« 「“念ずれば,叶う!”赤坂、六本木界隈散歩」2015-3 | トップページ | 「西堀榮三郎記念探検の殿堂と50人の探検家」2015-5 »

「なぜ貧しい国は亡くならないのか~正しい開発戦略を考える~」2015-4 

  色々な出会い、ご縁に感謝の日々である。

今年もまた2月に新しい出会いができた。

本年の3月号で、50年前に学んだ東大生産技術研究所跡地に、国立新美術館があると掲載した。
 その同敷地内の東大物性研究所跡に国際的な政策研究所の拠点「政策研究大学院大学」が創設されたとのことである。

そのフエンス前には、「政策研究大学院とは、政策研究を専門とする大学院で1997年に国立大学として設立されました。世界中から未来の政策リーダーや研究者が集まる国際的な政策研究の拠点です。」と書かれたステンレス製の碑がある。

 Photo  

2月21日にホストクラブ・大阪城南ロータリクラブのIM(インターシテイ・ミーティング)の講演会が開催された。その講演者・大塚啓二郎教授は、なんと数週間前に50年ぶりに探し求めた研究室の地に1997年に開学された国立大学「政策研究大学院大学」の教授であった。

「なぜ貧しい国は亡くならないのか~正しい開発戦略を考える~」という演題で、90分の講演が始まった。

「研究と実践者の架け橋になるため、経済学を知らない人でも読める開発経済学の著書を書き、経済発展のプロセスの核心に触れるよう表した。」と、その演題の著書出版の理由説明から講演が始まった。

要点は、

1)一人あたりの所得、生産性を高める(物質、人的、知的等の資本、インフラの蓄積には時間、資金が必要)

2)効果的な戦略(工業化を望む国は、成功していない)

  開発戦略はないのか?

1)開発経済学者の多くは、戦略を論じていない

2)世界銀行(援助のリーダー)「世界開発報告」にも書かれていない。

3)ビッグ・バーンへのアプローチ(すべての資本を一気に援助)

4)援助懐疑論

 「知的支援こそ、重要な支援」「政府がしてはいけない事」「政府がしなければいけない事」等が説明された。

実例として、アフリカの「緑の革命」を実現するための「戦略」を紹介された。
(水稲の緑の革命、日本からアジアへの技術移転)

そのアフリカの「緑の革命」実現の為に、どこから手を付けるべきか?。

1)物的資本(肥料等)支援? 2)人的向上?
3)インフ
ラ? 4)技術開発や移転?

水稲の次に穀物では、トーモロコシの「緑の革命」

「製造業の発展戦略」
「製造業発展の典型的なパターン」

「バングラディッシュのアパレル産業の東アジア的大発展」

「革新と模倣」

「近代的サービス産業(ITと金融)の発展」

しかし、これらを実行するには、時間と資本、技術など多くの問題も抱えているとも語られた。

最後に、開発経済学の研究者は、実務家や援助機関や民間企業と協力しつつ

1)農業や産業の長期的発展プロセスを解明し

2)その理論化に努めるとともに

3)重大で実験可能な事柄については、その真の重要性を数量的に評価するように努力すべきである。そして、その成果を世界に発信し、開発

4)戦略なき援助の世界に一石を投じるべきである。

と締めくくられた。

少し難しい話題であったが、我々にもわかりやすく一つ一つの智恵を具体的に語られ、プロジェクターも併用されて解説していただいたのでよく理解することができた。

政策研究大学院大学の大塚啓二郎教授の熱い思いを馳せられた90分の講演であった。

講演後、質疑応答に引き続き懇親会が開かれた。ご夫婦揃っての大学教授でもある奥様も講演会、懇親会に参加された。折角のご縁なので名刺交換させていただき、50年前に教授の大学校舎の北側約100mの校舎で私も卒論研究に勤しんだ話をさせていただき、今日の講演をブログでご紹介させていただきたいとお願いした・・・。

1 2
講演会(
2015-2-21 シェラトン都ホテル於いて)

Photo_2 17dsc02348
  政策研究大学院大学の校舎 
  (左後方に六本木ヒルズ森タワー)
Dsc02274 Photo_4
学院校舎(左)と  元・東大生産技術研究所校舎
国立新美術館(右奥)   外壁保存、現・美術館別館
及び別館(中央)
    (別館前で2015-1末撮影)
 
 
このブログのきっかけも、目先のことに一喜一憂するのでなく、物事を時には何十年のスパンで考えること、人と人の出会い、ご縁に感謝し、その感動を少しでもお役に立てればとの思いを込めて10年目を迎えた。しかし、それにはその一歩一歩、一日一日が大切であることはもちろんのことであるが・・・。

 大阪平野ロータリークラブも、本年2月20日に創立40周年を迎えた。
健康であったこと、事業が継続することができたこと、いい仲間との出会いがあったこと等、おかげで40年間皆出席することができ、今もその記録を更新中である。(26名の創立メンバーも、現在は在籍わずか3名)

 思い起こせば、30歳の夏に声がかかり、正式にクラブ認証式が開催されたのは、満31歳の1975年2月(RI創立70周年)であった。そして、当クラブ30周年会長(RI創立100周年)を仰せつかり、その年は大変忙しい一年であった。(特に府下の業界の会長を急遽受けざるを得ない状況と重なったので)

しかし、悩み悩んでお引き受けしたが、色々な方との出会い、ご縁ができ、多くの人生経験をさしていただき、大変幸せであったと感謝している。


本年3月25日当社も創業
79周年,設立69年を迎えた。

M.T.U.銀行に新年の挨拶に行った折に、そのことが話題になった。O支社長から「90周年、100周年も、すぐですね。」と言葉をいただいた。私は、「その時、あんた誰でしたかなというでしょうね。」と初笑いして、早やサクラ咲く季節となった。


                                                   
2015-4-1
                
Y.YOSHIHARA

20153sakura Sc02508

 政策研究大学院大学 大塚啓二郎教授 略歴

1971年北海道大学農学部農学経済学科卆業後、東京都立大学院大学で修士課程、シカゴ大学院大学で博士課程を修了。

その後イエール大学ポスト・ドクトラル・フェロ-、東京都立大学経済学部講師・教授を経て、現在は東京の政策研究大学院大学教授。

その他、国際農業経済学会会長、世界開発報告執筆委員、国際稲研究所理事長などを歴任。

2010年紫綬褒章を受章。2014年3月には、日本経済新聞社出版から「なぜ貧しい国はなくならないのか」を上梓。開発経済学に関する著書や論文多数。

=======================

今月のひとこと

「絶えず先を見る」松下幸之助成功の金言
365日より

幕末のころ,坂本龍馬が江戸から土佐に帰った折に、知り合いから地元で流行の大刀を見せられ「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物」と自分のやさしい作りの刀を見せた。次回帰った折には、その知り合いはやさしい刀に変えていたが、龍馬はピストルを見せた。更に次回は、「今の時勢、武術だけではいけない。学問をしなければならない。」と説明。その知り合いは、「龍馬には、いつも先を越されて実に残念だった。」と人に語った。

出版・PHP研究所 松下幸之助著

「松下幸之助成功の金言365日」より

======================= 

|

« 「“念ずれば,叶う!”赤坂、六本木界隈散歩」2015-3 | トップページ | 「西堀榮三郎記念探検の殿堂と50人の探検家」2015-5 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「なぜ貧しい国は亡くならないのか~正しい開発戦略を考える~」2015-4 :

« 「“念ずれば,叶う!”赤坂、六本木界隈散歩」2015-3 | トップページ | 「西堀榮三郎記念探検の殿堂と50人の探検家」2015-5 »