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「日本人よ、勇気を」ドナルド・キーン 2012-2

  元旦恒例の初詣、帰りのガソリンスタンドで給油と空気圧の点検をした。その待合室で新聞を目にした。

*「日本人よ、勇気を持ちましょう」ドナルド・キーンとの文字が目に入った。(新潮社20l12「賀正」の挨拶文として掲載されていた。)

昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は「ああ、あの“奥の細道”の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。

しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと私は考     えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。

昭和20年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った  蔵と煙突があるだけでした。・・・・日本人は、奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は、勁(つよ)いからです。

震災を機に、昨年日本に帰化の申請をしました。(本年690歳)

晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り続けて行くことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

*東日本大震災を機に、日本に帰化を決意されたドナルド・キーン氏のインタビューが、雑誌「致知」にも掲載されていた。(「わが生涯の旅路」ドナルド・キーン氏に聞く)

「原発の放射能を恐れて多くの外国人が日本を離れる中、“私は日本国籍を取得し永住したい”と表明した日本文学研究者で外国人であるキーン氏の言葉が、意気消沈した日本人に大きな勇気と希望を与えたことは記憶に新しい。キーン氏はこの国難の時期になぜ決断に踏み切ったのか。89年の旅路を辿りつつ、日本や日本人に対する熱い思いを語っていただいた。」(約7ページにわたり語られている)

 「源氏物語」との出会いが、人生を変えた・・・・・。

情報士官として真珠湾に派遣され、日本軍が残した文書を翻訳する部署に配属され・・・・・、魂をゆさぶった亡き日本兵士の血痕が強い臭気を放つ日記を手にした。

(攻撃を受けた恐怖、南方で水の飲めない苦しさ、マラリアでなくなる仲間をどうすることもできない悲しさ・・・・・。日記の最後に「これを拾ったアメリカ兵隊へ。戦争が終わったら、この日記を届けて欲しい」と英語でメッセージが記されていた。・・・・・・。)

日本を再発見した文豪たち、木下順二、三島由紀夫、阿部公房、谷崎潤一郎、司馬遼太郎、川端康成氏らとも知り合い、日本の近代文化に関心をもった。

古いものと新しいもの、儚(はかな)さと永遠といった相矛盾するものを抱えこみながら、日本文化は豊かになりました。近代化の中でも変わらなかった。この精神文化こそ、日本が世界に誇る永久に価値あるものだと私は思います・・・・・・・・。

阪神淡路大震災(平成7年・1995年1月17日午前5時46分)も、多くの犠牲者を出し、自衛隊のヘリコプターが八尾空港(大阪府)と現地をひっきりなしに飛ぶ日が何日も続いたあの時から17年の歳月が流れた。多くの遺体のために地元での処理がおぼつかないので、大阪まで空輸しているとのことであった。

その2ケ月後の3月20日には、東京の地下鉄であの「オウム・サリン事件」が起こった。(その日は、前日腰をひやし?“ぎっくり腰”のために、スキー場のベッドでテレビのLIVEを偶然見ることになった。)

その年は、自然災害から人災?まで恐怖の年であった。(その時の指名手配のひとり「平田容疑者」が、昨年12月31日大阪から新幹線で上京し自ら警察に出頭した。東大阪市に長く隠れていたと・・・。約14年大阪に住んでいたようである。)

兵庫県は、見た目には復興したと思われるが、まだなお多くの問題を抱えているようである。(兵庫県内に265ケ所の災害復興公営住宅があるとのことである。)

入居期限の被災者復興公営住宅からの退去が、病気や高年齢のために転居が難しいという問題で、いまだに尾を引いていると先月も報道されていた。

東日本大震災は、地震、津波、原発との三重苦で、阪神淡路大震災よりも多くの難しい問題を抱え、その復興に時間がかかるであろう。

しかしこの震災で、「日本の良さ」「助け合い」「繫がり」等の言葉とともに、ボランティア活動の輪も広がり、若い方の中にも「地元に帰り、地元で働く。」などの声、汗をかく行動が行われている。

これを機会に日本人の良さ、考え方が若い方にも浸透していく様子が報道されている・・・・・・。(その反面それらを悪用する人があるとの報道もある。それは一握りの人であることを願うものである。)

年末恒例の清水寺で行われる漢字は、「絆」であった。

最近、変な事件が多発し世の中がおかしい、日本人の心はどこへ行ったのか?。

  ドナルド・キーン氏が「私は日本国籍を取得し永住したい」と昨年申請され、「日本人よ、勇気を持ちましょう」と叫ばれている。

我々ひとりひとりが身近な家族、企業、社会においてもこの「絆」を一層強め、

安全、安心な世の中にしたいものである。

              2012-2-1

             Y.YOSHIHRA

Donald.Keene

・1922年 アメリカ・ニューヨーク生まれ 

・コロンビア大学、同大学院、ケンブリッジ大学を経て、53年京都大学大学院に留学。 

・コロンビア大学教授、名誉教授を経て2011年退官

・日本に関する著作(日本語、英語)の範囲は近松門左衛門から現代文学まで幅広い。

・文化功労者、勲二等旭日重光章、菊池寛賞、読売文学賞など多数受賞。

・08年文化勲章。

・「明治天皇」(新潮社)「日本文学の歴史」「日本との出会い」(中央公論社)など著者多数。 

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 函館山スキー場    メタセコイヤ並木(マキノ町)

 今年の正月は雪が多く、3,4日と良好な雪質の中でスキーを満喫してきた。少し体が軽くなったようである。足腰は、日頃の朝の散歩のおかげで大丈夫であるが、首の回りが3日ほど痛かった。

明るいニュース (2012-2-8)

 関西学院大学の学生さんが、昨年3月16日に東日本大震災の復興支援プロジェクト「Heart on Coin”プロジェクト」を立ち上げられた。

お金の支援のみならず、被災地の小学校、中学校と兵庫県を中心とした小・中学校との交流支援の輪を広げる活動を行っておられる。また海外、北海道からも支援校があるとのことでもある。

その支援プロジェクト「絆」のプレゼンテーションが、私の所属する「一石を投じ、その輪を広げること」をモットーとする奉仕団体で行われた。

その支援プロジェクト「絆」の詳細は、下記のHPで一度ご覧いただきたいものである。

http://www.aicat.org/heartoncoin/

当社の昨年1年間の辞は「絆」であった。今年もさっそく、学生の皆さんとの出会い、何かご縁を感じるものである。 

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  今月のひとこと「打つ手は無限」 

  すばらしい名画よりも、
   とてもすてきな宝石よりも、
      もっともっと大切なものを私は持っている。

 
   どんな時でも、どんな苦しい場合でも、
       愚痴は言わない。
            参ったと泣き言を言わない。
 

   何か方法はないだろうか、
        何か方法はあるはずだ、
          周囲を見回してみよう。
 

   いろんな角度から眺めてみよう。
      人の知恵も借りてみよう。  
          必ず何とかなるものである。

 
   なぜなら打つ手は常に無限であるからだ。


 
滝口長太郎氏の詩「打つ手は無限にある」より

「積極性をもって臨めば、打つ手は無限に存在する」

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