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「道頓堀界隈を散策して」  2015-1

 大阪市内の南の繁華街はと聞かれたら「新世界」「道頓堀」と答える。

物心ついた幼い頃、父に連れられて父の友人の食堂?、映画館の並ぶ「新世界」、小学生になった頃は「道頓堀」の記憶がある。

道頓堀筋は、昔は五つの座があったそうである。戎橋南詰めから東に向かい浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座。更に御堂筋から数十メータ東寄りに松竹座がある。

 道頓堀商店街では、「すし半・松五郎」で食事をよくしたものである。親に連れられてそのお店に行った中学生の私の目には、ご主人・重里義雄さんは、「根っからの職人気質の経営者である。」と映ったのは約60年前である。

ご主人は、この店一店舗営業で一途の方であった。(御兄弟は、すし半、フレンドリーなどのチェーン店を展開されていたが)

成人して、たまに1階のカウンターのすしコーナーに座ると横にご主人が座られ、ご自分の事業のこと、家庭のことなど色々な苦労話をされた。(息子さんらが、私より少し若い年齢であったからであろうか)

「気を許して、話していただくのはうれしいいが、私も息抜きに食事に来ているのに・・・。」と板前のTさんやMさんと談笑したものである。

年末の忘年会時期には、良心的な値段の店ということもあり、2階の鍋コーナーの部屋は客待ちで1階まで行列が続く盛況であった。その頃、私がお客さんを招待していくと、予約済み客のように優先して部屋に案内していただいた。(今では、時効の話である。)
 入院された時に父とお見舞いに寄せていただいたが、面会することもなく帰らぬ人となられた。葬儀は、天王寺の一心寺で行われ、参列する私の姿を見た店の方が、私を身内の席に案内していただいた。

仕事が第一のご主人の意思を継がれ、葬儀のその日も「すし半・松五郎」の店の明かりは道頓堀筋を照らしていた。(基本は年中無休、年末31日、正月1日のみ休み)

一時、道頓堀商店会の会長もされたこともあった。

道頓堀の会長と言えば、松竹座の前に「アーゴ」というお店がある。そのオーナーは、元・道頓堀の町会長・木村八郎氏である。

フランス料理店として約50年前にオープンしたその店は、高島屋で内装依頼されただけあって、レトロ調でかなり費用がかかった思われるシックなデザインの店である。

今は、本画的カラオケラウンジで、プロも時折練習にこられるくらい設備にもお金をかけられている。

地下の入口に向かう階段の壁面には、多くのプロ歌手のポスターが張られ、歌手とご主人の写真も何枚か壁に飾られている。

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「生涯現役」オーナー
(ワイキキRC・元会長らと)

  先日も、町会長の折にガス爆発で中座が火事になり、大阪瓦斯や大阪市との交渉話などを回顧されていた。 

元の法善寺の街並みの遺産を再現しようとしたが、建築基準法の制約で許可が下りず、その文化の遺産継承が難しい状況にあったのであるが、当時の町会長の木村氏らの市長に直訴・嘆願によりその街並みの再現にこぎつけることができたと懐かしく語られた。

その火事の際、大変迷惑されたお店の一つに織田作之助作「夫婦善哉」に出てくる割烹料理店「正弁丹吾亭」がある。(作家・織田作之助氏は、旧制高津中・現高校の大先輩である)

店の前には、その面影を残している碑がある。
女将さんから、その火事の際に多くの写真を焼失したと聞いた。
最近、お客さんをご招待することがあるが、お店の歴史の話をしながら食事をいただくこともある。気に入られたお客が、その後ご自分の会社でも利用されておられるようである。

一昨年の秋に松竹座で観劇した夜、織田作之助の一生を演じた主役・元関西ジャニーズ・内博貴さんとそのお店で偶然にお会いし、少し言葉を交わした思いでのお店でもある。

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(正弁丹吾亭―法善寺横丁) (
かに料理店・かに道楽)
“行き暮れて ここが思案の善哉かな”
「織田作之助文学碑・友人藤澤桓夫識」

  また、私の父親はカニを食するのが好きで、戎橋(名前の由来;今宮戎神社にお参りする参道出あったことから)のたもとにある「かに道楽」の馴染み客でもあった。

 この店は、山陰の城崎温泉のすぐそばの国立公園・日和山海岸近くに位置する、雄大な日本海を一望する眺望自慢の宿「金波楼」が本拠地である。いつぞや社内旅行でお世話になったことも懐かしい。特に、冬の松葉ガニなど海の幸に恵まれている。

この戎橋は、地元大阪では俗称「ひっかけ橋」とも言われ、デートの待ち合わせ場所としてもよく知られている。

その橋から西南のビルの壁を見上げると、「グリコ」のネオン看板掲げられ多くの旅行者にもカメラを向けさせている。

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カナダのシェフ(新幹線で友達に、大阪を案内)

5,6年前であろうか、道頓堀川の両岸に歩道が設置され、ここを散歩する人の為に川に向けて入口設置された建物が多くなった。

ここ数年、夕方にぶらりと散策すると、日本人の歩く姿より海外からの客、特にアジア系の旅行者が多く行きかう姿が目立つ。

以前の土産は、魔法瓶、炊飯器の土産が多かったようであるが、最近はドラッグストアーが大繁盛である。紙おむつ、ミルクなど「日本の製品は,信用できる。」からだそうである。

「グリコ」と言えば、江崎勝久社長が誘拐され、世間、マスコミを大騒がせした事件があった。無事に発見されたが、犯人は特定出来ないままに時は流れた。

江崎氏と私はロータリークラブの同じ年度の幹事であった。大阪の幹事会で挨拶する機会があったのは、丁度20年前のことである。(同年代)

道頓堀界隈には、いろいろ色な思い出話がまだまだある。

“なにわの海の時空館”元館長の石浜紅子さん、お父さんの作家、作詞家・石浜恒夫氏と織田作之助氏や作家・司馬遼太郎氏、エッセイスト、旅作家・高木三千子氏などの交友関係の話は紙面の都合でまたの機会に・・・。

本年私のあたり年である新年を迎え、今年もいい出会いがあること、多くの感動に巡り合えることを初詣で祈願しようと思う。

               2015-1-1

               Y.YOSHIHARA

PS―アーゴの上品なオーナーの木村氏は、確か87歳とお聞きしている。
 年末は30日まで、新年は2日より営業、年中無休の店である。
 オーナーの弁によると「生涯現役」で・・・。
 

PS―地名「道頓堀」の由来

 丁度400年前(江戸時代)に、安井道頓が道頓堀川を完成させたのでその名をとって地名となった。今年は、400年にちなんで多くのイベントが計画されておるようである。

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今月のひとこと「禅僧・虎関禅師(鎌倉時代)」の言葉

「古教照心、心照古教」

― 本に読まれるのでなく、自分が主体になって読む。そこではじめて知識になる。 -


安岡正篤氏の片言隻句について

「われわれの生きた悟り、心に閃く本当の智恵、或いは力強い実践力・行動力というようなものは、決してだらだら概念や理論で説明された、長ったらしい文章などによって得られるものではない。体験と精神のこめられておる、極めて要約された片言隻句によって悟ものであり、又それを把握する事によって行動するのであります。」

(致知出版社刊「安岡正篤教学一日一言」より)

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