を間違えて看板を見たことは、何かまたご縁があるのだろう。そういえば、西堀氏の息子さんが同級生いた記憶があることを思い出しながら。

 

午後2時ごろ「探検の殿堂」と書かれた駐車場にたどり着いた。

あたりを見渡したが、民家らしきものがなく、大きな池の向こうにコンクリート打ち放しの立派な建物が、多くのカモが羽根を休める池の向こう岸に佇んでいる。

左側の歩道からその建物に向かい100メーターほど歩を進めると、池のふちで2匹の犬が出迎えてくれた。青銅製の?タローとジローである。数年前に私のブログに掲載した写真を思い出した感動の一瞬である。さらに歩を進めると記念館の入り口で3羽のペンギンが出迎えてくれ、その上の壁面に「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」の文字が、そして入り口のドアー前で、はく製の犬2匹が出迎えてくれた。その首には、タロー、ジローの名札をぶら下げていた。

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 タロージロー ペンギンがお出迎え 玄関前のタローとジロー
 

そしていよいよ自動ドアーを入り、受付の方に今日のいきさつ、恩師平山善吉先生は、西堀先生に声をかけられ、第1~3次南極大陸越冬隊員に参加され、のちに日本山岳会・100周年会長を務められた話などをし、展示室に向った。残念ながら、南極の寒さを体験できる部屋は、何年か前になくなったとのことである。

 

展示室では、画像で西堀氏の生い立ちから活躍の動画が約20分間わたり放映されていた。

その部屋では、その歴史を年代に追って掲示され、京大生の折にアイシュタイン博士の通訳として京都を案内された時の写真、南極観測時の越冬隊員との写真、ヒマラヤネパールにも尽力されたこと、アメリカ民謡「雪山讃歌」の作詞、ヨット「ヤルン・カン号」の話題やその模型展示、品質管理のデミング賞を受賞、真空管の研究を民間の機関で研究されたことなど、多彩な方であったことを初めて知った。

今までは、京大の教授で山岳部や南極観測での活躍、今西錦司氏との交流などの話はお聞きしていたが・・・。


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        記念館内の様子             

記念館の2階には、間宮林蔵から西堀氏の影響を受けた植村直己氏に至るまで有名な人々(日本の50人の探検家)の大きな画を掲げられており、その下には名前とともに簡単に業績説明も書かれていた。その中に、私の息子の嫁の先祖?も掲げられていた。

また西堀氏と京大時代からのお付き合いの二人の今西氏も掲げられていた。今西錦司氏と今西寿雄氏である。私は、今西氏の息子さんと仕事の上で付き合いがあり、ご葬儀に参加したがどちらの今西氏であったかすぐには思い出せなかった。山岳会の会長をされ、社内にはネパール領事館があった記憶がある。

 

帰りに、フロントで館の方にそのあたりのことを聞くと、学芸員の副主幹・角川咲江氏から今西寿雄氏だと告げられた。また、恩師の平山善吉先生もこの記念館を訪れられたとのことであり、角川氏も先生とお会いされたとのことであった。ますますご縁のある話が続いた。

 

昨年初めに平山先生の東京・日本工業会館での叙勲受賞記念パーティーでは、法務大臣・谷垣禎一氏(前自民党総裁)、石澤良昭氏(世界遺産・アンコール遺跡国際調査団団長 前・上智大学学長)、白石和行氏(日本極地研究所所長、元・南極観測隊隊長)と挨拶が続き、さすが先生の多彩な人脈であったこと、体調を崩されて病院から参加されたことも角川氏にお伝えした。

「吉原君、遠いところからありがとう。」との言葉をいただいたこと、いつもの気使いされる懐の深い先生を彷彿されていたことなどを私のブログ(2014-2月号「年末年始の話題―明るい二ユ―ス」、2011-12月号 テレビドラマ「南極大陸」)に掲載していることも告げた。
 

(平山善吉先生著書「エベレストはるかなり」より)

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 タローとジロー   南極最南端到達地点にて   平山善吉先生
     (左より武藤晃氏、村山雅美越冬隊長、平山先生) 

                      (1958年)
 

駐車場から記念館を振り返ると、建物の右に赤ちゃけた重機のような物が見えた。何か南極に関連あるものではとの思いにかられて、150mくらい歩を進めた。なんと観測隊の雪上車が展示されていたではないか。今までイメージしていたよりかなり大きなものであった。

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      南極で実際に使用された雪上車 

はやる感動を胸にして、佐川美術館に向かったのは予定の時間をオーバーした3時半頃であった。4時15分頃に到着し、閉館が5時とのことなので今日はあきらめて帰路に着いた。

 

今日も、ご縁のある話題を掲載することが出来た。一度、「西堀榮三郎記念探検の殿堂」に行かれ、日本の多くの探検家の歴史の一端を見られてはいかがであろうか。

この世の中の考え方が、目先のことで汲々とするより、少し長いスパンでものを考える気持ちになる機会になるのではないだろうか。 

         
 
                          2015-5-1


                                                      YYOSHIHARA

PS-1 平山善吉先生から、お手紙をいただいた。(2015.5.1付) 

私の原稿案を見られて、今西錦司氏、今西寿雄氏、角川咲江氏のことについて書かれ、ご自身は目下アンコール・ワットの改修をされているとのことです。また、西堀栄三郎氏については、平山先生が4ページにわたり掲載された“経営者の「元気!」を応援するアサヒ生命経営情報マガジン”のコピーを同封していただいた。

 

「石橋はたたくと渡れない」

    南極越冬隊長・西堀栄三郎 

  平山善吉(日本大学名誉教授)記

 

“日本流品質管理の創始者として、ものづくり日本の礎を築いた伝説の技術者・西堀栄三郎、 彼は偉大な探検家でもあった。 常に新しいものへ挑戦し続けた研究魂は彼を南極へと誘った。”

 

“西堀先生の口癖だった名(迷?)言は「石橋を叩くと渡れない」と「出る杭は伸ばせ」でした、それと、相談に行っても答えは全て「創意工夫や」のひと言(笑)”

 

国際会議で世界12ヶ国が南極観測に参加表明したが、当時は、敗戦直後で・・・(当ブログ テレビドラマ「南極大陸」2012-2号参照ください)。

 

西堀氏は、家族と水杯を、遺書を残す隊員も、「危ないことはしない」と親をだまして、危険な山をさんざん登っていた平山先生のご両親はあきらめられていたとのこと。

 

1956年越冬計画はなかったが、反対を押し切り(西堀副隊長)10人の隊員と越冬(第1次西堀越冬隊長)。

 

西堀先生は、各分野で日本を代表する研究者たちに常に「勉強しなさい」「宝の山に入っても宝を拾わないのか?」・・・。

 

西堀先生のチャレンジ人生に、私(平山)も、民間会社、大学の研究室、エベレスト登山、南極の越冬と、かなり好き勝手な人生を送り、それなりの成果を上げてきたと自負していますが、学生時代から登山を通じて西堀先生と知り合い、その都度、影響を受けてきたのかもしれません。

 

有名な「雪山讃歌」は西堀先生が作詞され、その印税のおかげで京大山岳部は会費がいらないそうです・・・。

 

また愛妻家で、酒を飲むとご自分の結婚式の話をよくされました。

 

“生涯、未知への挑戦をされました。それは登山でも、探検でも、学問においても未知への探求でした。西堀先生は何かを超越した、神様と呼ばれにふさわしい過ごし方をされた方です。” 

と、平山先生は結ばれている。

PS-2 記念館は、その敷地・建物立派なたたずまいから、国立か県立ではと思ったが、東近江市の施設とのことであった。

地域の少年のロボットに興味を持てる環境に力を入れられているとのことで、そのコーナーに2014年にロボカップ世界大会に出場したチームのことが掲示されていた。

私は、某テレビ局ディレクターの高校生の息子さんF君(当時・英国留学中、その後オックスホード入学)が、大学入学の目標を定めるために大阪大学のロボット研究室を訪問したいとのことを聞き、当時大阪大学の宮原秀夫総長に電話を入れ、世界ロボカップ国際委員会・元プレジデントの浅田稔教授を紹介していただき、彼を研究室にお連れしてはや4年過ぎた。(その時の模様は、2011年2月号「阪大教授・浅田稔研究室とロボット工学」掲載)

『jv^浅田共創知能システムプロジェクト』大阪大学、東京大学、京都大学の5つの研究室が協働して取り組む国家的なロボット研究プロジェクト。

Photo

http://www.tanken-n.com記念館パンフレットより

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今月のひとこと
「とにかくやってみなはれ!。」西堀榮三郎

 

テレビドラマ(木村拓哉主演「南極大陸」)の中で

「私(西堀氏)の兄が外交官の関係で外国人と会う機会があり、その時教えてもらった言葉“人のやらないことをやれ、失敗を恐れてはいけない。人は経験を積むために生まれてきた。とにかくやってみなはれ!。とにかくやってみなはれ!。”」・・・。その外国人とは、なんとあの有名なアイシュタイン博士であることを知った。

(当ブログ・テレビドラマ「南極大陸」2012-2号より)

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コメント

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