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「石浜恒夫氏と石浜紅子さん」 2010-3

  石浜館長(なにわの海の時空館)を訪ねて」

またひとり新しい出会いができた。その人は“なにわの海の時空館”(大阪市立海洋博物館)館長石浜紅子さん(エッセイスト、イラストレーター、舞台衣装デザイナー)である。

昨年末、金融機関支社長のE氏と忘年会をということで、Mという店に食事に出かけた。

我々がそろそろいい気持ちになった頃、マスターが「石浜紅子さんを紹介しましょうか。」とのこと、私は作詞家で有名なあの石浜恒夫氏の娘さんでエッセイスト石浜紅子さんかと確認した。「そうです。」との返事。

まだ、打ち合わせ中のようであったので、我々が帰るときにマスターから紹介していただいた。

 

 名刺交換しながら、お父さんの石浜恒夫氏の作詞、歌アイ・ジョージの「ガラスのジョニー」を私がよくカラオケで歌ったことや、我々業界の記念講演に来ていただいたこと、「ヨットでの父と一人娘の大西洋横断」(紅子さんが13歳中学生)とマスコミが大きく取り上げたことなど私の記憶を伝えた。

初めての出会いにも関わらず大変丁寧な応対に感動した。

「機会があれば、時空館に来てください。」とのことが、先日(2月11日)実現した。

11時過ぎから約2時間昼の休憩時間の間も案内していただいた。

いちどエレベーターで地下に降り、海底トンネルを通り抜けて海に浮いた大変大きなボール状の建物の地階からエスカレーターで1階へ、そしてさらにエレベータで4階の最上階にのぼり順次1階へと見学する。

建物の中心には、大変大きな菱垣廻船が鎮座しているのに驚いた。その船の高さが4階建ての透明の建物の吹き抜けるその壮大さんに大変感動、その帆は、テニスコートの大きさとか、その船が10年ほど前には実際に航海したと聞いてまたまた感動である。

 

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なにわの海の時空館  菱垣廻船   館長さんと  

そのほか、船の歴史や大坂湾や大坂の町の歴史も詳しく分かりやすく紹介されている。

船の歴史の部屋でまず目にしたのは、平野区の長原遺跡から出土した古代

船「なみはや」の埴輪の写真である。その埴輪は偶然当社が受注建築の

予定場所から出土し、この古代船を大阪市が復元した船大工さんに同じ

材料でミニチュアを作っていただき、私が所属する奉仕団体より、区民

ホールに寄贈したことなど深い縁のあることに感動した。

“大阪湾の天保山は、なぜできたのか?”。 館長は熱く語られた。

 「菱垣廻船など大型の船が、大阪湾から大坂の街中(川口あたり)に直接乗り入れることができたのは、川幅も広く、水深も深い安治川があったればのこと。大坂の経済を支える物流の根幹となることです。
 安治川は自然の河川のため、どうしても上流からの土砂で水深が浅くなってしまいます。
 大型の船が通れなくなってしまうことは、大きな問題でした。
 そこで、この問題の解決をお上に任せることなく、町人自らの手で解決したのが、保二年の御救大浚(おすくいおおざらえ)です。
 主に、大坂の町人が、町ごとに自主的に作業に参加しました。
 飢饉の多発した時期でもあるので、一部、農民の救済も兼ねられていたようです。
この作業で浚渫された土砂を河口に捨てたのが、天保山のはじまりです。大坂の町人の自主的作業の結果できた山なので、天保山は幕府より町人自治を認められます。」と。
天保年間の厳しい生活のお百姓さんを助ける為の収入源を確保する(公共事業)為に河口の土を浚渫してその土を盛り上げて天保山ができたとのことである。その農民は、約延べ10万人とのことである。

(最近のどこかの国のばら撒き政策でなく、汗を流してその報酬を得るようにすべきとのいい見本であるのだが・・・・・。)

館長さんの説明が事細かに、分かりやすく説明され(教鞭をとられているとのことである)初めて聞くことばかりで、私はあいづちを打つ数時間であった。 

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エントランス 船首像の展示 帆船前で館長さんと

私が、石浜さんの長堀アパート時代は、司馬遼太郎、森光子、野村克也氏らも同じ団地だったようですねと聞いて見ると、「そうです。芸能団地でした。」と返事が返ってきた。

そして、石浜恒夫氏の父上が、司馬遼太郎氏の外大の恩師であり軍隊では石浜恒夫氏と司馬氏が偶然同じところに配属されたとのことや、司馬遼太郎氏とは色々とご縁がある話を聞き、最後にエントランスの帆船の模型前でも写真をとっていただいた。

  私は、お忙しいにもかかわらず長時間に亘り案内していただいたことに厚くお礼をいい、そぼ降る雨の時空館を後にした思い出に残る「建国記念の日」となった。       

 

          2010-3-1  Y .Y

PS ―子供から大人まで「船の歴史から、気象、大阪の町の歴史・・・」を楽しむことができ、いちど子供さん、お孫さんづれで拝観されることをお勧めする。

    若いスタッフの皆さんが、時代考証も意識して熱心に親切丁寧に説明されているのをみて、さすが館長さんの教育が行き届いているなと感じた・・・・・。

 

     時空館 www.jikukan.or.jp

石浜恒夫氏の作詞

「ガラスのジョニー」「こいさんのラブコール」

「大阪ロマン」

「大阪ぐらし」「大阪ガス応援歌(小林亜星作曲)」他

「紅子のバラード」は、石浜紅子さんの誕生歌で、「中村八大さん“こんにちは赤ちゃん”が、やはりお子様の誕生歌として有名ですが、赤ちゃんのうちしか歌えない歌なので、父はラブソングの形態をとって、一生歌えるようにしたそうです。」とのことです。

石浜恒夫氏の著書

「ふざあぐうすの海ー父とひとり娘の大西洋横断記」

「流転」「遠い星ー早川徳次伝」「ぺリカンのぶとうかい」

「メルヘン動物園」「追憶の川端康成ーノーベル行」

「大阪詩情ー住吉・南-わが街」他

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コメント

大阪城公園の梅が満開らしいですね。
ただ寒暖の差が激しくて苦労させられます。

なにわの海の時空館…行ってみたくなりました。
石浜さんの事は存じ上げませんが、説明がとても楽しそうで…

近くに居ると中々腰が重いものですね。 (^_^;)
暖かくなったらお花見兼ねて行ってきます。

S. MORI

投稿: S.MORI | 2010年3月 7日 (日) 13時15分

石浜恒夫作詞、原六朗作曲「白い花のワルツ」が大好きです。クレハホームソングがラジオから流れていた、健康な1960年前後の日本。ハタチのわが身への郷愁からか。リリシズムという言葉がぴったり。楽譜が見たい。同好の方のレスポンスが欲しい。

投稿: ホームソングマニア | 2010年5月19日 (水) 00時38分

ホームソングマニア 様

「白い花のワルツ」のレコード、テープなどの音源を探しています。
若草多佳子が歌っているものです。
ja.uozumi@nifty.com  魚住 までご連絡下さい。

ホームソングマニア | 2010年5月19日 (水) 00時38分
石浜恒夫作詞、原六朗作曲「白い花のワルツ」が大好きです。クレハホームソングがラジオから流れていた、健康な1960年前後の日本。ハタチのわが身への郷愁からか。リリシズムという言葉がぴったり。楽譜が見たい。同好の方のレスポンスが欲しい

投稿: 魚住仁 | 2015年7月30日 (木) 21時57分

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