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「顕証寺(久宝寺御坊)近松照俊御住職をお迎えして」2010-10

9月26日浄土真宗本願寺派・顕証寺(久宝寺御坊)第19代御住職・近松照俊師を、我が家にお迎えし亡父13回忌、母37回忌の法要を終えた。

我ら夫婦の「母の50回忌できるかな?」の話に、大学病院勤めの息子も急遽休暇をもらい嫁と共に関東から帰阪した。

母の妹(父の兄弟は他界)Sさん、われら兄弟とその子供達計14人での法要となった。

父の従兄弟の俊雄さんより、父(明治45年生)が大変苦労した話を聞いたことがある。(私のおじいさんが米相場で失敗した為とのことであった。)約20数年前に、又従兄弟の勝則さんの居宅を設計施工した時に、彼の親・俊雄さんが八尾市に少し広い土地を持っておられた。聞くところによると、私のお爺さんも同じように土地を持っていたが、米相場で失敗したために土地を手放し、父が大変苦労したことを聞かされた。 父親(前会長)から、「株は遊びの範囲(生活費や、借金してまではダメ)でやれば、経済の動行がわかるし、頭の体操にもなる」といわれた。(僅かであるが、遊びの範囲でやっていたようだ。)「ゼロになってもいい経験をしたと思えばいい。倍になってもしれている。」とも。 私も遊びの範囲で自分に刺激を与え、モチベーションを高めている?。

その父も、医療法人育成会・三好病院理事長三好宏先生はじめ職員の皆さんに約2年数ヶ月もの長い間大変お世話になり、平成10年10月1日あの世へ召された(享年87歳)。

また戦後の苦しい時期に、気丈な母親は、ぐれてはいけないと男4人を厳しく?育て、これからやっと楽になろうとした矢先に、人工透析を(約1年間京都のR病院で)を受ける羽目になった。

家内は我が息子(昭和48年4月生まれ)を背負い、毎週月曜日京都の病院へ送り届け、週末には私が迎えにいった。

その母も、昭和49年12月57歳で私の兄を追うように他界した。

当社顧問木村達也弁護士のご尊父も、父と同時期に他界され「追悼文集」を発行された。

私も「会長を偲んで」と題して、お得意先、お世話になった方、社員などの皆さんに原稿を依頼したところ、170ページの追悼の文集となった。皆様より“思い出”を書いていただいた文章の中から、現在の当社の「吉原イズム」として受け継がれている言葉がある。

(元三和銀行・内田和一支店長「会長から学んだ言葉」より―現・三菱東京UFJ銀行)

困難から逃げるな。 威張るな、腐るな。 責任を回避するな。

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「会長を偲んで」の冊子より

9月26日浄土真宗本願寺派・顕証寺(久宝寺御坊)ご住職をお迎えして亡父13回忌、母37回忌の法要を無事終えた。当日の法事(仏法を聞くこと、仏法に遇うこと)では、「私のいのちの帰るべき家」を教え戴きました。 第19代ご住職近松照俊師は、西本願寺のご門主様の御手代としても大変活躍されていると、ご住職の同窓であり、私の親友でもあるT氏から聞いたことがある。  そのお説教は、大変わかりやすく、叔母のみならず若い息子達も阿弥陀様に抱かれている話などに聞き入り、大変感動していました。また、さすが本願寺声明の権威者でおられるご住職の凛としたお姿とお経に心のやすらぎをも覚え、改めて顕証寺の檀家であることを喜ばせていただきました。、今回の法事に無事終え、家族共々大変幸せを感じています。

我ら兄弟は男4人であったが、今では弟の当社社長と、二人だけとなった。 特に、父自身が十分に勉強できる環境になかったので、我々子供達には本人が望めば教育に力をとの思いが強かった父と母に感謝する。

会長に就任し今月でちょうど2周年、経済情勢や特にわが業界の厳しさを考えると、会長といえども現役の気持ちで危機感を持ち、社員とともに情報を共有し、お互いの幸せのために頑張らねばと思う!!。

相田みつを氏の「一生勉強 一生青春」を、胸に秘めつつ!!。 

                        2010-10-1                                                                                      Y.YOSHIHARA

  ・顕証寺 www.kenshoji.or.jp

所在地―大阪府八尾市久宝寺4-4-3 

       山号―近松山

宗旨―浄土真宗  宗派―浄土真宗本願寺派  

        本尊―阿弥陀如来

創建―明応年間(1492~1501) 
開基―本願寺第八代宗主・蓮如上人

別称―久宝寺御坊・本願寺(西本願寺)

・本願寺(西本願寺)www.hongwanji.or.jp 

PS –この原稿の下書きを終えた丁度その時、勝則さん夫婦がベルギーより10年ぶりに帰国され、挨拶に来られた。気温20度の国から、35度前後の大阪での生活は大変であろう。特にチェコ・スロバキュァ生まれの奥さんはなおさらであろう。メールで時々やり取りするが、久しぶりの再会に色々な話に花が咲き、時のたつのも忘れた2時間であった。日本で手にはいらないワインを土産に戴き、その夜に早速夫婦でいただきワインに酔いしれた。 2008年に放送された 読売テレビの日曜日午前10時台の「グット!地球便―亡き母の味ベルギーへ」が、10月特番で再放送されるとのことである

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   当社会長室で、(右2人が、吉原勝則夫妻)

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コメント

吉原先々代社長は実に面白い方だったね。いつもウイットにとんだ会話で入院中でも当病院の看護師を連れ出しては今風の
カラオケに行っては美声を振りまいておられて彼女等の間で人気ナンバーワン患者さんだったようだ。これを真似て小生も
未だ70歳台だが盛り場へ一人旅をしているが中々人気はとれない考えてみるに歌はそこそこ歌えるルックスはどっこいどっこいなのに何故だ?それは口では言えない長い人生の中で身についた人格であり人間性だろうと結論ずけられる。
 ご冥福を祈るとともに自分の残りの人生先代を見習って
 精一杯生きて行こうと思っています。

投稿: 三好 宏 | 2010年10月 4日 (月) 16時01分

大変ご無沙汰いたしています。ネットを見ていましたら、小生に関することが先代会長の言葉と一緒に書かれてあり、びっくりしました。あれから、いただいた言葉を小生の座右の銘といたしています。現在はあるご縁で是川奨学財団で事務局長の仕事をしています。近畿2府4県の福祉施設の学生と大阪府・奈良県の交通遺児等に奨学金給付・貸付が主な事業内容です。詳細はホームページみて下さい。・・・大変懐かしく思い、コメントを書かしてもらいました。これからも「会長のひとりごと」のファンとして見させて頂きます。・・・・公益財団法人是川奨学財団 事務局長内田和一

投稿: 内田和一 | 2013年12月 4日 (水) 11時56分

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