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「スキーと出会い」   2013-4

  「ゼッケンナンバー15、高梨沙羅」と快晴の八方オリンピックジャンプ台の前でアナウンスされた。いよいよ「沙羅ちゃん」(高校生で今年世界チャンピオン)が、ジャンプした。1度目は3位、2度目のファィナルで残念ながら2位の全日本スキー選手権のジャンプ競技ノーマルヒルであった。(長野県白馬ジャンプ競技場―HS98m、K点90m)

「世界を転戦し大変だろうな!」と思っていた矢先の競技であった。

3月9日は、快晴であったが、風があり、連日の快晴で雪の状況は悪く少し足を取られる状況であった・・・。その後、男子のファィナルジャンプが始まる頃には、観衆半分くらいはスキーゲレンデに向かった。

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 高梨沙羅(3月9日)豊田君(8日)大回転出場

昨年友人豊田君(69歳)が、赤倉スキー場での関西スキー連盟の大回転に参加するのということなので我流の私も久しぶりに応援がてら遠征した。

今年も、信州の白馬村八方尾根スキー場で大回転(2.5km)に参加するとの連絡をいただき、同行したおかげで初めて見る世界NO1の「沙羅ちゃん」の雄姿を見ることができた。


 宿泊は豊田君が懇意で、歴史ある「ホテル対岳館」にお世話になった。

その経営は、元日本スキー連盟・専務理事の丸山庄司(2代目)さんがされている。

我々がホテルに着くと、オーナーが取材打合わせのようであったが、ご挨拶いただいた。

2階のサロンには、八方尾根スキー場の歴史に関する多くの資料が展示されている。例えば、スキーの板の変遷を表す歴史ある品をはじめ・・・・。

部屋に入るとベッド脇のテーブルに丸山庄司・著「生涯極楽スキー」が置かれていた。

その帯に、竹村健一「来たるべき21世紀はソフトの時代となる スキーはソフト=脳の解放のもってこいのスポーツだ」田英夫「スキーとは自然とひたしむもの 自然と本当の友達になった時に、スキーのだいご味がわかる」と両氏が書かれ、竹村氏の「すいせんのことば」で始まり、多くの有名人のエッセイも掲載されている。

1章 現代流スキーのススメ「スキーは現代人の最適健康法」「中高年の極楽スキー術」「現代流スキーの楽しみ方」

2章 生涯極楽スキーのススメ「子どもと一緒にスキーに行こう」「子供にスキー修学旅行を経験させよう」「スキー同好会にはいろう」「草レースを楽しもう」・・・。


 初日の夕食時の隣席で、日本女性で初のエベレスト登頂者(1974年)中世古直子さんとお会いし、食後にラウンジのテーブルを囲み、山の話題に花が咲いた。

勿論日本山岳会のメンバーであるので、私の大学の恩師・平山善吉先生が、03年より日本山岳会会長に就任され、日本山岳会創立100周年を迎え「マナスル登頂50周年」記念登頂の記事が(2006-5-4付毎日新聞)大きく掲載されたこと、95年日大エベレスト登山総隊長として未踏尾根・北東稜ルートからの登頂に成功され、南極越冬隊1~3次まで最年少(大学院生)で参加されたこと、ご自宅によせていただいた話、先生の著書「エベレストはるかなり」をいただいた話(当ブログ2011年12月号掲載「テレビドラマ・南極大陸」)など、ご縁のある話題に花が咲いた。


 2日目の夕食時には、隣席がテレビ取材で来館の俳優・宍戸開(俳優・宍戸錠の息子)氏ら6人のメンバーで、皆さんは穴戸氏の話に聞き入っていた。

最終日は、沙羅ちゃんのジャンプの後、岡部先生(金曜日夜の診察を終え、ご自宅から430㎞離れた別荘へラウンドクルーザーを運転、満85歳)に対岳館まで迎えに来ていただき、明日また“朴ノ木スキー場”で競技に出る豊田夫妻とはお別れし、その日は岡部ご夫妻とスキーを楽しんだ。(ほうの木平での乗鞍大回転と言う歴史ある大会に出場、66歳以上のクラスで6位に入賞されたとのことである。)


 残念ながら、この日は強風のため、昼前にはほとんどのゴンドラ、リフトなど止まり、下の方のゲレンデで足のとられる中でのスキーになった。コンデションも悪くなり、食事処も満席なので岡部さんの別荘で昼ご飯をいただき、休憩の後白馬連山、八方スキー場全景など大変眺望の良い露天風呂のある「白馬ハイランドホテル」で疲れを癒し、夕食をごちそうになるまでの間別荘の近隣を散策した。

奥さんから、連泊するようにすすめていただいたが、日曜日に「なにわの海の時空館」の閉館セレモニーが開催されるので、それに参加することを初代館長・石浜紅子さんに約束しているからとお断りして、予定通り夜行バスで大阪に日曜日朝6時k頃に着いた。

今回のスキー参加のおかげで、血圧145位であったが、帰宅後の初日130、二日目123である。5mgの常備薬を、2.5mgに下げてもいいのかな・・・。

今回もスキーを通じて、いろいろな方との出会いがあり、大いにストレス解消にもなった。

               2013-4-1

                                Y.YOSHIHARA 

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    ホテル対岳館    サロン「与兵衛倶楽部」

信州大学医学部の山岳部に籍を置いていた岡部先生から「対岳館は歴史あるのですね。“大阪大学山岳部発祥の地”という碑が、敷地のところにあった。」と聞いた。

私も、歴史があり、プロの登山家、オリンピックのスキーヤーなどたくさんの山岳愛好家の人生のシュプールが跡されていると聞いていた。

「ホテル対岳館」のパンフレットに「・・・8月最後の週末、いつもの面々が揃う時期だ。先代丸山与兵衛が山岳ガイドとして活躍した当時からの常連である大阪大学山岳部(旧制浪高)OBの先輩方である。・・・この平均年齢は80歳といったところだろう。滞在中は、父・庄司が心尽くしのおもてなしをと奔走するのであるのだが・・・。」と書かれている。

上述の2階サロンに山岳資料や道具を展示している「与兵衛倶楽部」は、もとは阪大OB会が語らうサロンとして造られたそうである。

私の息子が約10数年前であろうか、「八方尾根スキー場で“救急医”のアルバイトしながらスキーを楽しもうかな?。」と言っていたことを思い出した。

この対岳館を意識しての言葉であったのであろうか?。

“なにわ海の時空館”閉館 3月10日(日)

 午後2時からのセレモニーは、篠笛で平成24年度文化庁芸術祭大衆芸能部門・新人賞を受賞された「民の謡」代表者・森田玲氏の演奏で締めくくられた。

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桧垣廻船「浪華丸」セレモ二―(石浜紅子氏司会)

  初代館長・石浜紅子さんのお礼の言葉の後半、ご自身の色々の思いが走馬灯のように駆け巡ったのであろうか,  涙されその幕は下ろされた。

又お会いする機会があれば、その辺の心境をお聞きしたいものである。

大変残念であるが、また大阪文化の一つの明かりが消えていった。

毎日新聞(3月11日朝刊)、日日新聞が「なにわの海の時空館」の記事を掲載

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130311/20130311031.html

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130309/20130309028.html

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今月のひとこと「夢なきものに成功なし」吉田松陰

「夢なきものに理想なし、

理想なきものに計画なし

計画なきものに実行なし

実行なきものに成功なし」

故に “夢なきものに成功なし”

吉田松陰(よしだ しょういん)

文政131830年)長州(山口県萩市)生まれ

幕末の武士(長州藩士)、思想家、兵学者、教育者。

叔父・玉木文之進の開いた松下村塾で学ぶ。

アヘン戦争をきっかけに西洋兵学に興味を持ち、九州に遊学。

遊学後は江戸に移り、佐久間象山に師事。

黒船に密航した罪で幽閉の身となり、松下村塾を引き継ぎ、

伊藤博文、高杉晋作、山形有朋、」品川弥二郎、山田顕義ら

次代の人物たちの教育を行った。

明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。

江戸にて安政6年(1859年) 死刑(罪状:老中暗殺を計画) 

 

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