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「年末、年始の話題」 2014-2

 年末のテレビ番組(BS)で、共に91歳であり、お元気な作家・瀬戸内寂照、ドナルド・キーン氏(日本に帰化されたアメリカ人*1)の対談を見る機会に恵まれた。

天才作家・三島由紀夫氏(市ヶ谷自衛隊駐屯地の玄関庇の上で、将校服姿?での演説後に割腹自決―S48年)は自殺願望者であったこと。

川端康成氏がノーベル文学賞を受賞され、円地文子氏と瀬戸内氏が川端氏のお祝いの為にご自宅に寄せていただいた時に、ライバルの三島由紀夫氏もお祝いにこられたこと。

瀬戸内氏は、三島氏の弟さんから「ノーベル賞は、自分が川端氏よりも先に受賞できなかったことに不満を・・・」

ドナルド氏は、日本文学の翻訳、伊勢神宮式年遷宮に4回も参加され(20年に一度)、「能」の世界において三島氏と付き合いがあったこと。等々、我々が日頃あまり聞くことが出来ない話題、エピソードについて語られていた。

また、年末の安倍首相の靖国神社参拝について、例のごとく中国、韓国が早速いつものごとくきついコメントがあった。(「不戦の誓いをしてきました。」と首相がコメントされているのだが)

宋文州氏(ソフトブレーン創業者)から毎月のように送られてくるメルマガ240号に、このことに関して述べられていたのでその一部を紹介したい。

 

ご自分の親戚や友人で日本軍の侵略で犠牲になった人がいる。

でも、終戦になり日本兵、子供やその家族を日本に帰し、戦争賠償も放棄したのは中国のみであった。

その時、中国政府が国民を説得したのは「日本国民も犠牲者だ。一握りの戦争犯罪者を罰すればいい」でした。

日本では反日教育というが、反日本軍の教育である。

この「日本国民も被害者」という教育も徹底されている。

中国人の誰も日本の宗教や犠牲者への追悼に反対している訳でなく、戦争の罪人を「英霊」として参拝していることに反対している。

天皇陛下も同様な理由で参拝をおやめになったわけです。これは日本がポツダム宣言などを通じて世界との約束であり、日中和解の基礎でもあるのです・・・・・。

このメルマガを見て、ある歌を思い出した。

父は、太平洋戦争において、体が弱かったので中国(当時はシナと呼んだとの事である)で食料の補給部隊に所属していたので、悲惨な戦争の目にあわなかったそうである。

父が、「60数年前に年の離れた(私の)従兄弟が、ラバウルで散っていった。」と話し、その時に教えてくれた歌をいまも鮮明に覚えている。

(私の生まれた年に、南洋のラバウルではやった歌だそうである。)

その題名は「ラバウル小唄」である。

“ さらばラバウルよ また来る日まで

しばし別れの 涙がにじむ

恋し 懐かし あの島見れば

椰子の 葉かげで 十字星 “

(百田尚樹原作・映画「永遠の0(ゼロ)」でも、ラバウルでの戦闘機「零戦」の活躍シーンが・・・。)

幼稚園の頃であろうか、近所に立派な屋敷(小西邸)があった。車が玄関に横付すると雨にも濡れないで車を乗り降り出来る程の大きな庇のある洋館建て(その頃の表現)で、その建物が米軍の幹部宿舎として撤収されていた。クリスマスになると、軍服姿の幹部の米兵が近隣の子供達にチョコレートをくれたことを覚えている。

また私の家に防空壕があったことも覚えている。八尾空港に米軍が駐留していたので、国道25号線をジープでよく通るのを見かけた。時には、車から子供にチョコレートをまくこともあった。ジープが来たら、「若い娘さんは、隠れろ。」という声もよく聞いた。

この年末には、南スーダン?駐留の韓国軍の砲弾不足の為、国連に相談?し日本から補充したが、韓国大統領はテレビで不足はしていないと語り、その上日本に対し返すと・・・。

また、年明けには気球に乗り、尖閣列島を目指した中国人が、この寒い海に着水し、日本の海上保安庁の巡視船が救出した。人道的立場からと、即時に中国の巡視船?に引き渡したが、いつもの中国の厳しい報道官は、詳しく報道していないようである。

しかしながら、先の韓国の現地駐留幹部は、日本の駐留幹部に謝意を表し、また中国人の身柄を引きとった艦からは謝辞の言葉が日本の巡視船にあったということである。

中国では「日本に助けられたことに非難する多くのフェイスブックもあれば、人道的立場から即時引き渡した日本に対し感謝するフェイスブックもあった・・・。」と。

現場に身を置くこれらの人々は、お互いに「明日は我が身」と感じての行動、言葉であろう。これでこそが、お互いの信頼につながるであろうに・・・。

「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」のことわざのようにならないように、お互いに何事も一喜一憂することなく、近隣諸国どうしで、もう少し大人の付き合いをしていきたいものである。


            2014-2-1

 Y.YOSHIHARA

明るいニュース

1-金剛組顧問・植松裏一氏が、新年の挨拶に来られ、本年より金剛組相談役に就任され、危ぶまれた恒例の「手斧(チョンナ)始め式」が11日開催の報を聞いた。

2-平山善吉先生叙勲お祝い(1月18日 於・日本工業倶楽部―東京駅前)

来賓挨拶は、法務大臣・谷垣禎一(前自民党総裁)、石澤良昭氏(世界遺産・アンコール遺跡国際調査団団長 前・上智大学学長)、白石和行氏(日本極地研究所所長、元・南極観測隊隊長)と続いた。

先生は、南極越冬隊員(第1~3次)最年少参加、元日本山岳会会長(創立100周年時)日本大学エベレスト北東稜登頂総隊長などは、よく存じていたが、アンコールワット(カンボジア)の遺跡修復工事に参画されていたことも紹介された。 

今月13日に手術をされ、病院から来られた先生から「遠いところからご苦労さん。」と声をかけていただき、先生を慕われる多くの方々の参加で、私にとっても思い出に残る祝賀会であった。     

(当ブログ、2011-年12月号“テレビドラマ「南極大陸」”に先生のことを掲載しているので参照ください。)

 

*1 当ブログ2012年2月号「日本人よ勇気を」ドナルド・キーンを参照ください

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今月のひとこと 「坂村真民一日一話」より

 
 新しい年を迎えるには

  新しい心構えがなくてはならぬ

決して ただ漫然として 迎えてはならぬ


そしてその心構えには年相応のものでなくてはならぬ

50代には50代の心構え70代には70代の心構えが大切である


還暦になったのだから 古希になったのだからという妥協は

 自己を深淵に 落ち込ませるだけである

㈱致知出版社「坂村真民一日一話」より

㈱致知出版社「おかみさん便り」で、「24節気」毎に写真と共に「心に残る言葉」を送っていただく。

http://chichi.happy.nu/24/winter05/

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コメント

理研のSTAP細胞?以前にブログに掲載されていませんでしたか?
素晴らしい研究なのでしょうが、実用化が50年先では私には??マークですわ。(^^;

お隣の国との仲も最近は良くないですね。
教科書の一件で更に悪化しそうです。
日本もキチンと戦争について教えるべきと思います。

投稿: S.MORI | 2014年2月 1日 (土) 11時42分

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