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「作家・山崎豊子さん没」 2013-11

作家・山崎豊子氏没(9月29日88歳)

氏の多くの作品がドラマ化・映画化にされ、その内容に大きな話題を呼んだ。

大阪女のど根性を描いた吉本興業・女性創業者をモデルの「花のれん」で直木賞を受賞。(1958)

その後、戦争により中国に置き去りにされた子供(残留孤児)の苦悩を題材にした「大地の子」K銀行(現・MS銀行)を題材にした北大路欣也、木村拓哉主演「華麗なる一族」等、次週のテレビが大変待ち遠しかったことを思い出す。

映画では、不条理な組織体や権力の矛盾に切り込んだ大学病院の現実を題材にした「白い巨塔」、日本航空のジャンボ機御巣鷹山墜落と航空会社の暗部をあぶりだした渡辺謙主演「沈まぬ太陽」等を観て、よくここまで調べられたなと感心したものである。

 

著書「作家の使命 私の戦後」では、執筆秘話を明かされており、資料集めに多くの時間、労力をかけたとのことである。

(当ブログ 2010年7月号―山崎豊子著「沈まぬ太陽」より)

その書店の入り口付近に飾られていた山崎豊子著「作家の使命 私の戦後-山崎豊子 自作を語る1」の文字が眼に入った。
 
その帯には、「不毛地帯」「沈まぬ太陽」・・・・・その執筆秘話を明かす。時代を超えた人間ドラマは、こうして生まれた。
帯裏には、戦後という時代の節目節目で、作家は何を考え、何を取材し、何を書こうとしたのか。戦争三部作から最新作まで、山崎文学のが明らかに!
 * タイトル、登場人物の名前に込められた深い意味とは?
 
 *小説のエピソードと現実の事件にどんな関わりがあるのか?
 * なぜ男たちは、圧倒的な力を相手に戦い続けるのか?
私は、早速「作家の使命 私の戦後」を手にした。
はじめにでは、作家としてデビュー50数年。一つの作品に取りかかると、それ以外なにもできないたち。戦後という時代を通して日本人の運命が、どう変わっていったか、読者の皆さんがもう一度考えるきっかけとなれば幸いです・・・・・・。

 

資料集めに多くの時間、労力をかけた作家と言えば、あの司馬遼太郎記念館のスリーフロアー吹き抜けの壁を埋め尽くす蔵書を思い出す。

(当ブログ 2009年12月号―「司馬遼太郎記念館を訪ねて」より)

司馬遼太郎記念館は、あの安藤忠雄さんらしく、コンクリートの「打ち放し」(コンクリートそのままの素地仕上げをいう)と、外には大きなガラスの回廊を高さ3階建程度の壁、事務室に入ると正面の壁全面を総ガラス張りの開放感のある部屋であるが、蔵書二万冊をイメージ展示した展示室は、南壁一面のみがステンドグラスで(カラーでない)、3階(地下1階、地上2階、高さが約11メートル)まで吹き抜けとなり、壁全体が本棚で埋め尽くされていて圧巻であった。

 

この夏、息子から薦められて百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」を読んだ。この百田氏も多くの資料集めに時間をかけられたであろう。その描写は、まるで映画を観るようにそのシーンが目の前に現れるようである。

次から次へと起こる難問題に、店主(社長)田岡鐵造率いる家族的な経営が功を奏し、社員一丸となり事に当たり、戦前戦後の難しく多くの難敵との戦いをテンポよく描かれている。そして日本人の誇りとするその良さを小気味よく語られてり、一気に上、下巻を読破した。

(西川善文・元三井住友銀行頭取が「歴史経済小説の最高傑作」と評されている。 出光興産創業者・出光佐三氏の生涯を描かれた作品で、2013年本屋大賞第1位。)
今日までの自分自身の悩みや苦しみを振り返ってみると、主人公のその苦労、悩みに比べたら微々たるものである・・・。
年齢に関係なく「海賊と呼ばれた男」の一読を、ぜひお勧めしたいものである。
またテレビ、映画化され、多くの方にも共感してほしいものである。
誰かが言われた、「今まだ間に合う、日本の再生はできる」という言葉を思い出しながら・・・。

山崎氏は、「大地の子」で引退を考えたが、新潮社の斉藤十一氏に「芸能人には引退があるが、芸術家にはない、書きながら柩に入るのが作家だ」と言われ、2013年8月より週刊新潮にて「約束の海」の連載を開始したが、20話を書き上げた後に体調不良になり緊急入院し9月29日呼吸不全のため死去、最後まで執筆活動を継続したとのことである。

「権力と世の中の矛盾に挑んだ人生」個性のある異色の女流作家であった。
 

ご冥福をお祈りいたします。

             2013-11-1 

                                              Y.YOSHIHARA

“痛かろうが 体力が落ちていこうが 小説を書くことしか 能のない私である。

戦争に生き残ったものの使命は やはり死に逝くまで 果たさねばならないのだ。”                  山崎豊子氏の語録

山崎豊子(本名・杉本豊子)
1924年(大正13年)大阪南区(現・中央区)船場 老舗昆布企業「小倉屋山本」に生まれる。
大阪市立南小、相愛中学校、相愛高校、京都女子専門学校卒(現・京都女子大)毎日新聞社入社
主な受賞歴
1958年 第39回直木賞「はなのれん」
1959年 大阪芸術賞  「ぼんち」
1962年 第2回婦人公論読者賞「花紋」
1968年 第6回  “    「花宴」
1991年 第39回菊池寛賞
1991年 第52回文藝春秋読者賞「大地の子」


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今月のひとこと「4000のヒットを・・・」チロー選手


「誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、
 8,000回以上は悔しい思いをしてきている。

それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、
 誇れるとしたらそこじゃないか」

「小さいことを積み上げることが、
 
とんでもないところへ行くただ一つの道」


米通算4,000本安打・大記録達成記者会見でのイチロー選手の言葉

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