会長のひとりごと 「ミシュランガイドと美山荘」 ’09-11

1013日「ミシュランガイド京都・大阪2010」版が、京都で

発表を、そして表彰式が行われたと新聞の一面を飾った。

今回のガイドは、高級レストラン、ホテルを対象にした通常の格付

けに、初めて「旅館」も評価対象になったとか。

このミシュランガイドについて色々な見方、意見があり、物議?を

かもしている。(日経新聞1024日夕刊「芸文余話」で“ミシュラン

文化摩擦”・・・・)

しかし、私の知る何ヶ所かのお店?宿は、選べるべくして選ばれたと

思う。

よくマスコミに取り上げられる「美山荘」「菊乃井本店(京都

ミシュラン、三つ星)」「松乃井(群馬県水上温泉)」等、いずれも、 料理、器、建物、部屋のしつらえ(季節に合わせた生け花掛け軸、衝立 ・・・)や仲居さん?の心遣い気配りに感動することは当然であるが、 やはりそれにもまして女将の気遣い好印象のお店ばかりである

特に美山荘の建物は稲葉なおと著「巨匠の宿・名建築の宿に泊まる」

の“中村外二の美山荘” (数奇屋造り)で紹介されている。

他に20数ヶ所の有名な宿が紹介されている

当ブログ8月号「半世紀ぶり?の大悲山峰定寺と美山荘」で

今日は急いでいるので、またの機会に寄せていただくことをつげ、

今にも泣き出しそうな空を仰ぎながら大悲山峰定寺、美山荘を後に

した。」と記述。 

その後正式に予約し、48年ぶりの美山荘で念願の“摘み草料理”

を食することが成就した。(922日)

大女将さんともお会いすることができ、私の48年ぶりの話(Eさん

という女性は、3代目ご主人の従姉弟で健在、志賀先生のことも話し

に聞いている・・・・。)で、直接48年前の方とお会いすることが

できなかったが、タイムスリップしながらの感動の3時間であった。

泊まりのお客がこられはじめたにも関わらず、気持ちよく最後まで

お付き合いただき、美山荘の玄関をバックに大女将さんと家内との

スリーショットを撮り、知的で美人の若女将さんと共に車の姿が消

えるまで深々と頭を下げ見送っていただいた。

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さすが「白州正子(白州次郎)、立原正明ら文化人から愛された

・・・宿。」―美山荘・・・である。

この美山荘が「ミシェランガイド京都大阪2010」で受賞され、

3代目の弟さんの“草喰なかひがし”さんも同時に受賞。

 以前ご兄弟でされていたが、独立されたとのことである。

(「京都の奥座敷花脊にある名宿「美山荘」で生まれ育ち、料理を

作っていた中東久雄さんが、独立して1997年に開いた和食店」 インターネットで“なかひがし”ファンの方が語られている。

中東家のように同時期に各々の受賞も珍しいのではないだろうか。

できればこの“草喰なかひがし”のご主人にも、48年ぶりにお会

いしてみたいものである。(ご主人は、その頃小学生ぐらいだった

ので、ご記憶にはないだろうと思われるが)

前回9月は、自動車運転のためアルコール抜きであったが、

次回は、予約の取りにくい「美山荘」の“摘み草料理”を

アルコールを飲みながら頂く機会をぜひ持ちたいものである。

                 2009-11-1 Y.Y

PS -京都の奥座敷花背にある名宿「美山荘」が司馬遼太郎著

「街道をゆく」や、小説などにも登場することも分かった。

( Wikipedia より )

     立原正秋「春の鐘」―「奥山荘」として

     司馬遼太郎「街道をゆく」の「洛北諸道」の項

     雁屋哲「美味しんぼ」第20巻

近々、「司馬遼太郎記念館」を訪ねて                        「街道をゆく」を読んでみたいものである。

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「ルーヴル美術館展」国立国際美術館 09-10

知り合いのMさんから(朝日新聞のOB)、美術館やデパート等の催しの招待券を時折贈っていただく。

今年も数回利用さしていただいた。

直近は、9月19日(土)午後、国立国際美術館(大阪・中ノ島)へ。

入り口付近で「ルーヴル美術館展“美の宮殿の子どもたち”」と大きな文字が眼にはいってきた。

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私がこの建物に入るのは、確か5年程前の建設中に大阪府の公共建築室  の方々と見学に来て以来2度目である。

地上の竹の生長をイメージしたオブジェや、地下の防災計画の構造の説明に大変驚いたことを記憶している。

地下1階が受付で、約20~30分並んだ後にいよいよ地下3階の展示場にエスカレーターを乗り継ぎやっと展示室に到着し入場!!。

音声ガイドを借り、いよいよ「ルーヴル美術館展“美の宮殿の子ども たち”」至宝約200点の始まりである。

入り口でもらったチラシには、「ルーヴル美術館からの招待状 7部門 の名品、約200点が中ノ島に」「時代・地域・分野を越えた膨大な コレクションを誇る美と文明の殿堂、ルーヴル美術館から、7つの部門  (古代エジプト、古代オリエント、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ、絵画  彫刻、美術工芸品、素描・版画)の至宝約200点が一挙来日します。

 さまざまな時代や地域の美術の中に表現されてきた子供たちの姿を 通し、「美の宮殿」ルーヴルの高の美の世界を紹介します。」と書かれている。

子供のミイラ、大理石の彫刻、絵画(小さい頃は、男も女装)、大きな壁掛け・・・等、これらは当然ルーヴル美術館のほんの一部であるが、少し疲れ?気味で腰に違和感を感じながらの久しぶりの美術鑑賞で あった。(昨年の「故宮博物館(台湾)」以来)

 (テーマが子供ということであったせいか、私が期待したルーヴル美術館のイメージ作品と少しかけ離れていた印象を受け、後日鑑賞した妻も同意見あった。)

国立国際美術館(大阪・中ノ島)の案内書に「竹の生命力と現代美術の 発展・生長をイメージしたオブジェや、人と美術との交流を生み出すパブリック・ゾーンを設けるなど、歴史と文化を断承する中ノ島の地における新たな文化の拠点として、市民に親しまれる施設となることをめざします。」と掲載。

南隣地に大阪市立科学館もあり、京阪電車中ノ島線(渡辺橋駅より5分)の開通により大変便利になった。

一度ぶらっと出かけて、「大阪再発見」をされては如何であろうか!。

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http://www.nmao.go.jp/

10月といえば、1日は、先代会長命日(H10年10月1日没)

2日は、私の ? 回目の誕生日(10月1日会長就任1週年)

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「竹村式お金に振り回されない習慣術」 竹村健一著                          09-9

 ここ数年のお盆休みに、本を読むことにしている。

昨年は、中村天風著「君に成功を贈る」(2001年発行以来

27版発行―約270ページ)を読んだ。

そのはしがきに「心の思いが人生を創る」(「心のあり方・使い

方」ひとつで、生きがいのある、豊かな、幸せな、価値高いものに

することができる。)とあり、大変感動する一冊であったので、そ

の本を何人かの人に勧めたり、まわし読みをしたりして早1年経過

した。

今年も書店を覗いた。

「脳も筋肉も、アラカンから強くなる」帯の文字が目に入った。

「アラカン?」一瞬、映画俳優「嵐寛十郎?」と思った。

(50代以下の人には、ピントこない映画俳優)その副題「60歳

からはない収入で大きな幸せ」を見て以前にM病院理事長の奥さん

から「アラホー(AROUND FORTY)」の説明を聞いたことを思い出

アラカンのカンは「還暦だ!!」とやっと気づいた。

そのプロローグに「人生後半(50歳以上)の準備を始める働き盛り

の人に向けて」と書かれている。

以前、竹村健一氏の著書に(「スキー場近くの講演は、講演後に滑る

ために冬場の時期に設定する」と記述)、竹村氏が57歳でスキーに

初挑戦をされたことは知っていたが、テニス仲間のソニーの盛田昭夫

さんに勧められたことを今回初めて知った。

又、日本で正確な地図を始めて作った伊能忠敬は、50歳(現代では

60歳代?)で仕事を引退してから、それまで素人だった人間がいち

から勉強してなし遂げたとのエピソード等肩のこらない、なるほど

思うことが満載されている本である。 

     (竹村健一著「竹村式お金に振り回されない習慣術」より)

富士山を主題にした「富嶽百景」も完成させた浮世絵師「葛飾北斎」

「 私は六歳のころから物の形状を写す癖があった。五十歳の頃から

様々な絵を描いてきたが、思えば七十歳以前に描いたものは、みんな

取るに足らないものだった。七十三歳になってようやく鳥や動物、虫、

骨の骨格あるいは草や木の生ずる有り様を悟ることが出来るようにな

った。

したがって八十歳になればますます絵が上達し、九十歳には奥義を極

め、百歳には神妙の域に達することだろう。

百十歳にもなれば、“一点一格”活けるがごとくに描けるようになる

に違いない。」

75才という老境に達した北済がこの「富嶽百景」の奥付に書いた文章を

現代語訳するとこうなるそうであると、どこかで目にしたことがある。

50歳頃からの画家「葛飾北斎」も年老いて活躍されたひとりである。

竹村式お金に振り回されない習慣術」は肩のこらない読みやすい

本なので、特にアラカン(還暦を迎えられた方、近々迎える方)の

皆さんに、一読されることを推奨したい本である・・・・・。

竹村健一 昭和5年(1930年4月7日)大阪市で誕生・政治評論家。

     京都大学英文科卒、アメリカのフルブライト財団の奨学金

     制度第1号としてシラキューズ大学留学。

     毎日新聞「英文毎日」記者、山陽特殊鋼調査部長、

     追手門学院大学英文科助教授、拓殖大学客員教授・・・・。 

     長男竹村真一氏 京都造形芸術大学教授

     次男竹村英二氏 国士舘大学教授

     元宝塚歌劇団の女優さんと結婚

我が家の屋上菜園のゴーヤ

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「半世紀?ぶりの大悲山峰定寺と美山荘」09-8

48年前の7月、京都の「大悲山」(バスで出町柳駅から花背峠を越え

数時間。峠では、バスがブレーキテストをしてから下った。)のふもと

で来春の受験勉強の為、同級生の徳川英雄君と二人で向かった。

昭和36年夏休みの約1カ月間彼(徳川家の末裔)と、大学受験に・・

・・・。偶然北野高校の生徒さんも同じ目的で・・・。

そこは、平家の落ち武者の霊が出るといわれる大悲山のふもとであった。

そこでの出会いは、女優の淡島千さん似の志賀美恵子さんだった。遠く

から多くの人が霊能者(?)の志賀さんに相談にこられていたようだ。

志賀さんは、自分には人生の先(将来)が見えると、具体的に説明をさ

れたので、我々は恐怖?を感じた。

心霊の研究をされていて、自分に見える霊を他の人にも見える研究をしているとの事であったやに思う。

ある夜、その志賀さんから奥の大悲山峰定寺におまいりに行くので一緒

にと誘われ、数人で石畳の階段を登つめると「清水の舞台」のように

突き出たお堂で一夜を過ごした。

仮眠していると夜中の何時ごろであろうか、お経の声が「出たァー」と

心のなかで叫んだ。薄目を開けおそるおそる見たら、尼僧がお経をあげ

ている「早く夜が明けてほしい・・・。」と。

以前に「平家の落ち武者の霊が出る・・・。」と説明を聞いていたの

で大悲山の名の由来はそこにあるのかと思っていたが、実は「観音さん

の大いなる慈悲心」ということのようである。

その後、四天王寺の瀧藤尊教元管長さんから「霊の研究者の話」を聞く

機会があり(20年位前?)五人の日本名を挙げられ、そのひとりに

志賀さん名もあり、その折に近々管長さんが志賀さんに会いに行かれる

との事だったので、「元気でいることを」伝えてほしいと名刺を託した

ことを思い出した。

昨年よりぜひ一度訪れてみたいと切望していた。宿泊先の名前も覚えて

いなかったが、大悲山のふもとで、すぐ近くにお寺があったことを頼り

に行こうと思っていた。

たまたま前日夕食をした「大海」さんのご主人が、私の48年前の話し

から、その宿泊先は「美山荘」という名であること、地図の案内もして

いただいた。

「“摘み草料理”ということで有名で、予約しないといけない。

バブルの頃は順番待ちで、値段は・・・・・・。」

当日は午後雨とのことなので朝早くから出発した。山道をカーナビを

便りにやっと到着。(もしカーナビがなければ途中で引き返したかも

知れない。細く曲がりくねった道を1時間半)

そこには「峰定寺参道」「美山荘」の看板が、二つ並んでいた。

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「峰定寺参道、美山荘」の看板「美山荘」の玄関

美山荘のお客のお迎えであろうと思われるタクシー運転手さんの姿を

玄関脇で見たので、聞いてみると「中曽根首相來訪の折に改装された

のを知っているが、それより古い頃の話は?・・・」とのこと。

先に大悲山・峰定寺におまいりし、帰り際に30年程勤めているという

料理長さんと話すことができた。

志賀さんのことは、話に聞いているが、自分は直接知らない。3代目は

は、55歳で他界。今(4代目)その息子さんの時代。その頃私より少し

上の息子さんが3代目とわかり48年前を知る人はいないようだった。

礼をつげ、敷地を去ろうとした時に偶然にも犬の散歩から帰ってこられ

た4代目の若女将と遭遇した。

昔、約一ヶ月ほどお世話になったこと話をしたところ、その頃に大女将

が結婚されたようである。

直接知った人に会えなかったが、たしかその時小学生?ぐらいだった弟

さんのことを尋ねると銀閣寺のところで料理屋さんをしておられると。

今日は急いでいるので、またの機会に寄せていただくことをつげ、今

にも泣き出しそうな空を仰ぎながら大悲山峰定寺、美山荘を後にした。

48年ぶりの「峰定寺」「美山荘」、今日も大変感動の一日であった。

翌日、経営者の集会で私の左の席の㈱岡本スタジオの岡本氏を紹介

された。アルコールも入り、少し舌も軽やかになり話すうちに、高校

の後輩で奥さんも同窓、私も家内と同窓と話が弾み、前日の「美山荘」

の話をすると、岡本氏は「一度行ってみたいと思っている。弟さん経営

の銀閣の店にはいったことがある。大変有名なところである。」の話

に“そうですか!!”と感動。 又 「北海道サミットのホテルでの夕食

を美山荘で予約がとれなかった・・・。」話し等、昨日の京都の余韻が

いつまでも・・・・・。                          (㈱岡本スタジオ  明治35年、1902年創業)

またまた、新しい感動と出会いができた7月の連休であった!!。

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美山荘

t://www.miyamasou.co.jp/ht

www.miyamasou.co.jp -

峰定寺 - Wikipedia

藤原通憲(信西)が記した『大悲山峰定寺縁起』によれば、このは平安時代末の

久寿元年(1154)、鳥羽上皇の勅願により観空西念(三滝上人)が創建したもので

、鳥羽上皇の念持仏の十一面千手観音像を本尊として安置し、 ...

ja.wikipedia.org/wiki/峰定寺 -

七五三・成人式・家族写真などの撮影は 写真館岡本スタジオ

七五三・成人式・家族写真などの撮影は 写真館岡本スタジオ Okamoto ... たんごの節句. ひな祭り. 就職. パスポート. 大阪府八尾市山本町1-8-27 ... ラジオ大阪『岡本昇のズームアイ ハバスパイフォール』 関西テレビ. ラジオ大阪『岡本昇のズームアイ バッファロー』 いろいろなホームページで紹介されています .

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「南十字星」と映画「真夏のオリオン」09-7

 恒例の高校同窓の夫婦旅行中「社長最後の総会(上場企業)に

きてほしい」ということなので、JR久宝寺駅から大和路快速に乗

り大阪駅で下車し、新阪急ホテルに向かった。

約20分の車中で藤尾秀昭著「小さな人生論」(致知出版社)を読む。

「哲学とは、南十字星のようなもの、

南十字星さえ見失わなければ、

羅針盤なくても航路を誤ることはない。」

「ひるがえって日本も、国政、経済、教育、国民一人ひとり

・・・」

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「戦後の日本を統治したマッカーサーは、祖父に日清、

日露を戦ったリーダーには、立派な人物が多いと聞いて

育った。

ところが、日本にきてさほどの人物が見当たらないと、

時の首相吉田茂に聞いたところ、昔のリーダーは東西の

古典を読んだ。今のリーダーは古典で心を養わないから

人物が小さくなったと・・・・。」と語られている。

その総会後、奉仕団体の例会に出席、来客O氏が右横の席に座ら

れた。職業が神主さんと聞き、私の高校友人の前大和ハウス工業

副社長の船津君のお父さんも神主だったことを話すと「存知てい

ます」とのことだった。

代々神道の道を継がれていると思いきや、「政治家の家系でしたが、

その道がいやでこの世界に入りました・・・・・。といいますのは、

東条英機首相時代の大臣で、戦犯となり、それで・・・・・・・。」

との事。

例会終了後、交通安全協会の総会打ち上げまで時間があったので

私の足は映画に向っていた。。

その時間帯に始まるのは、「真夏のオリオン」のみで、第二次大戦

の潜水艦の映画のようである。普段は洋画ばかりで日本映画を見な

いが、時間帯からこれしかないので、吉田栄作(メインでない?)

以外知らない俳優ばかり(後日、主役がテレビのコマーシャルに!)

であるが時間つぶしのつもりで見ることにした。

 ― 時は第二次世界大戦末期昭和二十年、アメリカ軍がグアムを

給油基地として沖縄に向かう、その船団を阻止する潜水艦

「イー77号」(人間魚雷“回転”を甲板に設置)と、アメリカ

海軍との闘いである。

大変迫力があり、その中に愛があり、友情があり、若い日本の

俳優のすばらしい演技、涙する場面のある久しぶりに感動する

日本映画であった。

特に最後に潜水艦の艦長に形見(友人の妹から)として渡され

「オリオンよ、愛する人を導け・・・」イタリア語で書かれた

楽譜が、さらにこの映画のクライマックスに感動を与えた。―

当日(6月18日)は、朝から夕方まで、星座、第二次世界大戦にまつわ

る熱い感動の一日となった。(本当に熱い今年最高?の気温32度)

             

会長のひとりごと「南十字星」と映画「真夏のオリオン」 09-7

PS- 毎日新聞夕刊には、「日本よ、浮上せよ」「大ヒット!命中!!

満足度92.4%」とコマーシャル。

映画最後のシーン(大戦終了の報に、艦長が発した言葉)

「終わったのでない、これから始まるのだ」の言葉が、今の

厳しい日本から浮上せよ(立ち上がれ)、今から新しい世界を

切り開くことを示唆した映画だと感動したのは、私一人では

ないのではないだろうか・・・・・。

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「利息制限法」木村達也弁護士とKアナウンサー  09-6

木村達也著「今この本が面白いー私が読んだ厳選120冊」が

著者より贈られてきた。

(本を年間約200冊購入、5年間の読書から厳選)

「利息制限法」成立に奔走された木村弁護士がマスコミに登場

されたのは、約25年くらい前であろうか。サラ金地獄で困って

いる人の救済を・・・。

その後、テレビ、ラジオに大活躍(NHK「クローズアップ現代」

にも数回、朝のNHK ニュース、「関西クローズアップ」最近では

日曜日の田原総一郎の「サンデープロジェクト」等などに出演)

  少し古い話しであるが、中坊公平元日本弁護士会会長(元債権回

収機構の社長)の門下生でもあったことを、NHKの深夜ドキュメン

タリー番組で知った。

その番組で「私はね、若い仲間の弁護士と話しをしている時が楽し

い・・・・。特に木村達也君や・・・・」との話をされていた。

その影響で、庶民の味方の弁護士になったのかなと私ひとりが

想像していたが,冊子「ひまわり」(木村・浦川・片山法律事務所

発行―第71号)の“父への思い出”のコーナーによると、教育者

の父の影響と述懐されている。

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私との出会いは、約35年前のある奉仕団体入会であった。

私が31歳、木村弁護士30歳。

25名(平均40数歳台)の発足メンバーの中では、若手の二人

創立メンバー)であった。偶然にも天王寺中学、高津高校の1年

後輩とわかりクラブの中でもより親しいお付き合となった。

過去形なのは、確かクラブ20周年を終えた頃だった思う。

「まだまだ色々とやりたいことがある。仕事が忙しくなるので」が

退会理由だったと記憶している。

出会った頃は、職業柄固い人という印象だったが、今は、おおらか

なオーラを感じる懐の深い当社の顧問弁護士でもある。

今から3年前の当社創業七十年の折に、私が金曜日に事務所を訪問

するため都合を聞くと、その日はテレビの新番組の打ち合わせで午後

はいない「夜7時30分からの番組らしい・・・」と。

 それで「たぶん、Kアナウンサーと合うと思うよ。」との私の予言

的中。実は、アナウンサー4月から金曜夜7時半よりキャスター

で登場するやに聞いていたので・・・・・。

アナウンサーと私の出会いは、「エッセイスト高木美千子女史」

当社HP2005年10月のバックナンバーに添付)主催の催

 しで紹介された。その時にわが息子と同じ学年であることや、

 お母さんが、わが母校高津高校の2年後輩であることもわかった。

「世間は狭いもの悪いことはできませんな!!。」と食事をしながら

 の談笑だった。

 その後何度か食事する機会があり、木村弁護士、高木女史、

 アナウンサーと4人での2次会の歌合戦でも盛り上がった。

 昨年春から東京勤務になり、テレビのキャスターとして活躍され

、時折メールで・・・・・。

出会いを大切にし、長くお付き合いしたい人々である!!。

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NHK オンライン http://www.nhk.or.jp/より

自殺と向き合う~生き心地のよい社会のために

木村達也(きむら・たつや)さん
弁護士。全国クレジット・サラ金問題対策協議会〈注1〉代表幹事。
1944
年生まれ。

日本弁護士連合会消費者問題対策委員会委員(元委員長)、

日栄・商工ファンド被害対策全国弁護団団長、

欠陥住宅関西ネット代表幹事をつとめる。

共著に『個人債務者再生手続実務解説Q&A(増補版)』(青林書院、

2001)など。

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「悩む力」姜尚中著  2009-5

先日、年に一度の恒例の高津高校同期会(昭和37年卒)―

東京・大阪合同同窓会が浜名湖で開かれた。いつものように

新幹線の中で読む本を買うべく新大阪駅で書店にはいった。

本の帯に「75万部突破」の活字が、目に飛び込んできた。

「悩む力」姜尚中著

現代人の心を救う、逆転の発想とは?

不安と絶望の時代を生き抜くための「新の力」を鍛え上げる

一冊と表の帯に書かれている。

裏の帯には、私たちは100年前の漱石やウェーバーと同じ壁

にぶつかっている!。

「私はいま、いまだかってないほど開き直っていて、

大げさに言うと、矢でも鉄砲でももってこいと

いう気分になることもあります。

悩みの果てに付きぬけたら、横着になってほしい。

そんな新しい破壊力がないと、

今の日本は変わらないし、

未来も明るくない、と思うのです。」と。

自由の拡大といわれながら、幸福感高まることなく、

いつも余裕なく急き立てられ、人間関係も殺伐として

味気ない・・・・・・。

人生とは、自分がどうすべきなのか選択せざるを得ない

瞬間の集積りであり、それを乗り越えていくには、・・・

自分でこれだと確信するまで悩みつづける。

あるいは、それしか方法がないということを信じる。

序章「今生きる悩み」から、・・・・・・「青春は美しいか」

「何の為に働くのか」「なぜ死んではいけないのか」そして

最終章「老いて最強たれ」においては、役者や、映画作りの夢を、

もっと実現に近い夢は、60歳で大型二輪をとり、ハーレーで

日本縦断、朝鮮半島の南北縦断の旅を・・・・・・。

最後に、

「若い人に大いに悩んでほしいと思います。悩みつづけて、

悩みの果てに突き抜けたら、横着になってほしい。

そんな新しい破壊力がないといまの日本は変わらないし、

未来も明るくないと思うのです。」としめくくっている。

悩みの多い今日この頃、人の話しに耳を傾けようとしない

マスコミ、政治家等が出演のTV番組が多い中にあっても、

いつも落ち着いた口調で語り、好感度の人 姜尚中氏の著書

「悩む力」である。

悩みの多い?私も、著者の顔を浮かべながら、車中で一気に

読んだ。

悩みつづけて、早く悩みの果てに突き抜けよう・・・・。

                                                                                                               

姜尚中 (カン サンジュ)

1950生まれ。

早稲田大学大学院政治学科研究科博士課程卒

東京大学大学院情報学環教授

著書 「マックス・ウェーバーと近代」「ナショナリズム」

   「東北アジア共同の家をめざして」「日朝関係の克服」

   「在日」「姜尚中の政治学入門」「愛国の作法」

「ニッポン・サバイバル」など

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「新報道2001」㈱ソフトブレーン元社長 宋文州 4月

最近テレビでラフなスタイルの宋文州氏をよく見る。

日曜日に関していえば

関西テレビ  7:30「新報道2001」

読売テレビ 18:00「真相報道バンキシャ!」

NHK   夜11時台「カンゴ・ロンゴ」(3月で終了)

 3,4年前だったか、参加者10数名のあるセミナーが

始まる前に「ソウです」と講演者に挨拶され、私の後ろの

席に座られセミナーを受講された。 

2次会が居酒屋風の店で開かれ、自己紹介(私の左隣の席)

のおりに、中国の将来の政治のことを(もちろん日本語で)

とうとうと話された。 その時もノーネクタイで。

その時の第一印象は、自己紹介の時間なのに少し喋りすぎや

なと思った。

その後、テレビでみて「あの時の人が、宋文州氏や!!。」

と、驚きと感動の一瞬であった。

 3月はじめ、その宋文州氏講演の案内がFAXされてきた。

基調講演 宋文州「不況は、とても重要だ!~ピンチを

         チャンスに変えていこう」               

*不況が好きな人はいない。しかし不況は重要だ。

*不況がないと経営者はリスクを忘れ、社員が甘くなり、

 営業は利益を重視しない。

*不況の時にしか、勉強できないものがある。

*不況の時にしか、できない改革がある。

*不況の時にしか、できないシェアー拡大のチャンスが

 ある。

「不況を生かそう」「不況が人を育てる」

(マスコミに惑わされない → 悪環境をどこで食い止めるか

 → その努力の差が、3,4年後に会社が延びるか否か

 =戦争でなかってよかったではないか。戦争なら何もかも

  なくしてしまう。)

等、ノーネクタイ、白いワイシャツ姿で、原稿も見ることなく

自分のことばでよどみなく喋られる約40分の講演も大変短く

感じた感動の講演であった。

帰りのエレベータ前で名刺交換し、今日の講演に感動したことや、

以前お会いした時のこと、宋氏のエッセイ「野菜を育てる、人を

育てる(菜園作りとマネージメントには、多くの根源的な共通点

がある)を2005年5月に読み感動したこと、私自身もまた、屋上

で3坪位の菜園をし、育てた野菜を社員に配布していることも告げた。

「そうですか・・・。」とニコニコされて、「じゃ、またネ。」

と手を挙げエレベータの人に、大変気さくな人である。

2005年(40歳)に東証一部上場をされたとの事であるが、

業界最大手の元社長のそぶりがないので、私自身はそのような

有名人とは最近まで知らなかった。

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も承知のうえです。 ... この点において 文洲も決して例外ではありません。

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海津大崎(日本の桜100選)                                                   

観光の屋形船「犬の船長さん」20090411_dscf0271_6

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「第81回アカデミー賞」    2009-3

政治、経済においても暗いニュースの氾濫する毎日であるが、

23日の月曜日(ロスでは22日の日曜である)午後1時過ぎ

明るいニュースが飛び込んだ。もちろんテレビのLIVEで!!

日本の作品「おくりびと」「つみきのいえ」でダブル受賞。

毎日新聞夕刊の一面のトップに、

アカデミー賞日本作品ダブル受賞 大きな文字が躍っている。

「滝田洋二朗監督(53)の「おくりびと」が外国語映画賞に。

56年度(29回)に同賞が独立した賞になって以来、日本作品が

受賞したのは初めて。

また、加藤久仁生監督(31)の「つみきのいえ」が短編アニメー

ションに選ばれた。日本人監督作品の同賞受賞は初めて」との報道。

特にモックン(本木雅弘)扮する「納棺師」は、彼が16年間あたため

ていた作品とか。(チェロ奏者から、納棺師に転職した主人公が死者

を装う仕事の中で家族の絆を再確認していく物語)

青木氏著「納棺師日記」の映画化で、なかなか著者の許可がいただけ

ず、日参してやっと条件付でOKをもらったとか。

その条件とは、名前を出さない、山形のロケ地に反対(著書の舞台は

富山)「納棺師日記」を「おくりびと」とする等。(ロケ地の件は、

その後了解していただいたとか)

 映画化が決まり、実際の葬儀にも何度も何度も立会い、人が3ヶ月も

かかって覚えるところを、1か月でマスター。

初めて手にしたチェロ(主人公が、プロのチェロ奏者であったので)

ぎこちないもち方から短期間で驚くほど上達した演奏、その熱意に

プロの指導者も感心されていた。

明るいニュースといえば、昨年4人の日本人が同時にノーベル賞

を受賞したことでも日本を世界中にアピールされた。

この時も、何十年前の研究に対しての受賞でもあった。

我々、子供の頃は10年一昔といったのに・・・。

モックン(本木雅弘)が16年間暖めていた作品というから、27歳の時

の思いが43歳で大きな花をさかせたことを知り、そのモチベーション

の持続に驚き感動した。

アカデミー賞といえば、ハリウッドのコダックセンターで毎年2月の

最終日曜日に開催されるようである。

2年前の2月25日(日)第79回授賞式が開催されるその週の初めに

会場の前を散策した時、この階段をノミネートされた監督、俳優が登り

センターに入るのかと大変感慨深げにそこにたたずんだことを鮮明に

覚えている!。

たしか日本人女優「凛子?」さんが受賞するのではと騒がれた。

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実はわが息子の初めての世界での学会発表を、サンフランシスコで

参加、(英語なので、何をしゃべっているのかわからなかった。

日本語でも同じかな)観光後、ロス市内の観光をした。

その時の写真である。もちろん、ホテル近くの散歩途中に

刑事「コロンボ」、三浦一義で話題を呼んだロス市警、

シビックセンター(ディズニーコンベンションセンター等)

や多くの有名な建築物をも見学することができた。

息子にかこつけた大変思い出の残る旅行であった。

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「この国はどこへ・・・」画家 平山郁夫 09-2

人が集まると、「100年に一度の不況・・・・・・・・」と

よく話題がでる。

「もうそんな話しはこれぐらいして、明るい話しをしよう

じゃないか。」といいたくなる。

同窓会にいくと、病気の話しに花が咲く?。

「もうそんな暗くなる話しは、やめようよ」といいたくなる。

マスコミも派遣社員の話題を、気の毒だ、かわいそうだ・・・

・・・から、期間決められた雇用なのにナゼこのような事態に

備えての準備、蓄えをしなかったから・・等とにぎわしている。

「もっと、明るい話しをしようよ。」といいたくなる。

2月3日付毎日新聞に、中国推計工場閉鎖などで都心部に出稼ぎ

「農民工」約13000万人のうち、15%強の約2000万人が金融

危機による工場閉鎖などで失職したとの推計を明らかにした・・

・・・と。 やはり中国は何事もビッグである。

毎日新聞といえば、昨日(二日)夕刊の“読ん得”

画家平山郁夫(78)氏が、

「この国は どこへ行こうとしているのか」との題で、

 ほぼ一面をさいている。

「100年に一度の不況といわれているけれども、太平洋戦争で

無条件降伏した時、15歳で広島で被爆。多くの友が即死、その

後放射線障害で大勢の人が亡くなった。日本の主要都市も空襲で

ほとんど焼け野原、何百万人の軍人も失業。

住む家もない、食べるものも、着るもの、薬もない。その時のこと

を考えると、まだまだ豊かじゃないか、そう思えてならない。」と。

「自分の努力が足りない、怠けているのをさておいて、親が悪い、

先生が悪い、社会が悪いと、責任を押してばかりいる。己を顧みる

ことを忘れているわけですね。

ちいさい時からの教え、しつけが非常に大切だと思うんです・・・」

「あとどれだけ絵が描けるか、時間との競争です。」

1日8~9時間は、キャンパスに向かうと。 昨春体調を崩されたが、

ますます元気な、平山氏である。

(紙面の真ん中には“「教育」が大切”と大きな文字が・・・。

平山郁夫美術館 || 冬期企画展 『シルクード夫婦行』

www.hirayama-museum.or.jp

元気な話しといえば、雑誌 日経ベンチャー(2009-2号)に

視界ゼロでも迷わない “信念の経営改革” 

  自分を信じ、人を生かし、会社を強くするのコーナーで

「ワンマン」ジョブスと

     「人の和」「好況よし、不況さらによし」松下幸之助

(困難へ立ち向かう姿勢は驚くほど似ている

 =経営不振の理由を不景気のせいにしない強い信念)

スティーブ・ジョブズ - Wikipedia... ...ja.wikipedia.org/wiki/

松下幸之助 - Wikipedia... ..ja.wikipedia.org/wiki/

 

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