« 映画「風たちぬ」「終戦のエンペラー」を観て 2013-9 | トップページ | 「作家・山崎豊子さん没」 2013-11 »

「オリンピックの聖火再び東京へ」 2013-10

   9月7日(土)22時30分(日本時間)から日本のプレゼンテーションが、イスタンブール(トルコ)に引き続き(於・ブエノスアイレスーアルゼンチン)行なわれた。

前日の猪瀬東京都知事のテレビのインタビューで「ロビー活動の反応は?」との質問に「良いですよ。頑張れだけでなく、プレゼンの仕方のアドバイスまでいただき・・・。」と。

又、安倍首相には、逃げるのでなく、「震災の心配はいらないと、自らアピールすることが大事である・・・。」と前向きに震災のことに触れた方がいいと関係者らも話されていた。

この数日前から、「海外のメディアが東日本の震災による汚染水問題を大きく取り上げている。」と報道され、これではダメかもしれない感じた。しかし、知事の前日の「プレゼンの仕方のアドバイス」を聞いて、これは行けるかもとも思った。


 以前、首相はトルコ首相(
レジェップ・タイイップ・エルドアン氏)に「もし、イスタンブールに決まったら、一番に“おめでとうございます。”とお祝いの言葉を差し上げます。もし、東京に決まったら・・・。」と話す場面をテレビで見た。これを見た私は、一回目に過半数を取れずに上位の2地域で決勝に入れば、「お互いに応援しましょうよ。」との大人の会話かなと感じた。


 いよいよ、高円宮妃久子さま(日本の皇室のプレゼンは、初めて)の挨拶が、なんとフランス語で始められ、本論に入ると英語で流暢に話され、「
IOCの支援は日本人の子供や若い選手たちに希望をもたらしてくれた。」と東日本大震災被災地の支援に感謝を述べられた。

これは、ポイントを稼げたと感じたのは、私一人だけではないであろう。(17人程の委員はフラス語圏、そして英語でも話されたのがよかったのではと、評されていた。)


 そしてプレゼンのトップバッター・佐藤真海さん(福島生まれ)が、笑顔で流暢な英語で落ち着いて語りかけた。ある日、19歳の彼女(陸上部、チア・ガール)の足に痛みが走り「骨髄腫」と宣告され、片足切断の人生を送ることとなったとのことである。

ショックで悩み続けていたが、いつまでも悩んでいてはいけないと再度陸上部入りし義足ジャンパーとしてパラオリンピック3大会に連続出場「東京五輪で、被災地を勇気づけるスポーツの力」を強調し、語る彼女の明るい表情に胸打つものがあった。(ポイントを稼いだなと、私は思った)

また東日本大震災では6日間も家族と会えなかったことを語り始めると、(2年半前の大震災を思い出したのであろう。)表情も曇り話も少しとぎれ、そしてまた話し始めたときには聞くものに感動を与えた。

これで、東京開催が「さらにポイントを稼ぐぞ。」と安心したら、急に眠気がさした・・・・・。


 午前4時ころテレビをつけたが、解説中・・・・・、5時過ぎであろうか、再度テレビをつけると画面右下に「東京開催決定」の文字、早速隣の部屋の家内に「東京決まり!」と告げた。


 その後、安倍首相、猪瀬知事、フリーアナウンサーの滝川クリステル、フェンシングの太田雄貴選手らが、身振り手振りのゼスチャーで日本人離れした話しぶりであったと報道されていた。

これが、ロンドン五輪、16年リオ五輪はじめ大型スポーツイベント開催国にこぎつけたコンサルタント・バレー氏(英国)の影響が大であるのかな?とひとりで想像していた。


 安倍首相は、東日本大震災の汚染水にふれ、国が前向きに対処し飲料水の放射性物質の数値は最大でも世界保健機関(
WHO)飲料水水質ガイドラインの500分の一と説明。日本の首相としてこれからも東京が安全、安心であることを約束すると明言された。(以前海外メディアの質問に、東京の空気は、ニューヨーク、ロンドン、フランスなどと変わらない…とも述べられていた。)「力を合わせれば、夢がかなう。」とも・・・・・。


あの笑顔の滝川クリステルさんも
IOC公用語のフランス語で語られ、なくしたお金も届けられる安全、安心な東京を、そして最後に日本人の心「オ・モ・テ・ナ・シ」を身振り手振りで強調され、印象に残るプレゼンであった。


 今日9月9日(月)の昼のテレビで、プレゼンで成功した画像が流れ「被災地の子供に、プロバスケットボール(アメリカのメンバーであろうか?)が子供と交流、小さな外人の子供が多くのスポーツに興味持つシーンをプレゼンに採用したのがよかった。」と語られていた。

またこの日までのロビー活動で、特に竹田恒和理事長は2年で50か国以上(地球11周の距離)を訪問し、水野正人専務理事(ミズノスポーツの元社長)はあのスマイルから発するムードで長期間かけたことに大いに評価されていた。


 前日まで、マドリード優勢かと思われていたが、多くの人々の智恵や協力のもとに一丸となり(皇室、官も民も)、また福島の難問題を逆にプラスにした。

これは、昔から言い古された「禍福」であろうか。(禍転じて福となる。福転じて禍にならないようにしなければならない。そのためにも、「勝って兜の緒を締めよ」である。)


 1964年の東京オリンピック決定が、戦後の日本人に勇気と自信を、そして復興の原動力となったように・・・・・。(当時初任給が今の十分の一の時代)

開幕1週間前に東海道新幹線が開通。当時大学生の私が初めて乗った時、いつ動き出したのかわからないくらい静かであったことを覚えている。それまでは東京大阪間6時間半が3時間半に、まさに「夢の超特急」と評され、その通りの乗り心地であった。


 オリンピックについて、多額の税金を使うという批判もあるようであるが、何かと暗いニュースが多い中、安倍ノミクスで世の中に明かりがさしかけたように、若者に夢と希望を与え大震災復興元年として世の中が明るく前向きにマスコミも取り上げていってほしいものである。

           2013-10-1

           Y.YOSHIHARA
 
 2013418_2        Img0222
 
 競技場見学会        競技場模型

2020年オリンピック会場の一つとして上記建物(代々木屋内総合競技場)が使用されるとのことである。

 49年前(1964年)東京オリンピック国立代々木屋内総合競技場を見学した。  

デザイン設計・丹下健三氏 構造設計・坪井善勝氏 施工・清水建設㈱

上から見ると「木の葉」を伏せたようなデザイン、2本の柱からなる吊り構造で、そのデザイン、構造ともに大変すばらしいと世界からも絶賛された。(開幕39日前に竣工の突貫工事―米軍使用地に建設の為、返還交渉に時間かかる。)

2013418_3 Img021

 東大生産技術研究所   2000トン大型試験機


上記オリンピック競技場の設計者であり、シュル構造で世界的にも名を馳せた坪井善勝研究室が東大生産技術研究所にあった。(東大教授、生産技術研究所教授の後に日大教授)


約50年前、生産技術研究所・田中尚研究室で卒業論文の指導を受ける.(上記中央写真)
左より

元日本空港ビルディング㈱顧問・生貝貢さん 自営業・本間稔さん 筆者

元安藤建設㈱技術研究所所長・大森一紘さん(2013年4月永眠)
2000トン加圧大型試験機で、高層建築の"鋼構造(鉄骨)の塑性座屈に関する研究実験”を行う。(上記右写真)

=======================今月のひと今月のひとこと「石川 洋さんのありがたいお話」

「吸う息では 笑えない

人生の明るさは 吐き出すことから生まれる」


私たちが人生で経験する悲哀は避けられない運命と出会いだ。

逃げようとしたら逃げられない“吸う息”の苦しみである。

しかし,気づいてみれば“吐く息”のたやすさに秘めた力がある。

私の力でない。不思議な、いのちの力である。

ある名医がいった。

“明るい病人は必ず治る”

だが“治っても治らない病人”がいるものだと。

けだし名言ではないか。
             「幸福共創新聞」より

========================

|

« 映画「風たちぬ」「終戦のエンペラー」を観て 2013-9 | トップページ | 「作家・山崎豊子さん没」 2013-11 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「オリンピックの聖火再び東京へ」 2013-10:

« 映画「風たちぬ」「終戦のエンペラー」を観て 2013-9 | トップページ | 「作家・山崎豊子さん没」 2013-11 »