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「毎年8月なれば, お盆、終戦記念日・・」2011-9

“ 毎年の8月の話題と、明るい話題 ”

日本人であれば毎年「8月」といえば、お盆、終戦記念日、広島、長崎の原爆記念の日を思い出す。

廃虚と化した広島の街は「70年間は草も木も生えないだろう」と、当時そう言われたとのことである。それから35年後の1980年には人口は100万人を超え、政令指定都市に指定されるまでに復興した。

(8月14日夜7時よりテレビ大阪「池上彰の戦争を考えるSPより)

8月9日、ポツダム宣言(7月26日)受託の賛否を問う御前会議において、天皇がご決断(聖断)されたときの御言葉「自分はどうなってもいいから、国民の生命をまもりたい・・・・・。」と受託の意思を表明された。おりしもその日は、長崎の原爆投下、不可侵条約を結んでいたソ連の宣戦布告の日でもあったとのことである。

終戦の前日の14日に録音された玉音放送(昭和天皇“終戦”の御言葉の録音)用のレコードを搾取すべく若手将校のクーデター計画の決行が行なわれかけたのだが難を逃れた。その時の詳細な模様を元将校のお二人(100歳と88歳)が年令を感じさせることなく若々しく、昨日のことのように鮮明に語られるのを聞き、草笛光子さんはじめ出演者の方々の目に涙を浮かべる場面が度々あった。

66年前東京の焼け野原を見て「日本の復興に50年かかる。」と言われたが、約10年後の経済白書に「復興」の文字が・・・・・・。

(きっと再放送があると思うので、ぜひ見ていただきたい番組である。)

松下幸之助氏のメッセージに「困難は、発展の契約」であると語られている。

「災害を受けた地域の10年後は、災害を受けない地域より発展する」と。

和歌山で裕福な家庭に生まれたが、父親が米相場で失敗破産し、尋常高等小学校4年で中退し、大阪へ丁稚奉公に。

そして苦労の末、大財閥・松下電器産業㈱(パナソニックの前身)を創業、昭和48年引退し、私財70億を投げ打って松下政経塾を創設し、今ではその塾から多くの代議士の輩出を見ている。(*)

松下幸之助氏の言葉「志を失わなければ、必ず幸せが来る」

「災害を受けた地域の10年後は、災害を受けない地域より発展する」

東日本大震災被災の皆様にとっては、大変な長丁場になりますが、新しいすばらしい東日本になりますようお祈りします。

昨今、暗いニュースの多い中、明るいニュースが飛び込んできた。

日本女子サッツカー「なでしこジャパン」世界一に輝く!

国民栄誉賞(団体の受賞は初めて)を受賞!

そしてもう一つ明るいニュース「石浜紅子さんが結婚」である。

 昨年の2月10日、“なにわの海の時空館”館長・石浜紅子さん自ら館内を丁寧に案内していただいたことは、2010-3月号ブログ「会長のひとりごと」に掲載した。

その4月より名誉館長に就任され、館長職10年の「ご苦労さん会」と称して、私の友人(大学講師のM氏)と共に会食をした。

その後、ご無沙汰していたが、7月中旬より「石浜紅子」検索から私のブログを見にこられる方が急に多くなってきた。

8月に入り「石浜紅子 結婚」で検索の方から、私のブログにこられていることがわかり、私も「石浜紅子 結婚」で検索してみた。

3,4番目に当日の様子が写真入りで掲載されていた。

式当日、石浜さんご自身はもちろん、お父さんのゆかりの地・大阪、道頓堀を賑わされたことは大変意義深いことであったことと思う。お父様も、結婚式に際し一人娘の紅子さんの道頓堀を歩かれる姿を、きっと草葉の陰で慶んでおられるであろう。

遅ればせながら、おめでとうございます!!

              2011-9-1

           Y. YOSHIHARA 

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“なにわの海の時空館” 道頓堀筋

      (大阪市南港)

PS 先日、私の懐かしい愛唱歌「ガラスのジョニー」作詞-石浜恒夫、作曲・歌-アイ.ジョージ(1961NHK紅白歌合戦曲)、「大阪ぐらし」作詞-石浜恒夫、作曲-大野正雄、歌-フランク永井、「大阪ろまん」作詞-石浜恒夫、作曲-吉田正、歌-フランク永井をカラオケで歌い、「紅子のバラード」作詞-石浜恒夫の選曲もお願いしたが、残念ながらその店にはなかった。

以前、石浜紅子さん誕生歌「紅子のバラード」の誕生秘話を、紅子さんご自身から聞いたことがある。

若かれし頃、「こんにちは 赤ちゃん」作詞-永六輔、作曲-中村八大、歌-梓みちよの歌が大流行したが、赤ちゃんのうちしか歌えないからと、石浜さんが一生歌えるようにとの思いで、お父様(恒夫氏)がラブソングの形態をとって作詞されたとのことである。

石浜恒夫氏
-東大卒、ノーベル賞作家・川端康成氏に師事
         
 作家・司馬遼太郎氏と戦友。

      2004年1月9日に80歳で肺がんで永眠。

私の高校の大先輩で、「夫婦善哉」の作家・織田作之助氏の

影響を受けたとのことである。

「紅子のバラード」       歌-アイ・ジョージ

(1964年NHK紅白歌合戦で歌われた)

1-重ねた唇 今一度紅子 すばらしい紅子
    思い出だけで 終らないで
      今一度 赤い炎の口づけを

2-盗んだ唇 このままで紅子 いじらしい紅子

    白い夜風に 火花のよう

      このままで 二人一つのタメ息は

3-別れた唇 いつまでも紅子 いとおしい紅子

    忘れはすまい バラの口紅

      いつまでも またの会う瀬の囁きを

石浜恒夫氏の著書

「ふあさあぐうすの海ー父とひとり娘の大西洋横断記」

「流転」「遠い星ー早川徳次伝」 「ペリカンのぶとうかい」

「メルヘン動物園」 「追憶の川端康成ーノーベル紀行」

「大阪詩情ー住吉・南ーわが街」他 

松下政経塾卒業生 衆議院議員―31名 参議院議員―7名

(自民党)逢沢一郎、小野寺五典、高市早苗

(民主党)前原誠司、野田佳彦、玄葉光一郎、

        松原仁、 樽床伸二、 原口一博
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今月のひとこと

「変化の時こそ、基本を確認」P.F.ドラッカー 

P.F.ドラッカーは「マネジメント(エッセンシャル版)」で、「変化の時こそ基本を確認しなければならない!」と説いた。

1-マネジメントには基本とすべきもの、原則とすべきものがある。

2-基本と原則は、状況に応じて適用していかなければならない。

3-状況に応じて適用すべきものではあっても、断じて破棄してはならない。

未曾有の地震、津波、原発事故に見舞われた今、再びドラッカーなら何と言うだろうかとの問いかけが、我々の頭を去来している。ドラッカーならば、この惨状に絶句し涙を流した後、人の絆を大事にするする社会、世界のモデルになりうる社会を築くべく、マネジメントの基本と原則を駆使して、地に足をつけて進むよう熱く説くに違いない。

(週刊ダイアモンド 6月8日号 

「20の名言・至言で解き明かすドラッカーマネジメントの真髄」上田惇生 より)

ドラッカー、上田惇生氏に興味のある方は、私のブログ「会長のひとりごと」2010-1号“「ドラッカー・時代を超える言葉」上田惇生著”をご覧ください。

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