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「㈱金剛組相談役・金剛利隆氏逝去」 2013-12

 去る10月31日、㈱金剛組相談役・金剛利隆氏(第39代)の葬儀が四天王寺阿弥陀堂にて行われた。金剛組と言えば聖徳太子ゆかりの四天王寺建立に参画し、多くの神社仏閣の建設(宮大工)に携わり約1400年の歴史を持つ企業であることは建設業界ではよく周知されている。


 数十年前であろうか、愛川欣也司会のテレビ番組「なるほど ザ・ワールド」で「世界で一番永く続いている企業である。」と紹介され、本社(大阪市天王寺区・四天王寺のお寺の西の地)の4階の窓から金剛利隆代表取締役社長の笑顔がアップされたシーンが今も目に焼き付いている。


 新年の仕事初め「手斧(チョンナ)始め式」が毎年1月11日に四天王寺の金堂で行われ、会社から烏帽子(えぼし)姿の金剛氏を先頭に宮大工一同が行列を成し、金堂に向かわれる様は、短い時間ではあるが時代絵巻を感じる一瞬である。この模様を毎年取材されテレビに流される。その列に何度も参加さしていただき、金堂でその祭事の光景を目の前で見ることができたことも懐かしい貴重な思い出での一つである。


 葬儀は31日10時から金剛家、㈱金剛組の合同葬として執り行われた。

葬儀を待つ間に、参列者の最前列の席におられた吉田英哲師(四天王寺長老)に久しぶりにお会いし、雑談を交わす機会に恵まれた。二年前に現役を退かれ今年80歳を迎えられたとのことである。私より5歳くらい上かと思うくらい元気そうなその吉田長老から「吉原さんは、同じ年齢くらいかな。」とあいも変わらずユーモア―に富んだ方である。

その後ろには、私の知り合いの眼科医師・K女史の叔父さんである四天王寺管長・奥田聖師(第111世管長、私の母校高津高校の5年先輩、東京大学院卒。第102世管長・奥田慈師のご子息)はじめ、約20~30名ほどの僧侶が参列されていた。


 いよいよ、和宗総本山四天王寺代表役員執事長・瀧藤尊淳(四天王寺学園理事長)師他6名の僧侶のもとに読経が流れた。

(以前に元四王寺管長・瀧藤尊教師の講演を聞く機会に恵まれ、その中で私の知り合いの「心霊研究者・志賀美恵子師」と交流があるとのことであった。時折会いに行かれるとのことだったので「吉原が元気でいることをお伝えください。」と伝言をお願いした瀧藤師のご子息とのことである。)


 「匠会」木内会長の弔辞に引き続き、葬儀副委員長で顧問・植松裏一が社員を代表して弔辞を述べられた。

 福井大学の建築科を卒業され、金剛家に入られた今日までを時系列に紹介された。

まじめで熱心に社員教育、現場パトロール等を多くのご指導をいただいたこと、今後も相談役の意思を引き継ぎ社員一同頑張ることを誓われ、一字一句かみしめながらのお言葉であった。

植松氏は、第39代、40代に現役として仕えられ、その後も相談役のおそばで最後の最後まで公私ともお仕えされた金剛組の最たる功労者の一人である。)


 その弔辞を一字一句聞き漏らすまいと聞いていた私は、お元気な時には夫婦で毎年ご一諸に旅行させていただいたことを思い浮かべ、眼がしらに熱いものを感じた。

焼香、お礼の言葉も終わりいよいよ最後のお別れである。家族の方に続き真っ先に花を献花した。きれいなお顔であった。


 最後にお会いして1年たつであろうか。「吉原さんのお父さんはいくつで亡くなられたのかな。」との質問に、私は「86歳でしたと答えた。」(丁度15年前の10月1日没)

父は、金剛さんより丁度一回り上のネズミ年でよくウマが合い、「コンちゃん」「ヨーさん」と呼び合い、毎週日曜日になると二人で飛鳥カントリークラブで一番のスタートであった。


 車で送り迎えしていただき、夕方から我が家の近所のスナックでよく歌われて、その日の一日が終わる毎週であった。

多くの新曲を紙にメモし、店の方から「まだその曲は入っていません。」と言われることが度々あった。

特に、旅行先の旅館でも必ずカラオケで歌っての「本日解散」であった。

猪口を持ち、五代夏代の「ちびり、ちびり・・・」を必ず歌われる姿が懐かしい。


 ご夫婦仲もよく、奥さんが金剛さんをたてられ、必ず人前で一歩下がられての言葉づかい、行動をされていた。

家内も「初めて金剛さんにお会いしたのは、お父さん達ら夫婦をハワイ旅行へ見送りの空港で、金剛光子さんのご主人への言葉づかい、態度を観て、結婚間もない私は、この方を手本にして生きていこうと思った。」と述懐している。


 長い歴史を続けることに、言葉に言い尽くせないご苦労があったであろうに、ゴルフをしても飄々とされ、19歳年下の私にも温かくお付き合いしていただいた。

父が腰痛でゴルフができなくなり、私に飛鳥CC名義書き換えの折にクラブの保証人になっていただいた。


 11月3日「文化の日杯」に久しぶりに飛鳥CCコンペに参加し、7番のショートホールのカートが止まる位置の右横に金剛氏のホールインワン記念樹「百日紅」が大きく佇んでいるのを見て、同伴競技者やキャディさんにご由緒ある金剛家であることを紹介した。

(飛鳥で何度かホールインワンされていることも。)


 きっとあの世で、父と二人でゴルフ三昧、酒を酌み交わしながらカラオケで「ちびり、ちびり・・・」と五代夏代の歌合戦をされていると思う。


90年の人生、大変お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。

            2013-12-1

            Y.YOSHIHARA

明るいニュース

1 -大学の恩師であり、元日本山岳会会長・建築学会名誉会員・日大名誉教授の平山善吉先生が秋の叙勲・瑞宝章を受章された。おめでとうございます。

(第13次南極観測越冬隊員―当ブログ201112月号・テレビドラマ「南極大陸」に掲載)
「叙勲のお祝いの会」の案内をいただいた。もちろん喜んで参加させていただく。

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平山善吉先生   南極越冬のタローとジロー


2-我が家の屋上にフジ棚がある。そこにあぶなっかしい鳩の巣を最近見つけた。フジが茂っていた時に作ったためであろうか、12月に入り葉が散りだしたらわずかな巣である。その巣に鳩がじっと座り込んだままである。卵でも抱いているのだろうかと想像していた。今朝その巣に座り込む鳩の姿がないので、のぞいてみると、なんと7~8センチくらいであろうか、丸々とふっとった赤ちゃん鳩が2匹身を寄せ合っていた。(母子家庭のようである)今日12月3日は、大安であった。

しかし、8日(日)写真撮影間もなくカラスに襲われ、大変残念な結果となった。自然の摂理といえども、この光景を目の前にして怒りを覚えた。

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     親鳩             体を寄せ合う赤ちゃん鳩


 今年も早いもので、これが本年最後のブログとなった。 

先月に引き続き、暗い話題となったが、春には三浦雄一郎氏の世界最年長者エベレス登頂や東京オリンピック招致決定など明るい話題も掲載することができた。


 正月のおみくじは「凶」、大殺界の年であるともいわれ、そのとおりであったようであるが、引きなおしたおみくじに「末吉」であるので最後の残り福をつかみ新年を迎えたいものである。

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今月のひとこと 『安岡正篤活学一日一言』より

 

 

我々人間はとくに肉体の老衰には敏感であるが、

案外精神の老衰には気づかぬものである。

 

気づいても当然の事として、反省したり、

振起【しんき】する努力を怠りがちである。

 

古来医学の専門家は、人間いくら年をとっても、

否【いな】年をとるほど、学問や芸術や信仰に

情熱を抱き続けることが不老の秘訣であることを切論している。

 

学芸・信仰・事業等に感興を失わず、

情熱を抱き続ける老人こそ、不老の特権階級である。

 

徒【いたず】らに不老長生の薬を求めたり、苦難を恐れて安逸【あんいつ】を

貪【むさぼ】る人間は、生の道を錯誤しておるものである。

 

 『安岡正篤活学一日一言』より(致知出版社刊)

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コメント

今年も残り僅かとなりましたね。
厳冬の予報ですので、お体ご自愛下さい。

「永遠の0」が今月公開されます。
吉原さんは御覧になるのでしょうか?

また来年も元気にブログを続けて下さい。

投稿: S.MORI | 2013年12月 4日 (水) 09時12分

突然のご無礼を御容赦下さい。Dr.House season8#4で、金剛組の名が出たので、金剛利隆氏を検索し、ココにたどり着きました。コンちゃん、ヨーさんと飛鳥でゴルフをしていた新田功の娘です。ヨーさんの息子さんですよね。東大阪の助役さんだった福田さんと四人で回っていたと思っています。子どもの頃には、飛鳥について行って土筆を摘んだこともありました。ヨーさんには、学生時代に友人たちと共に、下鴨茶寮に連れて頂いたことも思い出します。店舗兼住宅も、建てて頂きました。
父は、そのゴルフ仲間の中では最年少だったと思うのですが、何方かに褒めて頂いたことが切っ掛けでカラオケを始めたと、最近聞いたところです。
父は、ゴルフのお陰で、人生の転換期があったとも話していました。
だんだんと老いていく父のこと、知らないことが多いな、と、感じ始めている今日この頃です。
金剛さんが亡くなっていらっしゃたことも、今日、知りました。
おじさま方に、お会いして父のことも伺いたかったです。
それと、このブログで、父が、いい人達とお付き合いさせて頂いていたことを改めて感じて、とても嬉しいです(*^o^*)

投稿: 新田裕子 | 2015年4月 7日 (火) 02時38分

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