« 「藤尾秀昭社長(致知出版社)の講演で!!」 2010-6 | トップページ | 「日米安保50周年と私」 2010-8 »

 山崎豊子著「沈まぬ太陽」 2010-7

 その書店の入り口付近に飾られていた山崎豊子著「作家の使命 私の戦後-山崎豊子自作を語る1」の文字が眼に入った。

その帯には

“「不毛地帯」「沈まぬ太陽」・・・・・その執筆秘話を明かす。時代を超えた人間ドラマは、こうして生まれ た。”

帯裏には
“戦後という時代の節目節目で、作家は何を考え、何を取材し、何を書こうとしたのか。戦争三部作から最新昨まで、山崎文学の“謎”が明らかに!
 タイトル、登場人物の名前に込められた深い意味とは?
 小説のエピソードと現実の事件にどんな関わりがあるのか? なぜ男たちは、圧倒的な力を相手に戦い続けるのか?”

早速、その本を手にした。

“はじめに”では、“作家としてデビュー50数年。一つの作品に取りかかると、それ以外なにもできないたち。戦後という時代を通して日本人の運命が、どう変わっていったか、読者の皆さんがもう一度考えるきっかけとなれば幸いです・・・・・・。”と記述されている。

大学医学部の問題が噴出する前に「白い巨塔」銀行問題「華麗なる一族」

戦争孤児の問題を取り上げた「大地の子」(1984より78ヶ月で完成)

 国内はもちろん、海外の取材、資料集めなどに多くの時間を割き、12時間も働く話など、大変労力のいる仕事のようで、私がイメージした作家生活とは大きな隔たりを感じた。

 昨秋観た映画「沈まぬ太陽」のポスターには30年間、仕事とは、家族とは、人生とは・・・、苦悩する現代社会に投げかける壮大なる人間の抒情詩”

 

一人の男(主演・渡辺謙)が、時代に向かい合った信念の生き様に大変考えさせられる長編映画であった。

第33回 日本アカデミー賞(3月5日、3部門の栄冠に輝いた。

「最優秀作品賞」「最優秀主演男優賞」渡辺謙 「最優秀編集賞」新井孝夫
映画の中で、25年前の812日JAL便の壮絶な史上最大の航空機事故も取り上げられている。(520名の命と、多くの家庭を崩壊させた。)

 25年前、あのダッチロールの末御巣鷹山に墜落した事件を、誰もがテレビのニュースに釘付けになった。全員即死と思われていたが、後日ヘリコプターに吊り上げ救助される光景、奇跡的に助けられたあの少女のシーンは、いつまでも私の脳裏から忘れる去ることはない。

山崎さんは、この「“沈まぬ太陽”というタイトルには、どんな逆境にあっても、明日を信じて生きる心の中の“沈まぬ太陽”を持ち続けていかねばならないという意味を込めています。それがどんなに難しいことか」とも語られている。

  御巣鷹山といえば、私の知り合いの東京在住の元某党代表者の秘書G氏が、急用の為あのJAL便をキャンセルし、朝の便に乗り換え大阪へ。キャンセル待ちの乗客が不幸にも・・・。

また、歌「上を向いて歩こう」で一世風靡した歌手・坂本九さんが、大阪の衛星都市のK氏の市会議員選挙の応援の為にあのJALの機上の人に、気の毒にも・・・・・。(K氏は当選し、その後議長までされた。数年前にあるパーティーで何十年ぶりかにそのK氏に出会った。昔、同業のK㈱の営業マンであった頃以来の再会である。「私、誰か分かりますか」と聞くと「ああ、吉原さんやないですか」と・・・・・。)

あの壮絶な事故は、今年8月12日でまる25年を迎えるが、心ない人によりその碑付近があらされていると悲しい報道が6月初旬にあった。

テレビ「みのもんたの朝ズバッ!」で、司会のみのもんた氏が,涙ぐんでの報道であった。坂本九さんと前日のパーティーで、彼が「明日大阪へ所要で行きます。」と話していたのに・・・・・。)

飛行機事故といえば、むかし羽田空港沖で着水した事故があった。(機長が心身侯弱症?)私が大学を卒業し5年間勤めた会社の先輩Y氏が同乗しており、本人から生々しい体験談を聞いたことがある。

羽田空港といえば、この秋に新滑走路とともに新国際線ターミナルビルがオープンするそうだ。親友である日本空港ビルディグ(株)顧問の生貝貢氏に新ビルの案内をお願いしている。

3名の親友―生貝貢、元安藤建設㈱技術研究所所長大森一紘、本間稔ーらと共に、卒業論文のために東京大学生産技術研究所の田中尚研究室に通ったのは45年前?。

当時その研究室で大変お世話になった高梨晃一助手は、東京大学教授を経て今は竹中工務店の顧問をされている。

同じフロアーには、「木の葉型の曲面屋根」で当時世間を驚かせた東京オリンピックの代々木体育館を設計された坪井善勝教授の研究室もあったやに記憶している。丹下健三氏がデザインを担当された。)

この国際便のターミナルビルの建設に数奇屋造りで名を馳せている中村義明氏も関わって指導されているとのことである。

なんと中村氏は、私のブログ・昨年8月号「会長のひとりごと“半世紀?ぶりの大悲山峰定寺と美山荘”」に掲載している“数奇屋造り美山荘”の中村外二氏の息子さんであり、また「美山荘 洞爺」は中村義明氏が担当されたとのことである。

(京都「菊乃井」、比叡山ホテル、京都迎賓館・・・・・はじめ海外でも活躍され、最近はデンマーク家具も・・・。)一度お会いして、今回のご苦労話を聞いてみたいものである。

7年前になるであろうか、我ら還暦を迎えた夫婦の浜名湖湖畔での一夜の同窓会(花博の時期)を開き、大いに盛り上がった。

今秋羽田空港で、また一度皆さんにお会いし、久しぶりに思い出話で花を咲かしたいものである。

     
          2010-7-1 Y.Y                

山崎豊子
1924(大正
13年)大阪市生まれ
京都女子大国文科卒  毎日新聞学芸学部に勤務
部長の井上靖氏に記者の訓練うける
1957(昭和32年)「暖簾」「花のれん」

直木賞受賞

毎日新聞社退社
「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」1991(平成3年)「沈まぬ太陽」菊池賞受賞
2009(平成21年)「運命の人」
山崎豊子自作を語る」シリーズ全3
「作家の使命 私の戦後」「大阪づくし私の産声」
「小説ほど面白いものはない」

その著書の「終わりに」稿の最終行には、

“今では、その人の云った通り、「原稿用紙と万年筆をもったまま棺に入る」覚悟でいる。”と記述されている。 (6月27日午後読破)

我が家の娘達

長女「モモ」
平成11年3月3日「桃の節句」に家族となった迷い犬

20100626

次女「サクラ」

モの3年後、国道をうろつき車に轢かれそうになっていた生後間もない迷い猫

20060122_20060122_dscf0077 20060725_20060725_dscf0211                     

|

« 「藤尾秀昭社長(致知出版社)の講演で!!」 2010-6 | トップページ | 「日米安保50周年と私」 2010-8 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です:  山崎豊子著「沈まぬ太陽」 2010-7:

« 「藤尾秀昭社長(致知出版社)の講演で!!」 2010-6 | トップページ | 「日米安保50周年と私」 2010-8 »