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「故人を偲んで」  2014-10

最近、密葬、家族葬が多いとの声を聞くが、企業の場合は社葬となる場合が多い。

密葬、家族葬の後、日をおいて「偲ぶ会」をされることもある。

今会は、ロータリークラブ現役会員お二人を偲んで9月初旬にシェラトン都ホテル大阪において「小林正茂会員、島田喜代司会員を偲ぶ会」が開催された。

退会されたメンバーも多数参加され、お二人の人柄が偲ばれる会であった。

丁度40年前の秋に大阪市東住吉区の人口増加により平野区が、住吉区から住之江区が分区誕生した。それに伴い、平野RC,住之江RCが同時に発足し、同じ会場で創立総会が行われる運びとなった。 あくる年の1975年2月(ロータリー創立70周年)20日に創立が承認された。その時は、26名の会員での発足であった。何をするにも全員参加で、地区も大阪と和歌山が同じ地区(現在は分区)であり、遠くは勝浦まで泊りがけで地区大会に参加したのが懐かしい思い出である。当時の平均年齢は、42歳であったと記憶している。

そのお一人が、㈱大毎舎新聞鋪・代表取締役小林正茂氏(享年86歳)であった。

その創立メンバ―(チャータ―メンバーと呼ぶ)も、今は医療法人・岡部耳鼻咽喉科前医院長・岡部卓雄氏(満87歳)、医療法人育生会・三好病院理事長・三好宏氏(満80歳)、そして私(当時満30歳)の3名となった。最年少は、正茂氏の親戚の小林治夫氏(満28歳?)であったと記憶している。私は、若い方から3番目であった。

アイビ産業㈱相談役・島田喜代司氏(享年87歳)は51年10月に入会された。

島田氏の「商売人たるよりも、事業家たれ!」との言葉が、今も耳にのこっている。

偲ぶ会では、吉村昭会長から「わすれな草に寄せて」と題して語られた。

「・・・共にクラブの重鎮であった方の偲ぶ会を一緒に行わさせていただくことになろうとは思いもよりませんでした・・・。

小林さんの卓話は、政治、経済等の歴史について独特の言い回しで、我々にわかりやすく・・・また、メンバーの誕生日には、その方の生まれた日の新聞をいただき・・・人への接し方は、晩年も変わることがありませんでした。

 島田さんは、人の話をしっかりと聞かれ、物事の本質をはっきりおっしゃる方で・・・時には、吉村君それは間違っとる・・・そんなことを言ってくれる人はいませんでした。

これは勉強になるところ、入会してよかった・・・。

お二人が亡くなられて残念でとても寂しいです。

お二人は、最後まで大阪平野ロータリークラブに在籍され、人生を全うされたと思います。

謹んでお悔やみ申し上げると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。」

そして三好会員の献杯で宴が始まり、その後チャターメンバー挨拶ということで私が指名された。

「島田氏の“商売人たるよりも、事業家たれ!”との言葉が、今も耳にのこっています。

お二人とも“気骨のある人”“筋を通す人”で、坦々と語られ、時には熱く語られ、その話を聞いているとスカッとする場面が度々ありました。

お二人は、年齢を重ねる共に、柔らかさを増された(年下の私が言うのは、おこがましいのですが)と感じたのは、私一人だけではないのでは・・・。」と、お二人の思い出を語った。

 その後、参加者の皆さんから「お二人へのひとこと」が披露された。

その時配布された冊子には、ロータリークラブにおける経歴、直近の卓話が掲載されていた。

小林会員の卓話要旨 「歴史」 (2012-5-24

御祖父さん話に、祖母の弟さんの話が出てくる。特に議員になり、最後は無一文となり孤独な最後を迎えられた話から、父母は「政治家には絶対なってはいけない。」とよく言われ・・・。後藤新平東京都知事と正力松太郎(読売新聞元社長)との話から、少なくとも一国,また一地方の支配者は品位があり、清廉な人であってほしいと歴史を通じて強く思うところであります・・・。

松下幸之助氏が、月刊誌「ロータリの友」で「常に歴史をしっかり勉強し、危機に際してはそれを乗り換える知恵、ヒントが必ずある。今一度原点に立ち返りことである。」と。

島田会員が、ロータリーの原点、発祥の歴史はお互いの仕事上親友の仲間を増やしていくことが趣旨・・・に感銘を受けました。

2013-12.-5は小林氏の卓話予定日であったが、入院中の為に私が「人の出会いと私のブログ」と題して急遽代役を務めた。お見舞いに行き、春には元気な顔を見せてください・・・と話していたのに・・・。)

島田会員最後の卓話 (48歳で入会して36年)「今 思っていること」(2012-12-6

48歳の時に入会を奨めてていただき・・・ロータリアンは一人前になった証しと考え・・・。

業界も、考えも、年代も違うし、人生勉強の場でした。本音で語り合える人を多く持つことが値打ちである・・・。ロータリに入り少し気が長くなりましたねと言われ・・・。毎週のように例会の晩にロータリーの理念、いきさつ、その歴史に時を忘れて・・・。

クラブの奉仕は、最初の提案が基本で、それを実践することである。

しかし、退会を何度か意識したことがありましたが、思いとどまったのは、胸をひらいて話し合える人たちが、たくさんおいでになるからでした。

時代が変わっても、常識が変わっても,真理は一つです。真理は哲学です。

このクラブは、近隣クラブより実績がよく・・・より一層のすばらしいクラブになってほしいと思っています。

現役を引きまして8年(話す内容が手薄)・・・次の順番の卓話が廻ってきたときに元気にしていたら困ったなと思ったりしています。これからも元気でいたいなと思います・・・。

「吉原さん、君のブログ見ているよ。」と何度か言っていただいた島田さんの声が、今も聞こえてきそうである。

「島田さん、今月号も読んでください!。」

謹んでご冥福をお悔み申し上げると共に、お二人のご冥福をお祈り申し上げます。

              2014-10-1

              Y.YOSHIHARA

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「小林、島田氏を偲ぶ会」金剛利隆氏ホールインワン記念樹

            (飛鳥CC 7番ホール)

PS- 島田令夫人から、一度お会いしたいと連絡が入り、シェラトン・都ホテルで家内と同伴でお会いした。「偲ぶ会」の話に始まり、今の心境の話、終戦の農地解放で大変な目にあった話、九州大学在学中,御祖父さんが検事で・・・、島田さんは四国の海産物問屋の生まれ

で・・・。

最後に、ロータリークラブで役立ててほしいと、涙ぐみながらの奥さんからご厚志をいただいた。「そのご意志を、必ずクラブの皆さんにお伝えします。」と言ってお預かりした。(2014-9-27 

偲ぶといえば、

約1400年の歴史ある金剛組39代・金剛利隆氏の墓が建立されたとの案内を受け、8月8日にご仏壇にお参りし、その後に四王寺境内にあるお墓に案内していただいた。

その敷地は約十坪近くであろうか、南北に長く踏み石が配置されている。石を踏んで北奥に4基の墓石が南向きに建てられていた。

その金剛利隆氏は左端に、その右に37代,38代のご夫婦、さらに右はその先代の、そして一番右(東)のひときわ高い墓石の足元には歴代の方々の名が刻まれていた。

腰を屈め、線香をお供えして合掌した。

あの世で、私の父と、「ヨーさん」「コンちゃん」と呼び合いながらゴルフ、カラオケ三昧の日々を過ごしているのであろうか.

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今月のひとこと 「誠を尽くす」

 

「誠を尽くす」はどういうことか?

 

自分の為になると信じてやりきれば、必ず人の為になる

 

そのとき、その場で、自分がやるべきことを一生懸命つとめる。

それが誠を尽くすこと。 

そうしていたら、それがもたらす結果に一喜一憂することもなくなる。

「自分のため」が、そのまま「人のため」なっていく。 

それが本物です。

 

  心がみるみる晴れる「坐禅のすすめ」より


     臨済宗余生庵住職・平井正修 著 (幻冬舎)

 

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